門司城(もじじょう)

門司城の基本情報

通称・別名

門司関山城、門司ヶ関山城、亀城

所在地

福岡県北九州市門司区門司字古城山

旧国名

豊前国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

紀井通資

築城年

元暦2年(1185)

主な改修者

主な城主

紀井通資、門司(藤原)氏、大内氏、大友氏、毛利氏、細川氏

廃城年

元和3年(1617)

遺構

曲輪、石垣

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

下関前田台場(山口県下関市)[1.8km]
櫛崎城(山口県下関市)[4.2km]
猿喰城(福岡県北九州市)[6.8km]
勝山城(山口県下関市)[8.2km]
小倉城(福岡県北九州市)[12.0km]
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若松城(福岡県北九州市)[15.3km]
鬼ヶ城(山口県下関市)[15.7km]
豊前松山城(福岡県京都郡)[17.0km]

門司城の解説文



門司城(もじじょう)は、福岡県北九州市門司区大字門司字古城山(豊前国企救郡門司)にあった日本の城(山城)。城跡は和布刈公園として整備されている。

概要 

関門海峡を望む、標高175mの古城山の山頂に築かれた。本丸跡には砲台の土台が残っている。

沿革 

『豊前志』などの記述によれば、1185年(元暦2年)に平知盛が家臣の紀井通資に命じて築いたという。

1255年(建長7年)に藤原親房が豊前代官職として入城し、門司氏(もんじし)を名乗るようになった。南北朝時代には当城の門司親尚らが北朝、猿喰城の門司親頼が南朝に付いて門司氏は分裂している。

戦国時代には当城をめぐる攻防が続き、1430年(永享2年)に秋月春種と原田信朝が大内氏を攻めて当城を落とした。その後、大内氏の城として存続するも、1551年(天文19年)の大寧寺の変の後、厳島の戦い、防長経略を経て、毛利氏と大友氏の不可侵条約の条件として豊前国は大友領となり、門司城は大友氏の城となった。しかし、毛利氏は1558年(永禄元年)に小早川隆景を大将として門司城を攻撃。城を奪取し、仁保隆慰を城代とした。

1561年(永禄4年)には戸次鑑連、田原親堅、臼杵鑑速ら大友義鎮の軍勢・数万人が門司城を攻めた(門司城の戦い)が、毛利氏はこれを撃退している。この敗戦を契機に大友義鎮は出家して宗麟と号し、将軍足利義輝を仲介しての和睦交渉を進め、1564年(永禄7年)7月に尼子氏との戦いが激化た毛利氏との和睦が成立し、門司城は引き続き毛利氏の勢力下となった。

1600年(慶長5年)に細川忠興が豊前国に入ると、城を修築して長岡勘解由を城代におき、1617年(元和3年)に廃城となった。1892年(明治25年)に大日本帝国海軍の下関要塞が築かれたため遺構はほぼ壊滅したが、往事の石垣が一部残っている。

参考文献 

  • 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(40.福岡県)』、角川書店、1988年

門司城の口コミ情報

2022年05月31日 583系安房守きたぐに
門司城



城の歴史は源平の時代に遡り、1185年に平知盛の命により築いた城だそうです。古城山の山頂にあり、写真のように関門自動車道の関門橋より高い位置します。海峡が一望できるので水軍力に勝る平氏が最終決戦の地となるのを見越して築城したのでは?などと個人的には思ってます。

JR門司港駅から和布刈(めかり)公園の登城口まで約2キロ。十分歩けますが、門司港駅に隣接する平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線九州鉄道記念館駅からノーフォーク広場までトロッコ列車に乗ると1.5キロほど歩行距離を短縮できます。ただし、最高速度15キロなので、時間は短縮できません。また、基本、土日のみの運行です。登城路は、基本、遊歩道ではなく、車道の端なので、だらだらした坂をぐるぐる回って登ることになり、標高175mしかないのに、精神的にしんどく感じます。

古城山山頂は1617年の廃城後に日本軍の施設となったり、現在もNTTが施設として利用していますので、明らかに日本軍の施設跡だなと思えるものがあるほか、古そうな石積や郭かなと思える削平地もあるのですが、城の時代のものかは私のような素人にはわかりませんでした。

木の繁り具合から、山頂からの景色は一方向にしか効かず、途中の展望台からの方が眺望がいいぐらいです。
「これは、リア攻め以外は山頂まで登る意味はあまりないな」というのが、登って下りてきた感想です…って、ワシ、リア攻めポチるの忘れとるがな。

2022年03月20日 うっきー
門司城



門司港駅から歩いて40分ほど。比高はそれほどでもないのですが、やたらと時間がかかりました。

2021年05月01日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
丸山城[門司城  周辺城郭]

「豊前新大鑑」には、城跡は円形の山で頂上はやや平坦にしてなお柱石及び古井戸等が存在し、白江山中より連なる山脈の中腹にかけて溝のような跡があり、これが水路といわれると記述されているようです。
「豊前国戦国事典」によると、付近に土塁や碑石と思われる大きな石が散在しているとありました。
文明年間(1469-1487)に大積上総介隆鎮が築城したと伝えられているそうです。

2021年05月01日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
金山城[門司城  周辺城郭]

「豊前国戦国事典」によると、文治年間(1185-1190)、門司下総前司親房が門司城の出城として築城したとありました。
巨岩が天然の城壁となっていて空堀等が残っているそうです。
永禄4(1561)年の門司合戦の時に毛利軍が大友軍との戦いに備えて修築したと考えられているようです。

2021年05月01日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
三角山城[門司城  周辺城郭]

「豊前国戦国事典」には、鎌倉時代の初期に門司下総前司親房が門司城の出城として築いた城で、腰曲輪、出丸城壁に石垣が残っているそうです。
戦国時代になると毛利氏の出城となっていたとありました。

2021年05月01日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
東明寺城[門司城  周辺城郭]

「豊前国戦国事典」によると、戦国時代の山城で遺構もよく残っているそうです。
永禄2(1559)年、大友氏が規矩郡を勢力図に収めた時に門司城主に仁保帯刀を配置し、その出城として築かれたようです。
しかし『豊前誌』によると、大内氏が城を築き、仁保常陸介にこの城を守らせたとあるようです。

2019年07月31日 織田上総介晃司
門司城

めかり公園に駐車場がありますが一方通行になっており、登った道を下りることはできません。

和布刈(めかり)って当て字かっ!

2018年05月26日 cinelli2
門司城

めかり公園への連絡道路を進むと駐車場があり、その脇に城跡への案内板があります。そこを登って行けばしばらくして門司城の石柱があります。

2016年10月12日 カーネル
門司城

鹿児島本線の門司港駅より

県道261を北上します
門司城まで道なりに歩くと遠回りなので、真光寺の前を通り山へ向かう道を進むと、急な階段になります
これを登りなぞの施設(たぶん関門トンネルの排気塔)の脇を歩くと、林道を経てお城の東の車道に出れます

車道にでたら反時計回りに進むと近いですが、時計回りに進むと、関門海峡を見下ろせる展望台からの景色がキレイなのでお薦めです
さらに時計回りに、グルグル回りながら登り続けると、山頂の本丸です

ここには立派な石碑が立ってます。帰りもショートカットできる急階段から県道261に向かい、門司港駅に戻りました。早歩きで往復1時間半でした

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです


2012年06月04日 あぶり餅征夷大将軍
門司城

門司港レトロ展望台の北側にレンタサイクルターミナルあり。電動付自転車を借りれば城跡まで楽に登れるかな。レンタル料金は1日500円。関門人道トンネルを抜ければ檀ノ浦古戦場跡からもまた違った眺めも楽しめます。

門司城の周辺スポット情報

 東明寺城(周辺城郭)

 三角山城(周辺城郭)

 金山城(周辺城郭)

 丸山城(周辺城郭)

 駐車場(駐車場)

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