須々万沼城(すすまぬまじょう)

須々万沼城の基本情報

通称・別名

沼城、遠徳山城、要害山

所在地

山口県周南市須々万本郷字要害

旧国名

周防国

分類・構造

輪郭式山城

天守構造

なし

築城主

不明

築城年

室町時代

主な改修者

主な城主

江良賢宣、山崎興盛、山崎隆次

廃城年

弘治3年(1557)

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑(沼城址)

周辺の城

徳山城(山口県周南市)[8.5km]
勝栄寺(山口県周南市)[11.0km]
米光城(山口県周南市)[12.7km]
若山城(山口県周南市)[13.6km]
藤掛山城(山口県周南市)[14.1km]

須々万沼城の解説文

須々万沼城 (すすまぬまじょう)は、周防国都濃郡、現在の山口県周南市須々万本郷にあった日本の城。

沿革
標高の低い丘の最上部に本丸を配した城で、険阻な城郭ではないが、当時は城の三方を沼に囲まれており、攻め難い城であったとされる。

概要
須々万沼城は室町時代に築かれたとされるが、築城者は不明。 戦国時代の弘治元年(1555年)からの毛利元就による防長経略では、鞍掛合戦に続く大きな戦となった。

大内氏の家臣・山崎興盛、江良賢宣らが籠城して、攻め寄せる毛利軍と度々戦った。小辻川を堰き止めて防備を強化して必死に抵抗したが、毛利軍は筵で沼を埋め立て、火縄銃で城内に射撃をして、城兵の戦意を喪失させていった。ついに弘治3年(1557年)に、城内へ毛利軍が乱入。城内に籠った一般人の老若男女1,500人(3,000人とする説もある)も斬殺され、城将山崎興盛・隆次親子は自害、城主の江良賢宣は城を出て降伏、須々万沼城は落城した。

城は落城後に廃城となったと思われる。

現在
現在の城跡は住宅や各種施設が建っており、遺構は残っていない。保福寺の正門前に説明板、裏手に沼城址の碑と説明板が建てられている。

なお、須々万地区を校区とする小学校は周南市立沼城(ぬまぎ)小学校で、沼城の名を校名にとどめて歴史を刻んでいる。

また、須々万にある山口県立徳山北高等学校の校歌にも「桜花 散るをも待たで沼城に 命を絶ちし名将の 心知らずや」の一節がある。

須々万沼城の口コミ情報

長門守みはえる様[2013年07月31日]
切ない感覚になりました

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