許斐山城(このみやまじょう)

許斐山城の基本情報

通称・別名

許斐岳城、許斐岳嶽、許斐城

所在地

福岡県宗像市王丸/福津市八並

旧国名

筑前国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

宗像氏平

築城年

大治年間(1126〜1131)

主な改修者

主な城主

許斐(宗像)氏、占部氏(宗像氏家臣)

廃城年

天正15年(1587)

遺構

曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

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許斐山城の解説文

※この城郭は2019年4月6日に名称と位置が変更となりました。

許斐山城(このみやまじょう)は福岡県宗像市王丸にあった城である。

遺構
宗像市と福津市の市境にそびえる許斐山の山頂に位置する。別名、許斐岳(嶽)城、許斐城ともいう。

本丸である山頂には王子神社の祠があり、一段下がった場所に二の丸、さらに馬場と呼ばれる広い曲輪が存在する(『大系』)。周囲には多くの帯曲輪や堀切が残る。

また、城内には金魚池という名の付いた用水池があり、ここにも土塁、空堀などの遺構を見ることができる。

歴史
大治年間(1126~1131)に宗像大宮司15代・氏平が築城し、宗像一族の許斐氏の居城となった(『大系』)。

永禄3年(1560)、戸次鑑連(立花道雪)を始めとする大友勢が宗像領に押し寄せた際には、許斐山城の占部(うらべ)尚安らの奮戦でこれを撃退している(『神宗』)。

その後も数度にわたって大友勢を退けた宗像氏だったが、天正11年(1583)の立花道雪・高橋紹運らによる侵攻で許斐山城はついに落城し、守将の宗像民部は城を捨てて逃亡したという(『大系』)。その後の豊臣秀吉による九州平定により城は廃された。

交通
JR鹿児島本線東郷駅から車で約10分

参考文献
『大系』:『日本城郭大系 第18巻』新人物往来社、1980年。
『神宗』:『神郡宗像 第14号』宗像大社、2018年。
『週日』:『週刊日本の城』デアゴスティーニ・ジャパン、2013年。

許斐山城の口コミ情報

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