許斐山城(このみやまじょう)
許斐山城の基本情報
通称・別名
- 許斐岳城、許斐岳嶽、許斐城
所在地
- 福岡県宗像市王丸/福津市八並
旧国名
- 筑前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 宗像氏平
築城年
- 大治年間(1126〜1131)
主な改修者
- -
主な城主
- 許斐(宗像)氏、占部氏(宗像氏家臣)
廃城年
- 天正15年(1587)
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
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許斐山城の解説文
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【遺構】
宗像市と福津市の市境にそびえる許斐山の山頂に位置する。別名、許斐岳(嶽)城、許斐城ともいう。
本丸である山頂には王子神社の祠があり、一段下がった場所に二の丸、さらに馬場と呼ばれる広い曲輪が存在する。周囲には多くの帯曲輪や堀切が残る。
また、城内には金魚池という名の付いた用水池があり、ここにも土塁、空堀などの遺構を見ることができる。
【歴史】
大治年間(1126~1131)に宗像大宮司15代・氏平が築城し、宗像一族の許斐氏の居城となった。
永禄3年(1560)、戸次鑑連(立花道雪)を始めとする大友勢が宗像領に押し寄せた際には、許斐山城の占部(うらべ)尚安らの奮戦でこれを撃退している。
その後も数度にわたって大友勢を退けた宗像氏だったが、天正11年(1583)の立花道雪・高橋紹運らによる侵攻で許斐山城はついに落城し、守将の宗像民部は城を捨てて逃亡したという。その後の豊臣秀吉による九州平定により城は廃された。
【交通】
・JR鹿児島本線東郷駅から車で約10分
【参考文献】
・『日本城郭大系 第18巻』新人物往来社、1980年。
・『神郡宗像 第14号』宗像大社、2018年。
・『週刊日本の城』デアゴスティーニ・ジャパン、2013年。