敷山城(しきやまじょう)

敷山城の基本情報

通称・別名

敷山験観寺

所在地

山口県防府市大字牟礼上敷山

旧国名

周防国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

不明

築城年

鎌倉時代中期[敷山験観寺]

主な改修者

主な城主

清尊・教乗

廃城年

遺構

曲輪、石垣、礎石、寺坊跡

指定文化財

国史跡(敷山城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

右田ヶ岳城(山口県防府市)[3.5km]
若山城(山口県周南市)[12.2km]
米光城(山口県周南市)[14.0km]
大内氏城館(山口県山口市)[15.4km]
陶氏館(山口県山口市)[15.6km]
障子ヶ岳城(山口県山口市)[15.7km]
勝栄寺(山口県周南市)[15.9km]
山口城(山口県山口市)[16.0km]
白水山城(山口県山口市)[17.5km]
古城ヶ岳城(山口県山口市)[17.6km]

敷山城の解説文

敷山城跡は、山口県防府市牟礼の北西にそびえる矢筈ケ岳(やはずがだけ)標高460mの南面8合目付近に位置し、元亀2年(1571)まで敷山験観寺(けんかんじ)が建っていたところである。

元弘3年(1333)、鎌倉幕府が滅び、後醍醐天皇による建武の新政が始まったが、天皇中心の政治に反対する足利尊氏が、延元元年(1336)1月に兵をあげた。周防・長門の武将の多くが尊氏に味方して上京するなか、周防国衙の役人で後醍醐天皇方の小目代清尊(しょうもくだいせいそん)・検非違使教乗(けびいしきょうじょう)らは、尊氏に敵対し、験観寺を城として立てこもった。

しかし、尊氏が差し向けた軍勢により、同年7月4日に陥落した。

現在は、清尊らが立てこもった本堂の礎石や数か所の坊跡、梵字岩などが残っている。

情報提供:防府市教育委員会教育部文化財課


敷山城の口コミ情報

2025年11月07日 尼崎城尾張守一口城主
敷山城



[進軍編]
11/3文化の日に敷山城(矢筈ヶ岳)に登城(登山⛰️)私事ながら毎年恒例の山口に帰省しての下関マラソン完走の翌日なぜか足が大丈夫だったので甥姪を城文化へと誘い(いざない)防府市に出陣。出発前、登り口を矢筈ヶ岳西側の森林公園からにしようかナビで出てくる南側からにしようか検討し🤔城郭マークが近そうな南側からのアプローチにしました。
大まかな山城の位置ですが写真①の「防府市観光案内図」(※下山後にお参りした阿弥陀寺にあった案内図)より敷山城(矢筈ヶ岳)をクローズアップ🗾防府天満宮や毛利庭園・博物館のあるエリアから山陽自動車道、国道2号線、山陽新幹線の幹線の北側にあります。写真①だと新幹線🚅のイラストから目線を上に上げていくと<敷山城跡>が見えてきます🔍※敷山城(矢筈ヶ岳)の左側に描かれている川(佐波川)の西側には本アプリ3000城に入っている右田ヶ岳城のある右田ヶ岳が描かれています⛰️
進軍に戻って、国道2号線からナビに従い交差点を曲がるとすぐに敷山城参道の道標が写真②→③→④の通りあったのでそちらに従い進みました。※写真④の前方は新幹線高架下を潜るルートで1.6mの高さ制限があります⚠️
登山口への坂道を上がっていく途中に墓石群や説明板(写真⑤)があったので停まってもらい説明板(写真⑥)を確認🔍説明文中盤に大内弘直公の名前があり、山口県出身の私の大内家・毛利家センサーが反応して弘直公が気になり調べました✅弘直公は大内氏第7代当主重弘の子・第8代当主弘幸の弟で建武3年7月7日死去の武将でした。
写真⑤⑥地点から再び山道を道なりに進んでいくと行き止まりスペースがG-マップの示す駐車場🅿️&登山口でした(写真⑦)。駐車場のスペースは写真⑧の通りで駐車台数は3台ほどかと思われます。

2025年11月07日 尼崎城尾張守一口城主
敷山城



[登城(山)前編]
駐車場から道標(写真①)に従って出発。※写真①の道標下部にスズメバチ🐝注意⚠️の貼り紙があり甥姪同伴だったので危険を感じたら引き返そうと思いながらスタート。登山口の階段を上がっていくと⬅︎忠魂碑・敷山城跡➡︎の道標(写真②)があったので先に忠魂碑(写真③)をお参り。写真②の道標から1分程で忠魂碑に到着。進軍編の写真⑥の説明板より南北朝争乱時代に後醍醐天皇の南朝側で戦った周防国府の役人の小目代・清尊、検非違使・教乗をはじめとする敷山城の戦いの戦死者の忠魂碑でした。忠魂碑の揮毫🖌️は公爵毛利元昭と刻まれていました。元昭公爵の父は幕末に毛利敬親公の養子となり長州藩14代(最後)藩主の元徳公でした。石碑は裏に昭和十五年に神武天皇即位二千六百年を記念して建てられたとありました。忠魂碑お参り後に敷山城跡を目指しました。
序盤は竹林🎋(写真④)を進み、竹林を抜けると保存会の方々が設けて下さった足場(写真⑤)やリボン(写真⑥)を頼りに進軍🥾写真⑥地点に先人方が積み上げた石の山があったので皆で1個ずつ追加積み上げました。
登山道を進む道中、両サイドに土塁状(写真⑦)のものが築かれ山城の雰囲気を感じられるところがありました。写真⑦の挟み撃ちゾーンを抜け、しばらく平坦ルート(写真⑧)を進んでいくと城跡碑が見えてきました。

2025年11月07日 尼崎城尾張守一口城主
敷山城



[登城(山)後編]
登城前編から引き続き進んでいくと城跡碑(写真①)に辿り着きました。城跡碑側面を確認すると昭和十一年七月建設とあり約90年の石碑でした。説明板(写真②)は令和六年三月で昨年設置されたものでした。
城跡碑から階段(写真③)を上がっていくと梵字岩🪨(写真④⑤)があり、この辺りが城郭マークの位置でした🏯
梵字岩からさらに上がった所に敷山験観音寺本堂跡(写真⑥⑦⑧)がありました。進軍編で載せた道標に敷山城址参道とありなぜ参道❓と疑問に思っていましたがこちらの祠があるからだと理解できました💡説明板(写真⑦)終盤に験観音寺跡は矢筈(やはず)ヶ岳の8合目に位置するとあったので祠(写真⑧)に向かって左側より山頂を目指しました⛰️

2025年11月07日 尼崎城尾張守一口城主
敷山城



[8合目〜山頂登山編]
登城後編の敷山験観音寺跡で矢筈ヶ岳8合目だったので山頂はもう少しかと思っていましたがここからがきつかったです💦足場の悪いところや岩場もありロープを頼りに登る場面もありました。甥っ子姪っ子も頑張ってくれて験観音寺跡からまず矢筈ヶ岳展望岩(写真①)に到着🪨こちらの岩でしばし休憩。こちらからの見晴らしはよく、まず向島方面(写真②左端の山が向島)を眺めてみました。次に佐波川方面(写真③)を眺めました。写真③の川の奥の山⛰️が本アプリ3000城に載っている右田ヶ岳城のある右田ヶ岳ですが城郭マークのある辺りは写真③左側の木🌲に隠れて見えませんでした😣
姪っ子が下山したそうな雰囲気だったので山頂はぶちええ景色が待っちょるから📣と励ましてさらに山頂を目指しました⛰️無事に山頂についたもの三角点付近は写真④⑤の通りで、予想に反して木々に囲まれて周囲の景色は見えず姪っ子に謝罪😢山頂の雰囲気から山城の詰めの城のような役割を果たしていたのかも知れないなと思えてきました。
山頂から登山口に引き返し始めて間も無く防府の町並みや南瀬戸内海がよく見え(写真⑥)、山陽自動車道や野島、向島が確認できました。
下山中、登山道の道標用のリボンが落下している箇所があり、落下したリボンを幹にくくりつける甥っ子の姿を見てオジバカで思わずうるっときてしまいました。

敷山城の周辺スポット情報

 梵字岩(遺構・復元物)

 験願寺跡(遺構・復元物)

 公設の説明板(碑・説明板)

 敷山城跡石碑(碑・説明板)

 忠魂碑(碑・説明板)

 茶臼山城(富海茶臼山城)(周辺城郭)

 旧毛利家本邸(寺社・史跡)

 敷山城登山口(駐車場)

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