波奈台場(はなだいば)

波奈台場の基本情報

通称・別名

波奈砲台

所在地

福岡県福岡市中央区港3丁目

旧国名

筑前国

分類・構造

台場

天守構造

なし

築城主

福岡藩

築城年

文久3年(1863)

主な改修者

主な城主

福岡藩

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

周辺の城

福岡城(福岡県福岡市)[1.5km]
須崎台場(福岡県福岡市)[1.6km]
姪浜城(福岡県福岡市)[4.5km]
小田部城(福岡県福岡市)[5.9km]
古野城(福岡県福岡市)[6.3km]

波奈台場の解説文

※この城郭は2018年4月6日に名称と位置が変更となりました。

台場とは、防禦の目的をもって大砲を据え付けるための構造物を指す。海岸や河岸の台地など、海防上枢要の地に置かれたものが多い。初期の台場として長崎の台場が知られるが、これは承応3年(1654年)に初めて築造されたものである。その後200年の時を経、ペリーが浦賀に来航したことで幕府・諸藩の海防意識が高まり、攘夷思想の影響もあいまって日本各地で台場が築造されていった。

築造の経緯
2度目のペリー来航ののち、安政元年(1854年)8月1日、福岡藩は海岸枢要の地、およそ10か所に台場を建設する許可を幕府に願い出た。実地検分は安政2年(1855年)より始まり、安政3年(1856年)には少なくとも一部が完成したと見え、3ヶ所の台場に大砲17門を積みまわした記事が残る。万延元年(1860年)には志賀島・能古島の台場が完成、文久元年(1861年)4月12日には、志賀島・能古島・荒戸山に大砲が設置された。その後、攘夷運動の高まりとともに諸藩で台場築造の動きが加速、福岡藩でも領内各所に台場が設けられ、異国船来襲に備えている。台場が置かれたのは主に、洞海湾の入口、遠賀川河口、そして福岡・博多を守る枢要の地で、その築造にあたっては海底の測量も行ったという。また台場の築造工事と並行して、能古島・志賀島間(約2キロメートル)に大造筏を組並べて海路を塞ぐことが計画され、筏は文久3年(1863年)冬までに完成、有事の際にはいつでも設置できるよう、格納されていた。

福岡城下の台場
福岡城下に築造された台場のうち波奈・洲崎の台場は特に規模が大きなもので、福岡城防衛という役割を担っていたと考えられている。築造工事は文久3年(1863年)4月7日より始まり、足軽も含め、家中総出で築造にあたり、福岡・博多のみならず、農村・漁村からも人夫、あるいは人夫に支払う賃銭を拠出したという。藩主も自ら見分にあたり、「中々大そうの御事」であったと伝わる。波奈の台場は6月20日に完成したが、これは寛政12年(1800年)から享和2年(1802年)にかけて築造された人工島を一部改修したものである。一方、洲崎の台場は文久3年(1863年)10月に完成、大砲24~25門が据え付けられた。一般に台場の平面形状は不等辺多角形であることが多いが、波奈・洲崎の台場はいずれも、弧を描くように塁線がカーブしているのが特徴であり、いわゆる稜堡式築城とは異なるものである。波奈・洲崎の台場に加え、元治元年(1864年)8月には福岡・博多の海岸5ヵ所に土俵台場が築造された。その後さらに増設されたと見え、幕末頃の「福岡城之図」には福岡・博多の海岸に12か所の小規模な台場が図示される。

波奈台場の口コミ情報

口コミがまだ投稿されていません。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore