名島城(なじまじょう)

名島城の基本情報

通称・別名

所在地

福岡県福岡市東区名島1-15他

旧国名

筑前国

分類・構造

連郭式平山城(海城)

天守構造

不明(天守台あり)

築城主

立花鑑載

築城年

天文年間(1532〜1555)

主な改修者

小早川隆景

主な城主

立花氏、小早川隆景、小早川秀秋、黒田長政

廃城年

慶長6年(1601)

遺構

曲輪、石垣、天守台、土塁、移築門(福岡城・崇福寺・宗生寺)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

御飯ノ山城(福岡県福岡市)[3.5km]
立花城(福岡県福岡市)[5.6km]
須崎台場(福岡県福岡市)[5.9km]
波奈台場(福岡県福岡市)[6.7km]
丸山城(福岡県糟屋郡)[6.9km]
福岡城(福岡県福岡市)[7.8km]
稲居塚城(福岡県福岡市)[9.3km]
古野城(福岡県福岡市)[10.2km]
姪浜城(福岡県福岡市)[10.7km]
高鳥居城(福岡県糟屋郡)[10.7km]

名島城の解説文



名島城(なじまじょう)は、福岡県福岡市東区名島(筑前国名島)にあった日本の城。

概要 

博多湾に突き出した標高50mの丘陵に築かれ、三方を海に囲まれた東西300m×南北100mの土地に、北に本丸(区画の外に南丸と呼ばれる場所がある)、南に二の丸(区画内の一部を三の丸とする)の二つの郭で構成されていた。安芸国三原城と同様、水軍の根拠地(水城)としての性格の強い城であった。『筑前国続風土記』によれば、本丸よりも二の丸の区画の方が大きかったという。

沿革 

豊前国の戦国大名大友氏の庶流であった立花氏当主立花鑑載が立花山城の出城として築城したことが始まりとされる。天正15年(1587年)に島津氏を降伏させ、九州平定を果たした豊臣秀吉は、筑前国や近隣諸国を毛利氏の重臣であった小早川隆景に与えた。

小早川隆景は城地の選定にあたり、海に近く水軍の本拠とできる城の築城を計画し、この立花山城の出城であった名島城を大改修して居城とした。また、これには豊臣秀吉自らの指示もあったとされ、九州に異変があった際には中国の毛利氏より速やかに救援を送れるようにとの思惑があった。文禄・慶長の役の際には豊臣秀吉が淀殿を伴い、この城に立ち寄り宿泊している。同役に参加するために肥前国名護屋城に向かっていた常陸国の大名佐竹義宣の家臣の平塚滝俊が、旅中に通過した名島城について、島に構築された水軍城であること、城下町が形成されていたこと、城に直接大船を接岸できる構造であること、石垣と天守が立派であったことなどを書き残している。

後に小早川隆景は、養子とした小早川秀秋に家督を譲り、この名島城から退去して三原城に戻った。秀秋は小早川家の新たな当主として名島城に入り、城主となった。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの結果、小早川秀秋は岡山51万石に加増転封され、この筑前国には豊前国中津から黒田長政が入った。長政は立地的に城下町の整備の余裕が無い名島城を廃城とし、近隣の福崎に新城の築城を決定した。そのため名島城の建物は建材として、石垣は石材として持ち出され福岡城の資材となった。また城の一部が移築され、「名島門」の名で大濠公園と平和台陸上競技場の間に現存している。小早川隆景が筑前における菩提寺としてお墓が残る宗生寺(宗像市)の山門として搦め手門を移築、後の藩主黒田一門の菩提寺崇福寺唐門など遺構が残る。

なお、旧名島城にあった襖絵や障壁画などは、現在、京都国立博物館に所蔵されている。

現状 

城跡の多くが住宅地となり、天守台の一部や名島神社にその名残を留める。

福岡市では地元の要望により名島神社に隣接する高台部の民有地を購入し、名島城址公園として整備し2012年4月に開園した。案内の看板なども設置され、史跡としての体裁が整えられた。園内の桜の木は枝が地面のすぐ上にあり地を這うように伸びているのが特徴で、「臥龍桜」の愛称が付けられている[1]

また、福岡城などへの移築に伴い、残っていないとされていた城の遺構も発掘により発見され現地で公開されている。

アクセス 

最寄りの鉄道の駅は西鉄貝塚線の名島駅であるが距離が1km以上あるため、 市内中心部の天神郵便局前から西鉄バスを利用して名島運動公園前で下車する方が楽である。 名島運動公園前に停車するバスの殆どは都市高速道路経由で天神からの所要時間は15分程度。 名島神社境内から名島城址公園に入ることができる。

名島城址公園の開放時間は、4月~9月 9:00~19:00、10月~3月 9:00~17:00、無料。

なお、以前はあった駐車場は無くなった為、公共交通機関でのアクセスが必須である。

参考文献 

  • 福岡県の城郭 ― 戦国城郭を行く(福岡県の城郭刊行会)
  • 福岡県の城 (著者:広崎篤夫)
  • 【書籍】「日本城郭大系, 福岡・熊本・鹿児島」

名島城の口コミ情報

2024年05月03日 noble左近衛大将弥勒菩薩
名島城



そんなに古い城郭ではないのですが、福岡城へ置き換えられてしまった事により、遺構はほぼ残っていません。

一段下がった神社が弁天曲輪、そこに車を止めさせてもらえます。神社の方に一声はかけましょう。

本丸は高台の公園で、隅櫓及び大手の辺りに、ごくごく一部だけ石垣が残存しています。
二の丸と三の丸は住宅街と化しています。

よく見ると、不自然に深い小道など、海から繋がった堀の痕跡なのでは?と思しき地形も見えてきます。古地図とにらめっこをしながら歩きましょう。

神社周辺、道は狭いので気を付けましょう!

2023年05月15日 yasu
名島城



海沿いの名島神社登り口から登城。小早川隆景が築城したんですね!眺めは結構いいです。標高は低く、散策レベルで行けます。

2022年05月14日 薩摩安房守義弘維新斎
名島城



豊臣秀吉公が九州平定したおり、小早川隆景へ与えた城。JR千早駅から徒歩約20分程でアクセス。小高い丘にある城跡は、殆どの遺構は黒田長政が福岡城築城の際に移築し、隅櫓跡、大手石垣等が現存。公園となった城跡からは、海がよく見えて眺望よし。博多は、福岡城が有名なため、この城の存在を知りませんでした。

2022年02月13日 織田上総介晃司
名島城

名島神社の駐車場に停車。「駐車料金¥500」とあるので社務所へ行くと「短時間でしたら駐車代は要りません」との事。

名島神社奥の階段より名島城公園へ。
利用時間は冬期9:00〜16:00夏期9:00〜19:00
時間外は施錠されます。
ホームレスのかたが住み着くのを防ぐためだそうです。

昼になったので「ラーメン大好き小池さん」の私としては博多ラーメンを食べるとこだが、グッとこらえて福岡うどんへ。
「コシがなく柔らかい福岡うどん」と言われますが、どの店もモチモチ感を第一にしてるそうです。

タモリさんが以前「コシのあるうどんはうどんじゃない」と仰る意味がわかる気がしました。

2021年05月25日 ❖榊原右京大夫tenten
名島城



名島城跡の前に広がる海岸は静かです。
城跡にいくには神社裏より階段で上がればすぐです。

2019年06月13日 虹雷 大宰大弐 サンダー
名島城



広場からは立花山や多々良浜古戦場跡方面、名島神社からは鳥居越しの海が見えます。一望できるいいロケーションです。

2012年11月09日 きたろう三世
名島城

名島神社と奥野大地に遺構が残る。明確な遺構は少ないが、石垣や櫓台の一部や海に面した立地が確認できる。所用時間は20分程度。すぐ近くに神功皇后縁の帆柱石がある。

名島城の周辺スポット情報

 本丸(遺構・復元物)

 隅櫓跡(遺構・復元物)

 本丸石垣遺構(遺構・復元物)

 名島城址公園(碑・説明板)

 豊川稲荷神社(寺社・史跡)

 足利尊氏本陣跡(寺社・史跡)

 駐車場(駐車場)

 名島城跡公園(関連施設)

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