花尾城(はなおじょう)

花尾城の基本情報

通称・別名

所在地

福岡県北九州市八幡西区大字熊手

旧国名

筑前国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

築城主

宇都宮重業

築城年

建久5年(1194)

主な改修者

主な城主

麻生氏

廃城年

天正14年(1586)

遺構

曲輪、石塁、井戸跡、堀切、竪堀

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

黒崎城(福岡県北九州市)[2.5km]
大三ヶ岳城(福岡県北九州市)[4.2km]
畑城(福岡県北九州市)[5.6km]
花房山城(福岡県北九州市)[6.0km]
若松城(福岡県北九州市)[6.7km]

花尾城の解説文

花尾城(はなおじょう)は、福岡県北九州市八幡西区にあった日本の城である。本丸は標高351メートルの花尾山 (福岡県)山頂に位置する。

沿革
建久5年(1194年)、麻生氏の祖・宇都宮重業によって築城された。 文明10年(1478年)、麻生家信(家延)と弘家(ひろいえ)との家督争いに大内政弘が介入、篭城する家信を攻めたが3年間落城させられず、和議により家信は遠賀荘を得て岡城へ退き、弘家が城主となる。

その後、城主の麻生弥五郎なる人物(詳細不詳)を追放した大内義隆が奪うが、城主となった相良武任が陶隆房(陶晴賢)の反乱(大寧寺の変)により殺害されると再び麻生氏に帰し、麻生鎮里(しげさと、家信の子、元・水晶城主)が城主となる。しかし鎮里は、永禄10年(1567年)、対立していた一族の麻生隆実(たかざね、遠賀郡山鹿城主)と戦うも、宗像氏貞の支援を得た隆実に敗れ、城を出て薩摩の島津氏の許へ逃れた。

天正14年(1586年)、豊臣秀吉の九州征伐で、麻生家氏(いえうじ、隆実の子とされる)は降伏して筑後へ所替えになり、小早川隆景の領有となって廃城になった。 現在は花尾山城公園として整備され、竪堀、石塁、井戸跡などの遺構が見られる。黒崎駅前には想像模型が、市内の龍潜寺には戦死者供養碑がある。

構造
大小12郭から成る、連郭式山城。

アクセス
西鉄黒崎バスセンター から西鉄バス、「花尾城東登山口」下車、遊歩道徒歩20分。

脚注・参考文献
『筑前国続風土記』1703年

花尾城の口コミ情報

三河守コーキしゃん様[2013年12月15日]
ピンの位置より北側の路地を花尾公園方面へ登って行くと
「花尾公園花尾城址」の看板があり、看板の前に2〜3台程度停めれる駐車スペースがあります。

各所に石垣があり、下の段東側の大堀切は迫力満点で
特に石組みの井戸は竪堀や登り石垣らしき石積みに囲まれて厳重極まりなく、とても見応えがあります。

公園として整備されているので、女性でもハイキング気分で山城を堪能できるとてもいいお城です。

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