白山城
白山城([蔦ヶ嶽城 周辺城郭])
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白山城の口コミ情報
2023年04月06日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
福岡県の宗像市にある【白山城】♪孔大寺山より南西に伸びた中腹の尾根、標高319mの白山山頂を城域としました♪宗像大宮司である宗像氏の城郭です♪
この城郭は宗像氏国によって築城♪父である宗像氏実の時代は源平合戦の時で宗像大宮司家は源氏方として力を注ぎ、後に御家人として活躍しました♪
文治5年に宗像氏実は宗像大宮司職を、子の宗像氏国に譲っています♪宗像氏国は本拠地をコノ白山へ移し居城♪
宗像氏国は白山城を本拠地にして後に戦国時代に宗像氏貞が蔦ヶ嶽城を再築するまでの380年間もの間、宗像家の本城として、その役割を果たしました♪
白山城主・宗像氏国は鎌倉時代に子の宗像氏重に大宮司職を譲ると宗像大社の南背後にある片脇城へ移り白山城は宗像氏重の居城になっています☆
更に南北朝時代に入ると宗像大宮司の宗像範氏は京都で新田義貞、北畠顕家らに破れて九州に逃れた足利尊氏を白山城に迎えています☆その後、足利尊氏は多々良浜へ出陣し南朝主力、菊池武敏を撃破しています☆戦国時代に入ると宗像正氏は周防国の大内氏に従い大内家の重臣・陶晴賢の謀叛に遭った大内義隆が長門大寧寺で自刃した事に殉じています☆
この出来事により宗像家では内紛が発生☆長門にいて陶晴賢の支援をうけた宗像家の鍋寿丸☆鍋寿丸は白山城に拠って蔦ヶ岳城を居城とした同じく宗像家の千代松と対峙しています☆
2人の宗像家の家督相続争いは陶晴賢が支援した鍋寿丸に軍配が上がりました☆その後、鍋寿丸は宗像大宮司職を継ぎ宗像氏貞を名乗っています♪
永禄5年(1562年)に宗像氏貞は岳山城を改修し居城を白山城から蔦ヶ嶽城に移しています♪宗像氏貞は家臣・石松但馬守に命じ、父、宗像正氏の正室と宗像氏男の妻(菊姫)とを謀殺…。しかし宗像氏貞が最後となり宗像大宮司家は断絶…白山城の麓には増福禅院が残り菊姫の墓が残ります☆この増福禅院は宗像氏貞が開基しています♪
白山の山頂に主郭を置き南西に伸びた尾根を平坦地にし郭群を造り込みます☆1番のオススメは主郭北西側、一面に設けている畝状竪堀群♪ここの畝状竪堀群の状態は良く先端を堀切で遮断♪畝状竪堀群を連発する宗像家の城郭群♪陶晴賢が支援した宗像家♪周防国の大内氏、その家臣の陶晴賢の城郭も多くの竪堀を連続させ、畝状竪堀群を造り出しています♪北部九州に畝状竪堀群が多いのは恐らく大内氏の影響が色濃く出ているのでしょう♪