勝栄寺(しょうえいじ)
勝栄寺の基本情報
通称・別名
- 勝榮寺
所在地
- 山口県周南市中央町古市北3-10
旧国名
- 周防国
分類・構造
- 城郭寺院
天守構造
- なし
築城主
- 陶弘政
築城年
- 正平5年〔南朝〕/観応元年〔北朝〕(1350)
主な改修者
- -
主な城主
- 陶氏
廃城年
- -
遺構
- 土塁
指定文化財
- 県史跡(勝栄寺土塁及び旧境内)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
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勝栄寺の口コミ情報
2026年03月18日 ᴿᴱᴰ副将軍
勝栄寺
土塁が良好に残る陶氏、毛利氏が利用した拠点⚔️
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。1350年頃に陶弘政により築かれたと云われます。
陶弘政は大内氏重臣であり、富田保を領して陶氏館を本拠としていました。鷲頭氏との戦いに備えるため、重臣の陶弘政を配したとされます。
陶弘政はら勝栄寺の開基となり、時宗の其阿上人により開山されたと云われます。
1555年の厳島合戦で毛利元就は陶晴賢を敗ると、1557年に大内氏の本拠である周防・長門の平定に乗り出すも、大内氏残党の蜂起が相次いだため毛利元就は長男の毛利隆元を伴って勝栄寺を本陣を構えて鎮圧をしました。
「三本の矢」で有名な三子教訓状は勝栄寺で書かれたものと云われます。
また、1592年には豊臣秀吉が 朝鮮出兵の際に陣を置いたとされ、寺門前の老松二本は豊臣秀吉が植えたものと伝わります。
見所
現在も勝栄寺の境内に土塁が残っており、「勝栄寺土塁及び旧境内」として県史跡に指定されています。
土塁の基底部は幅が約7~9mで、高さは約2.5mあり、土塁の外側には幅約6m、深さ約1.6mの濠が巡らされていたことが発掘調査により確認されています。
山号は「出城山」であることからも、出城としての城郭寺院の役目があったと考えられています。
土塁は北から西にかけて緩やかな弧を描いており、方形居館とは異なる丸みがかった長方形をしています。
2022年02月13日 織田上総介晃司
勝栄寺
勝栄寺の土塁の残る場所が駐車場となります。
ここで毛利元就が隆元・元春・隆景の三兄弟に教訓状(三矢の訓)を認めたと言われてます。
近くに永源山公園があり、旧・新南陽市のとき姉妹都市のオランダ・デルフザイル市にあるバルコニー風車を模して造られた「ゆめ風車」があります。投稿写真にもチラッと写ってます。
勝栄寺の周辺スポット情報
水堀跡(遺構・復元物)
土塁(遺構・復元物)
毛利元就教訓状発祥の地の碑(碑・説明板)
勝栄寺土塁及び旧境内説明板(碑・説明板)
勝栄寺説明板(碑・説明板)
勝栄寺土塁及び旧境内説明板(碑・説明板)
七尾山城(周辺城郭)
陶氏館(周辺城郭)
上野の城山(上野山城・徳善城・城山城)(周辺城郭)
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