岡城(おかじょう)
岡城の基本情報
通称・別名
- 筑前岡城、宗像岡城、腰山城
所在地
- 福岡県遠賀郡岡垣町吉木字矢口
旧国名
- 筑前国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 麻生家延(家信)
築城年
- 文明年間(1469〜1487)
主な改修者
- -
主な城主
- 麻生氏、宗像氏、瓜生貞延
廃城年
- 不明
遺構
- 曲輪、土塁、堀切
指定文化財
- 町史跡(岡城址)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
蔦ヶ嶽城(福岡県宗像市)[4.5km]
山鹿城(福岡県遠賀郡)[7.6km]
片脇城(福岡県宗像市)[9.4km]
猫城(福岡県中間市)[9.4km]
許斐山城(福岡県宗像市)[10.8km]
花房山城(福岡県北九州市)[14.8km]
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花尾城(福岡県北九州市)[16.8km]
直方陣屋(福岡県直方市)[17.3km]
岡城の解説文
[引用元:Wikipedia「岡城」の項目]
岡城(おかじょう)は、福岡県遠賀郡岡垣町にあった日本の城(山城)。他の岡城と区別するために、筑前岡城、宗像岡城とも呼ばれる。標高約40メートルの丘陵上に位置する。岡垣町指定史跡。
概要
文明年間に、足利義政の命を受けた大内義弘の命によって麻生氏が築城した。 16世紀前半に、麻生隆守の居城となる。 天文15年(1546年)に北上を開始した大友宗麟に与した瓜生貞延に攻められ落城し、隆守は自害した。以後は貞延が統治。
アクセス
- 西鉄バス「吉木小学校前」より徒歩5分。
参考文献
- 日本歴史地名大系(オンライン版) 小学館 (『日本歴史地名大系』 平凡社、1979年-2002年 を基にしたデータベース)
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岡城の口コミ情報
2023年05月25日 源山城守@ポンコ2…
表示看板と説明板[岡城 碑・説明板]
「岡城跡」の看板立つ向い側の古墳隣接の門田溜池前の道を下ったところに駐車スペースがあり、そこへ駐車しました。先に2台駐車してたので3台は大丈夫です。
看板そばに縄張り図付の案内板があり、それを参考に擬木の階段を上って尾根を進むと堀切や切岸が現れ、切岸上が本丸になります。切岸は急峻になっており、擬木設置の部分は緩やかになってます。
本丸は南北35m×東西15mの平坦地で、東屋やベンチが設置され石造物の祠があったりします。
北側の1段下った平坦地が二ノ丸で南北15m×東西8mの広さ、周囲をお地蔵様が取り囲み、真ん中の石柱上にお坊様の石像があって、不思議な感覚になりました。
二ノ丸の西側を下りると、南の本丸まで続く帯曲輪があり、二ノ丸の北側下には南北7m×東西10mほどで一番小さな曲輪の三ノ丸があります。ここもベンチが置かれており、西側には虎口らしきものがあり、道路へ下りられました。
三ノ丸から本丸方向へ東側を歩くと途中で下に行け、その先には最後の城主麻生隆守の菩提を弔った「隆守院」に続きます。
小規模な城郭ですが、遺構や地形など見所があるお城でした。所要時間30分です。
2021年10月25日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
岡城
とても興味深い城です。
The山城というまさに中世の城で、石垣はなく惣土構えの山城(比高が40㍍程度とあったので平山城に分類されるでしょうか)です。しかも城域的には城というより砦という感じでした。
そんなとても小振りな城ですが、切岸はかなりの急傾斜なので甲冑を着て登るのはほぼ不可能なのではないかと思います。
そして取り分け興味深かったのは、城の登城口としての虎口と本丸へと続く虎口との間に(そんなに高くないですが)土塁が少し築かれているように見受けられました。
つまり、馬出としての機能を有していると思われる点です。しかも平城の馬出とは違い、山城のものなので角度があり天然の櫓のような感じで防御できたのではないかと思われます。
ただ本丸も二の丸も小さな曲輪なので100名程も兵を駐屯させれないように感じましたし、そのため兵糧を蓄えるスペースもないと思われるので、数百程の軍勢で囲まれて兵糧攻めされると早々に落城しそうな気がしました。
そんな城域の狭い城ですが、城の向かい側には門田古墳もあったりするので、リア攻めにはかなりお勧めのお城だと感じました。
近くにはこの城のための駐車場はないですが、近くに1台分のスペースがあったのでそこに停めました。また古墳のところにも少しの間なら停めれそうです。
2021年01月31日 のりンゴ豊後守
岡城
2021.1.31現在、海老津駅からのバスでは「吉木小学校前」バス停は見つけられず、「吉木」で降りて5分程度で登城口入口に着きました。
2017年09月24日 摂津守お砂糖くん
岡城
道向かいの池に古墳の駐車場がありますが、看板も無いのでわかりにくいです。