沓尾石丁場跡
沓尾石丁場跡([宇留津城 寺社・史跡])
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沓尾石丁場跡の口コミ情報
2025年02月23日 星穏
福岡県行橋市の沓尾(くつお)にある石丁場跡は、江戸時代に荒廃した大阪城の石垣の修復のために石を切り出した場所です。
元和6年(1620)に徳川幕府が出した天下普請により、西日本の大名を中心に石垣の修復が命じられました。豊前小倉藩の城主、細川忠興は沓尾で石を切り出し、沓尾港から大阪城へ運ばせました。忠興が角石用の巨石五つを切り出した事が古文書に記されており、平成19年(2007)に大阪城で行われた石材鑑定で乾櫓下の石垣角石に使われた事が特定されています。乾櫓は大阪・京都を往還する旅人が必ず目にする「晴れの場所」で、忠興が特に望んだ場所だそうです。そのため、石垣の切り出しにもかなりの想い入れがあったと思われます。
石丁場跡は、龍日賣(たつひめ)神社の裏山にあります。また、周辺にある松尾神社(豊前松山城の城主、杉弾正弘信らの霊を祀る)にも巨石がごろごろとしていて、矢穴が残る石もたくさんありました。豊臣秀吉が城を築く際に切り出そうとしたら霊が現われて暴れ、石工達が作業をやめたという「霊石」をはじめ、「獅子岩」や「烏帽子岩」と呼ばれる奇岩などがあり、地元の方々に大切にされているようです。