唐原山城(とうばるさんじょう)
唐原山城の基本情報
通称・別名
- 唐原神籠石
所在地
- 福岡県築上郡上毛町宇野1236
旧国名
- 豊前国
分類・構造
- 神籠石式山城
天守構造
- なし
築城主
- 不明
築城年
- 7世紀中期?
主な改修者
- -
主な城主
- 不明
廃城年
- 不明
遺構
- 列石
指定文化財
- 国史跡(唐原山城跡)
再建造物
- -
周辺の城
-
旭城(福岡県豊前市)[4.7km]
大畑城(大分県中津市)[4.9km]
中津城(大分県中津市)[5.1km]
白米城(大分県中津市)[10.4km]
光岡城(大分県宇佐市)[11.7km]
長岩城(大分県中津市)[13.3km]
時枝城(大分県宇佐市)[13.6km]
宇留津城(福岡県築上郡)[15.3km]
城井谷城(福岡県築上郡)[17.5km]
一ツ戸城(大分県中津市)[17.9km]
唐原山城の解説文
唐原山城の口コミ情報
2024年02月12日 織田上総介晃司
唐原山城
駐車場はありません。説明板のある池(桑野池)の北側のスペースに停めて第一水門の石垣のみ散策。
黒田官兵衛(如水)が中津城築城の際、唐東山城の石垣を利用したといわれる。
2021年12月26日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
唐原山城
駐車場はありません。
説明板がある辺りに切り株が幾本か残る小さな空地のような所に少し駐めさせて頂くか少しの時間路駐させてもらうしかないかもしれません。
第一水門石列までは畑?田んぼ?を通らさせてもらい近づきました。
2段ほどの石列がありました。
説明板には唐原山城の全体図と水門の位置が記されていました。私が見学できたのは第一水門のみですが、これが7世紀から現在まで存在していたと思うと感慨深いです。
手前には普段は溜め池のようになっている所があり訪城した時は水が干上がっていたので、その石垣も見れました。これも築城当時からあるのかは分かりませんが、もしそうだとすると観れて良かったです。
2021年04月27日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
下川底城[唐原山城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」では、別名として「海老名城」、「小畑城」としても紹介されていました。宇都宮氏の家臣遠藤源兵衛の居城だったようです。
2021年04月26日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
緒方城[唐原山城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」には、佐井川の東岸、緒方の集落一帯に立地して城跡遺構も残っているそうです。築城者は城井家家臣緒方帯刀とされています。天正16(1588)年、黒田軍に日隈城が攻め落とされ、その合戦で城主が討死したため城は落城し、その後廃城となったそうです。ちなみに中津市教育委員会発行の城館ガイドブックではこの城を「緒方館」として紹介しています。その形状のゆえに城ではなく館としているようです。
2021年04月26日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
叶松城[唐原山城 周辺城郭]
「豊前国戦国事典」によると、築城者は野仲氏の城代であった内尾主水正兼元とされ、雁股城の出城だったそうです。
天正16年3月、兼元は日隈の合戦において名を挙げたようですが、後に黒田家に降り、黒田家々臣となって内尾主水と名を改めたとありました。
2021年03月21日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
追揚城[唐原山城 周辺城郭]
福岡県の築上郡にある追揚城☆
宇都宮鎮房の一族である長岩城主・野仲鎮兼の家臣で叶松城主の内尾主水正兼元の出城として築城された城郭となります☆本城である叶松城の北面防衛の前線の砦はまた畝状竪堀群、三重堀切と厳重に守られています☆
北東へ伸びた丘陵の先端頂部に築かれてます☆登城道は少し分かり難いですが北側に登城口があります☆丘陵に送電線があるのでそれを目掛ければオッケーです☆
最大の見所は巨大な畝を持つ連続畝状竪堀群で素晴らしいです♪
大きく分けて北側と東側に緩くカーブを描く様に郭を配置してます☆城郭斜面の東側には連続畝状竪堀群、西側の斜面は数条の巨大な竪堀を持っていて寄せ手を牽制しています☆南側の先端部の郭は巨大な堀切で大きく遮断☆北側の登城道からは3重の堀切が迎えてくれます☆主要部分の側面には石積みも残っていて目を楽しませてくれます♪
ただ北側の登城道からは林道を取り付けた様な道になっている為、三重堀切は一部壊されてしまってます☆が!!!主要部分の遺構の残り方は素晴らしくって驚きです♪オススメの城郭になります☆
2021年03月20日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
内蔵寺城[唐原山城 周辺城郭]
福岡県の築上郡にある内蔵寺城♪独立丘の先端に立地した丘城となります☆直ぐに行けて素晴らしい横堀を持つ城郭でした☆
築城詳細等は不明な城郭となります☆叶松城を本城とした城主・内尾藤太郎の出城では無いか?と考えられています☆内尾藤太郎は長岩城主・野仲氏の家臣で雁股城主の友枝氏と親戚関係となってます☆
雁股城主・友枝氏が観音原で黒田軍と戦い討死☆雁股城の友枝新兵衛と共に黒田氏に降った様です☆
城郭は半独立丘のピークの一段小高くなった主郭に併せて円形の横堀を巡らせてます☆部分的に二重の横堀が廻らせていて主郭部へは土橋で連結☆横堀の周囲には腰郭が付属されていて城郭を防御してます☆
2019年01月14日 安那備後守はるか
唐原山城
第一水門は目の前まで整備されてます。第二水門は昔は田んぼで今は廃田。水門はありますが、かなり小さくて埋まってるみたいです。第三水門は私有地から入っていけますが現在見える水門らしいものは同時の水門ではなく、その上にあり現在は埋めたてられています(土嚢にて位置のみ確認)列石も私有地内にあるので、地主さんの許可を得て確認しました。とても良い方です。たくさんお話を聞けました。古墳の1基は神功皇后が寝泊まりしたと言い伝えがあるそうで、その他にも城郭内には2基古墳がありパワースポットになっているそうです。地主さん、遺構に興味がなく遺構の扱いが適当過ぎて、逆に笑ってしまいました。春はワラビの収穫で忙しいみたいなのでそれ以外の季節に訪ねると良さそうです。
2017年08月02日 カーネル
唐原山城
日豊線中津駅から 国道212号を45分ほど南下し、県道110号へ右折する
山国川を渡って、大分県から福岡県へ入ります
ここら辺は、駅前の喧騒は完全に消え、のどかな畑に囲まれた道を進みます
目標物もないので、歩きスマホで地図をガン見(申し訳ありません)しながら、上毛町東部火葬場方面へ向かう
この脇に、唐原山城ののぼりと地図があるので撮影。その背後が第1水門です
第1水門を見たら、先ほど撮影した地図を参考に第2水門に向かうが、低木と植物が行く手を阻む
日当たりがいいので、植物は密に生えてて、嫌なタイプのやぶ漕ぎを強いられます。結局、よくわからずに撤退
第3水門は貯水池の西側からアプローチするも、民家の敷地になってたので引き返しました
中津駅に戻って3時間40分。とにかく遠かった。という印象のお城
福岡県築上郡上毛町に残る唐原山城は、全国に16箇所あるこのような神籠石の1つで、国の史跡に指定されている。切石(きりいし、岩を割って作った石)による石積みを配列した列石などの遺構が残る。