右田ヶ岳城(みぎたがだけじょう)

右田ヶ岳城の基本情報

通称・別名

右田ヶ嶽城、右田城、右田岳城

所在地

山口県防府市上右田1708

旧国名

周防国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

なし

築城主

右田氏

築城年

鎌倉時代後期

主な改修者

主な城主

右田氏、南方就正(毛利氏家臣)

廃城年

安土桃山時代後期?

遺構

曲輪、堀切

指定文化財

再建造物

周辺の城

敷山城(山口県防府市)[3.5km]
陶氏館(山口県山口市)[12.1km]
障子ヶ岳城(山口県山口市)[12.9km]
大内氏城館(山口県山口市)[12.9km]
山口城(山口県山口市)[13.5km]
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米光城(山口県周南市)[17.0km]
白水山城(山口県山口市)[17.2km]
勝栄寺(山口県周南市)[19.4km]

右田ヶ岳城の解説文



右田ヶ岳城(みぎたがたけじょう)は、周防国佐波郡右田(山口県防府市)にあった日本の城(山城)。

概要 

右田ヶ岳の山頂に築城されており、頂上は東・中・西の3つに分かれている城。西部に本丸があり、その東下に二の丸がある。大内氏の本拠・山口防衛の要衝であり、急峻な右田ヶ岳により天然の要害となっていた。

沿革 

鎌倉時代末期に、大内氏の庶流・右田氏が築城し、代々在城した。

天文24年(1555年)に、陶晴賢が厳島の戦いで討死し、同年より毛利氏が周防・長門国への侵攻を開始した(防長経略)。その際に城主であった右田隆量は、野田長房と共に籠城したが、毛利元就の勧告に従い降伏して、毛利氏に仕えた。

後に毛利氏家臣の南方就正が城番として入城し、永禄12年(1569年)の大内輝弘の山口乱入(大内輝弘の乱)では、就正がこの城より出撃し、輝弘を撃退した。

その後の歴史は不明だが、江戸時代初期には廃城となっていた。

右田ヶ岳城の口コミ情報

2024年02月26日 気分爽快信濃守
右田ヶ岳城



予備知識がないなか早朝より登城してきました。攻城というよりは、山頂まで片道1.5時間の登山で、しっかりとした靴が必要です。
山頂の中峰が本丸と思っていましたが、西峰が本丸と後で知りました。西峰は頂上が平らなくらいで、これといった遺構は見当たりませんでした(眺めは良し)。
ハイカーの方が多く、晴れていると眼下の景色は素晴らしいです(雨天時は登山自体が危険です)。

①1/3地点の石船山から。左の西峰が本丸らしい
②途中で防府を見下ろした。凄い岩場が続く
③左が本丸西峰。右は山頂の中峰
④西峰と中峰の鞍部。天然の堀切?
⑤中峰の山頂部
⑥中峰南側は断崖絶壁
⑦中峰には観音堂のものらしい石垣
⑧西峰から中峰を見上げる

右田ヶ岳城の周辺スポット情報

 右田毛利邸(遺構・復元物)

 小郭(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 観光協会の説明板(碑・説明板)

 右田毛利家墓所(寺社・史跡)

 月の桂の庭(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 登山者駐車場(駐車場)

 登山者駐車場(駐車場)

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