陶氏館(すえしやかた)

陶氏館の基本情報

通称・別名

陶の館

所在地

山口県山口市陶3907番地(正護寺)

旧国名

周防国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

陶(右田)弘賢

築城年

南北朝時代

主な改修者

主な城主

陶氏

廃城年

遺構

土塁

指定文化財

再建造物

説明板(正護寺)

周辺の城

障子ヶ岳城(山口県山口市)[9.2km]
山口城(山口県山口市)[10.8km]
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陶氏館の口コミ情報

2025年09月06日 順☆散歩征夷大将軍390+50
陶氏館



陶氏館は山口市と周南市の2箇所にあり、こちらは山口市。14世紀に右田氏の子孫である弘賢がここ山口市陶(旧吉敷郡陶村)に館を築いて移り住み、村名を苗字としたのが陶氏の始まりだそうですが、二代目の弘政は周南市のほうに館を移したので、こちらに館があった期間はけっこう短いようです。(ちなみに、周南市の陶氏館は勝栄寺の北東方面にあり、現状は公園になっていて碑や説明板はあるものの遺構はありません。)

現在、館の跡地(正確には跡地の北?)に建っている正護寺というお寺は…
・弘政によって建立された
・しばらくは大内氏の庇護もあり栄えた
・大内氏滅亡後は廃寺同様になった
・その後、毛利氏が再興した
・大内輝弘の乱で伽藍が焼失した
・江戸時代に陶出身の僧侶が場所を移して再建した
ということなので、今の正護寺は建物も場所も、宗派でさえも弘政が建てたものとは異なり、もはや別のお寺とも言えそうですが、御本尊(釈迦如来)は大内輝弘の乱の時も池に投げ込むことで焼失を免れたため、創建当時からのものなんだとか。

ところで、投稿されている写真や先人様の口コミを見ると、この正護寺に関するものが多く、陶氏館についてのものは少ないんですよね。まあそれも当然で、館跡のほとんどは農地になってしまっており、唯一の遺構とされる土塁も正確にどこにあるかの情報があまりないからです。(さすがに調査報告書を閲覧に行く余裕はなかった…)

とはいえ、現在の正護寺は上記の通り江戸時代のものですし、北川代官墓所・富永有隣先生招魂之碑・小郡代官所移築門、さらには陶晴賢分骨塔でさえも館とは直接の関係はないわけで、それはそれで大きな見所ではあるものの、やっぱり遺構があるなら自分としてはまずそちらを見たいなと思っていたわけです。

で。

自分が訪問したとき、ちょうどお寺の方がお墓の手入れをなさっており、見学に来たことを伝えると「鍵は開いてるからぜひ」とのことでしたので、まずは本堂内を見学。その後、お寺の周辺を散策したところ、まず歴代住職の墓の背後にあるのは普通に考えて土塁(A)っぽいなと。また、本堂前から東に進む道があり、その北側も土塁(B)らしきものが。そしてさらに道は直角に折れて南に続いており、その道の東側(司家跡の手前)にも土塁状構造(C)がありました。

このうち、Cは山口市のデータベースに掲載されている写真と同じものっぽいし、お寺の方もそうだとおっしゃってたので遺構に間違いない(はず)ですが、問題は残りです。もしA~Cが全て当時の土塁だと仮定するとこれらは館の周りをぐるっと取り囲んでいたはず。ところが現地に行けば誰しも「???」ってなると思うんですけど、3か所の土塁が繋がらないんです。繋げようとすると変に折れた形になっちゃうんです。いや、まあ折れて繋がってたのかもしれないんですけど、南北朝のころの居館の土塁がそんな複雑に折れていたとは考えにくく、とすると例えばBは遺構とは違うものなのか?とか思ったり。舘があったのは戦国期よりもずっと古い時代ですから、後世の改変を受けている可能性も十分ありますし…うーん…誰か教えてください(他力本願)

まあそれでも土塁が見られてとりあえず満足して車まで戻ってくると、大変有難いことにお寺の方(ご住職の娘さんだそうです)が「暑いのでお茶を飲んでいってください」と、冷えたお茶のペットボトルと和菓子まで出してくださり、お話も伺うことができました。ただお寺の方も歴史のことはあまり詳しくないので、とのことでした。

ちなみに、正護寺のご住職はご高齢でここにはいらっしゃらないため、平日は本堂も閉まっています。掃除のために娘さんが県外から週末だけ開けにいらっしゃいますが、用事で開けられないこともあるので、見学するなら事前に連絡をくれれば確実だそうです。

もちろん突然行っても開いていれば見学OKですし、本堂内を見ないなら平日に行っても問題ありませんが、本堂内には日本で作られたものとしては山口県最古の仏像(薬師如来像)もあるのでせっかくならこちらも拝観してみてはいかがでしょう。(御本尊とは別に右のほうにガラスケース?に入って展示されてます)

お寺の方曰く、周囲の環境もお寺の様相も昔とはずいぶん変わったので少し残念ではあると仰ってましたが、それでもここは陶氏に思いを馳せるには絶好の場所。右田ヶ岳で右田氏を感じたのちにこちらを訪問するのもいいんじゃないでしょうか。

※すぐ近くに司家跡、またちょっとだけ離れたところに陶陶窯跡があります。あわせての見学をオススメします。

2025年02月11日 尼崎城信濃守一口城主
陶氏館



[陶氏館(正護寺)お墓参り編]
なぜ正面から撮った写真がないのか後悔していますが正護寺ゆかりのお墓(写真①)の説明板がありました。
写真②の一番右のお墓が陶晴賢公の宝篋印塔(分骨堂)でした。
歴代住職や陶氏二代目弘政公のお墓もずらりと並んでいました(写真③)
次に維新の志士の富永有隣のお墓(写真④)もお参り。説明板(写真⑤)の中央部を読むと戊辰の役では「長州の富永有隣東海道を上る」と幕府軍に恐れられた人物とのことでした。

2025年02月11日 尼崎城信濃守一口城主
陶氏館



お正月の山口帰省時に登城。本アプリを始めてから最寄駅の新山口駅(旧小郡駅)から最も近いお城で気になっていたので甥っ子の自転車を借りて出陣🚲目印にしたのが陶中央公園(トイレ🚻あり)でそこから城郭マークに向けて緩やかながらも長い坂道を進みました。途中、北川代官墓所の説明板(写真①)があったので北川清助の墓所(写真②)にお参り。北川清助のお墓がある墓地から陶氏館跡が間近に見えていました(写真③)
城跡ポイントに辿り着いたところ、正護寺が陶氏館跡でした(説明板:写真④⑤)写真⑤の説明板後半に記載されていた小郡代官所の正門を移設したという本堂正面の門(写真⑥)を眺めてみました。本堂(写真⑦)及び本堂前の説明板(写真⑧)も撮影。説明板の終盤に脱退騒動の時の銃弾の跡が本堂の柱に残っているとのことでした(口コミを書く時に銃弾の跡の記載に気付きました💦)当日陶氏館跡(正護寺)を訪れた際にはお寺の方がいらっしゃったので銃弾跡の柱の件を尋ねてみれば良かったと思いましたが後の祭りでした😢

陶氏館の周辺スポット情報

 正護寺(寺社・史跡)

 西圓寺(寺社・史跡)

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