一ツ戸城(ひとつどじょう)
一ツ戸城の基本情報
通称・別名
- 一つ戸城、中間城
所在地
- 大分県中津市耶馬溪町大字宮園字一ツ戸
旧国名
- 豊前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 中間氏?
築城年
- 不明
主な改修者
- 細川氏
主な城主
- 中間氏
廃城年
- 元和元年(1615)
遺構
- 曲輪、石垣、砲塁、堅堀、堀切
指定文化財
- 市史跡(一ツ戸城址)
再建造物
- 説明板
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-
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一ツ戸城の解説文
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戦国期は、在地領主中間氏の居城。中間氏は黒田氏入部時、その傘下に入る。黒田氏の1600年の筑前転封に伴い同地を去る。城跡には、次に入国した細川氏により石垣作りの近世城郭に改修されたと現在理解されている。築城時期不明。
【遺構の残存状況】
城域は幅20m、長さ200m程の山頂部と、集落に近い二ノ丸に展開している。山頂部の遺構は、本丸や複数の郭、伝大手門跡がある。郭の斜面に廻す石垣をみることができる。大手門の石垣は鏡石を伴う立派な遺構である。二ノ丸から本丸にいたる坂には石段が構築されている。二ノ丸付近にも石垣が構築されている。細尾根の法面に施されたもので、一部北部九州豪雨により崩落した。
情報提供:中津市教育委員会社会教育課