蔦ヶ嶽城(つたがたけじょう)

蔦ヶ嶽城の基本情報

通称・別名

蔦岳城

所在地

福岡県宗像市陵厳寺

旧国名

筑前国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

宗像妙忠

築城年

永禄3年(1560)

主な改修者

宗像氏貞

主な城主

宗像氏

廃城年

天正16年(1588)

遺構

曲輪、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

周辺の城

岡城(福岡県遠賀郡)[4.5km]
片脇城(福岡県宗像市)[7.4km]
猫城(福岡県中間市)[9.1km]
山鹿城(福岡県遠賀郡)[11.4km]
米多比城(福岡県古賀市)[12.2km]

蔦ヶ嶽城の解説文

第6代・宗像大宮司宗像妙忠が築城し、第54代宗像大宮司宗像氏俊、第79代宗像大宮司宗像氏貞が改修を行う。氏貞の改修は大規模なもので、尾根を削平し多数の曲輪を造成。曲輪群は南北800m以上、東西1km以上に及び福岡県内では屈指の大城郭である。曲輪の斜面には高石垣は無いものの切岸になっており、その下方には畝条竪堀としては北部九州最多クラスの170条の竪堀が設けられ、堀切と共に、尾根伝いに侵攻することが困難な構造になっていた。

戦国末期に宗像氏貞による大改修と共に岳山の城と名付けられ戦国大名の宗像氏の居城となったが、九州征伐の帰途に立ち寄った豊臣秀吉の命により廃城となった。この時に櫓や石垣を破却したとされる占部貞保の記録が残っている。現在目立つ痕跡は本丸跡南側に、わずかに野良積みの石塁が残るのみであるが、土塁、堀切、竪堀の痕跡は残っており、山頂付近では登山に苦労する者も見られる。

尚、二の丸跡に残る石垣は、昭和14年に建設された青少年修養道場「城山閣」のものであり、宗像氏の城とは直接の関係は無い。

歴史
1336年、足利尊氏が、多々良浜の戦いの際に入城する。
1370年に荒廃していた蔦ヶ嶽城を第54代宗像大宮司・宗像氏俊が修築し、入城した。
1561年に第79代宗像大宮司宗像氏貞が大改修。名を岳山城とし、居城とした。
1569年、大友氏の家臣の立花氏による侵略を受けるも、撃退する。
1586年3月4日に、岳山(蔦ヶ嶽)城で氏貞が42年の生涯に幕を閉じ、宗像家が断絶する。
1588年、九州征伐の帰途で赤間にたちよった豊臣秀吉の命により廃城となる。

蔦ヶ嶽城の口コミ情報

カーネル様[2017年04月25日]
鹿児島本線教育大前駅。改札を出ると周辺案内図があり、城山登山口まで1kmの案内があります

改札を出たら北の大通りを渡ります。次いで教育大の回りを、時計回りに歩くことになります
かすれた文字で←登山口の看板もあったりします。新明池を過ぎると林道は登りへ

教育大の北側に、駐車場と水場と登山口があり、ここから山頂まで1kmです

最初の段差のある階段はキツイですが、あと~mという案内がでるのがうれしい
分岐が多数ありますが、道は整備されているし、城山頂上の文字に従えば迷うことはありません
頂上に近づくと、曲輪っぽい広場が階段状になってます。駅から40分で山頂着

山頂は広かったです。記念撮影して帰りました
駅から往復して1時間半弱でした

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