一ツ戸城(ひとつどじょう)
一ツ戸城の基本情報
通称・別名
- 一つ戸城、中間城
所在地
- 大分県中津市耶馬溪町大字宮園字一ツ戸
旧国名
- 豊前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 中間氏?
築城年
- 建久6年(1195)
主な改修者
- 細川氏
主な城主
- 中間氏
廃城年
- 元和元年(1615)
遺構
- 曲輪、石垣、堀切、堅堀
指定文化財
- 市史跡(一ツ戸城址)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
長岩城(大分県中津市)[8.2km]
白米城(大分県中津市)[9.0km]
城井谷城(福岡県築上郡)[14.5km]
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日隈城(大分県日田市)[17.8km]
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玖珠城(大分県玖珠郡)[18.9km]
大畑城(大分県中津市)[19.7km]
一ツ戸城の解説文
一ツ戸城の口コミ情報
2023年09月18日 織田上総介晃司
一ツ戸城
先人様が口コミにアップしている害獣除けのフェンスから入り山頂まで500mの北側登城口より登城。
リア攻め当日車を停めるスペースに木の切り株がありました。やや奥に切り株を動かしてなんとか駐車することができました。こんな日もあるかと思うので気にかけておいてください。(2023/09/17)
ある程度車で上まで進んでいるので一番楽なルートですが…なかなか急な坂のつづら折れが続き、苔も生えているいるのでトレッキングシューズと手袋は必要。登りより下りのほうが滑りやすく危険なのでストックはあったほうがいい。
城域にたどり着いたら極上の廃城感をご堪能あれ。
2023年05月08日 陸奥守たろす
一ッ戸城駐車場入口[一ツ戸城 その他]
【一ツ戸城駐車場入口】
◆すでにお城に関して、諸先輩方の口コミがありますが、この素晴らしい廃城をさらに多くの城めぐらーさんに見て頂きたく筆を取りました。
ここでは駐車場の入口を設定し、駐車場までの道などを紹介いたします。
◆まずGoogleマップの場合は「一ッ戸城址」と設定しましょう。
◆当然駐車場までは案内してくれませんw
とりあえず近くまで行きポイントにセットした国道212号沿いの①「イノシシ・シカ侵入防止柵」を目指しましょう。
◆防止柵を開けて車を入れて、防止柵はしっかり閉めておきましょう。
車を進める前に②一ッ戸城案内板で概要を予習しておきましょう。
◆③そのまま道なりに車を進め、④山頂まで800mの案内板も通過。
道は未舗装の部分もありますが、まあどんな車も行けると思います。
◆⑤登山道入口(頂上まで500m)の少し先に⑥駐車スペースがあります。国道からはものの数分です。
◆登山道入口から15分程⑦登山していただくと⑧城域に到着します。
あとは廃城感たっぷりのお城を満喫して下さいませ♪
2022年06月25日 能登守あるて
一ツ戸城
登城口が複数ありますが、獣避けがある耶馬溪側よりも、山国町側にある登城口からのほうが道中変化があって楽しめそうです(登りは辛そうですが…)。
2022年05月24日 RED副将軍
一ツ戸城
勝手にking of 廃城 に認定です。
「廃」で「High」になります😍🤩
オススメ度 ★★★★★
在地領主である中間氏の居城。
中間氏は、秀吉による九州征伐に際して黒田孝高の入部時に傘下に入ります。
1600年に黒田氏は筑前に転封。
次に入封した細川氏により総石垣作りの近世城郭に改修されました。
1615年、一国一城令によって廃城となりました。
見所
これほどまでに廃城感を感じることのできる城郭は全国でもなかなか無いです。
破却された主郭の石垣は、隅石は僅かに残る程度です。
廃城感たっぷりの枡形虎口とそれに続く石段。鏡石はしっかりと残っています。
細尾根の法面にも石垣が施されており、見落とさない様にご注意を⚠️
2021年07月29日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
下城[一ツ戸城 周辺城郭]
「大分の中世城館」によると、一ツ戸城の出城として築かれた城のようです。
2021年05月26日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
松ヶ岳城[一ツ戸城 周辺城郭]
「日本城郭大系」には、この古城跡を眺望絶佳の地として紹介していました。
2020年12月31日 さすらいの征夷大将軍慶誾尼☆寧
一ツ戸城
今年の城納めはココにしよう!!と選んだのが一ツ戸城…耶馬溪もまだ雪の話も聞かないのでこの時期に行っとくかぁ〜♪と212号を鼻歌まじりに車を走らす…着いたら早速『鳥獣防護柵』が迎えてくれた…えっ?『イノシシとシカ』って書いてあるし〜でも『クマ』じゃなければいけそうじゃね?って、『イノシシとシカ』は大丈夫やろ!と言う根拠のない自信が満ち溢れて来るんですが…城山頂上まで800Mの案内板、なだらかな坂道を小走りで駆け上がるあたし。300m行けば現実に打ちのめされます凹登山道入り口城山頂上まで500Mの看板横には、無手入れの急斜面がこちらを睨んでます。いやいやいや、ココにオンナ子どもは1人で入っていけんやろって〜山の経験もないし〜靴は観光用運動靴やし〜携帯の電波も圏外やし〜怖い〜
2020年01月02日 へこ
一ツ戸城
アクセス情報。
アクセスは国道216号線の一ツ戸トンネルの上。大分交通バスの一ツ戸バス停近く。
トンネル中津側出口に神社があり、神社下に登城できる林道がある。林道はイノシシ対策で閉じられていますが、人手で開けて入れるのでこから入る。車も200メートルくらいは行けるのでフロントバンパー20センチくらいあれば入れます。奥でUターン可能。登城道は幟があるので間違いなくいけます。
最後出るときは柵を必ず閉めましょう。
歴史
戦国期は、在地領主中間氏の居城。中間氏は黒田氏入部時、その傘下に入る。黒田氏の1600年の筑前転封に伴い同地を去る。城跡には、次に入国した細川氏により石垣作りの近世城郭に改修されたと現在理解されている。築城時期不明。遺構の残存状況
城域は幅20m、長さ200m程の山頂部と、集落に近い二ノ丸に展開している。山頂部の遺構は、本丸や複数の郭、伝大手門跡がある。郭の斜面に廻す石垣をみることができる。大手門の石垣は鏡石を伴う立派な遺構である。二ノ丸から本丸にいたる坂には石段が構築されている。二ノ丸付近にも石垣が構築されている。細尾根の法面に施されたもので、一部北部九州豪雨により崩落した。