山鹿城(やまがじょう)

山鹿城の基本情報

通称・別名

所在地

福岡県遠賀郡芦屋町山鹿(城山公園)

旧国名

筑前国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

藤原藤次

築城年

天慶年間(938〜947)

主な改修者

主な城主

山鹿氏、麻生氏

廃城年

天正15年(1587)頃

遺構

曲輪、土塁

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

岡城(福岡県遠賀郡)[7.6km]
花房山城(福岡県北九州市)[7.8km]
猫城(福岡県中間市)[9.4km]
黒崎城(福岡県北九州市)[10.0km]
蔦ヶ嶽城(福岡県宗像市)[11.4km]

山鹿城の解説文

山鹿城(やまがじょう)は福岡県に存在した山城。

概要
福岡県遠賀郡芦屋町の標高40mの丘陵上にあり、遠賀川河口部に位置する水運の要衝だった。城跡は北西・東南方向が主軸となっており、本丸と二の丸はそれぞれ60×20m、70×30mほどの広さだった。本丸南の急斜面の下にはかつて三の丸があり、現在は白山神社となっている。

歴史
天慶年間に鎮西奉行となった藤原秀郷の弟・藤原藤次により、築城された。藤次は姓を山鹿に改め、山鹿氏は当城を代々の居城とした。寿永2年(1183年)の平家の都落ちの際には、安徳天皇をはじめ平氏一門を山鹿秀遠が当地に迎えた。秀遠は平氏とともに敗れ、当城も鎌倉幕府に没収された。

鎌倉時代には宇都宮家政に山鹿氏の旧領が与えられ、以後は山鹿姓を名乗った。室町時代には庶流の麻生氏が花尾城で権勢を伸ばし、本家の山鹿氏も支配下に入った。やがて大内氏が北九州方面に進出すると、麻生氏とともに麾下に組み込まれた。戦国時代には麻生氏の出城となり、天正15年(1587年)の豊臣秀吉による九州征伐後は廃城となった。

参考文献
角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(40.福岡県)』、角川書店、1988年

山鹿城の口コミ情報

左近衛少将お砂糖くん様[2017年09月24日]
麓のヨットハーバーに城山公園の駐車場があります。駐車場からすぐのとこに階段あり、そこから攻城できます。

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