角牟礼城(つのむれじょう)

角牟礼城の基本情報

通称・別名

角埋城

所在地

大分県玖珠郡玖珠町大字森大字太田

旧国名

豊後国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

森朝通

築城年

弘安年間(1278〜1288)

主な改修者

毛利高政

主な城主

森氏、毛利氏(藤原氏)、久留島氏

廃城年

慶長6年(1601)

遺構

曲輪、石垣、土塁、竪堀、虎口、井戸

指定文化財

国史跡(角牟礼城跡)

再建造物

説明板

周辺の城

玖珠城(大分県玖珠郡)[5.1km]
日出生城(大分県玖珠郡)[9.2km]
一ツ戸城(大分県中津市)[15.0km]
白米城(大分県中津市)[18.2km]
永山城(大分県日田市)[20.4km]
鳶ノ尾城(熊本県阿蘇郡)[20.6km]
日隈城(大分県日田市)[21.0km]
龍王城(大分県宇佐市)[22.1km]
長岩城(大分県中津市)[22.9km]
光岡城(大分県宇佐市)[26.2km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)192 角牟礼城

設置場所

豊後森藩資料館[地図
くすまちメルサンホール[地図

角牟礼城の解説文

歴史 

角牟礼城は源為朝が築城したという伝承が残るが定かではなく、文献上の初見は、文明7年(1476)である。「豊後国志」によると弘安年間に森三郎清原朝通が居城し、応永年間(1394~1427)から大友氏に属し、永禄年間(1558~1569)には大友氏の支城になっていたとある。その後は玖珠郡衆の管理となっていたが、天文年間(1532~1554)に玖珠郡衆のひとりである森氏が再び居城したという。

戦国期の角牟礼城は玖珠盆地全体に睨みをきかすというよりも豊前側に対する押さえとしての役割を担う城となる。天正14年(1583)の島津軍の侵攻では、伐株山城を追われた玖珠郡衆が立て籠もり、島津軍の豊後撤退まで守りきった。

大友氏除国後の豊後は太閤蔵入り地となり、文禄3年(1594)に日田郡・玖珠郡に送り込まれた毛利高政が玖珠の拠点を角牟礼城とし、同国佐伯に転封するまでの間に石垣を持つ近世城郭に改修したと考えられている。

関ヶ原の合戦に呼応した豊後国内の内戦では、西軍の毛利方に対し黒田軍が攻め寄せたが、説得に応じて開城すると、黒田氏は角牟礼城番に母里太兵衛を置いたという。

慶長6年(1601)、西軍だった伊予の来島長親は、懸命の願いによって、豊後国玖珠郡森に1万4千石を与えられた。玖珠郡森に来た長親は角牟礼城に入らず、南麓に陣屋を構えた。2代藩主久留島通春(元和2年に久留島に改名)が提出した正保の城絵図の控えとされる「豊後国玖珠郡森久留島丹波守屋敷絵図」には、陣屋の北側に「角牟礼古城」と記され、石垣と陣屋から城跡まで延びる城道が描かれている。古城とあるように、久留島氏は城として使用しなかったが、江戸時代を通して御留山として管理していた。

城を持たなかったとされている久留島氏ではあるが、家臣の田坂家に残る古文書には、入部当初「角埋山に御城之地取とも有りで土塀ばかり掛け置き給う」と記され、別の古文書には、2代藩主が廃城し、3代藩主が修復を願い出ようとしたという内容が記されている。結局角牟礼城は修復されることはなかったようだが、江戸時代初期において、久留島氏が角牟礼城を城として意識していたことがうかがえる内容である。

遺構 

角埋山は南側を除く三方を切り立った崖に囲まれているため、主に山頂の本丸から南側斜面に向かって守りを固めている。本丸から二の丸にかけて連続する曲輪と切岸があり、二の丸南側から三の丸の外周に畝状竪堀群がつくられている。

石垣は本丸の北側、二の丸の南側と西側、三の丸に築かれている。二の丸の石垣は角埋山頂を囲む崖に繋がっており、この崖を石垣とみなせば総石垣の考え方と言ってよいと思われる。特に二の丸南側にある石垣は全長約100mで、角牟礼城跡最大の規模である。虎口は二の丸の南側(大手側)と西側にあり、いずれも外枡形の虎口に門の礎石が残されている。

近世初頭に石垣を持つ城郭に改修されたが、その改修範囲は部分的で、中世的要素と近世的要素を同時に見ることができる山城となっているため、「土づくりの城から石垣を主体とした城への変遷を知るうえで重要」と、国の史跡指定を受けた。

交通 

・JR九州久大線豊後森駅から車で約15分。
・三島公園から末廣神社を経由して徒歩で約40分。

情報提供:玖珠町教育委員会


角牟礼城の口コミ情報

2023年03月07日 龍造寺「筑前守」シュン
角牟礼城



三の丸まで車で行けます。そこまで行くにも難攻不落です。

2023年03月06日 Pipi友之輔
角牟礼城



角牟札城の入り口から車1台が通れる山路を登っていくと開けた駐車場には立派な石垣が崖側を防御する様に設置して有ります。これだけでも既にテンション上がって来ます。本丸までは広い道を進んで行くと大きな石垣があり山城ながら立派なお城です。本丸跡には石垣が並べてあり調査中のようです。

2023年01月08日 山城守信長
角牟礼城



車で三の丸まで行けます。本丸跡は整備中で、景色がよく見えませんでした。

2022年08月29日 胡蝶
角牟礼城



年月を考えさせられるステキな石垣があります。所々山道が崩れていて通れない道がありました。

2022年03月21日 【杏葉】源九郎豊前守牛若丸
恵良城[角牟礼城  周辺城郭]

「日本城郭大系」によると、南北朝時代の興国元年、恵良(阿蘇)惟澄は南朝方に属して小国(熊本県小国町)に攻め入り、仁木義長の代官古子次郎をせめ、ここに城郭を構えたそうです。
弟惟賢は玖珠に出兵して、大友方の進出を防いだようです。
正平2年、恵良惟賢は玖珠郡粟野村(現在の恵良)地頭職に任ぜられ、この地に居住したものと思われるとありました。
天正14年、島津軍に攻められ落城しているそうです。

2022年03月21日 【杏葉】源九郎豊前守牛若丸
内匠ヶ城[角牟礼城  周辺城郭]

【たくみがじょう】と読みます。
「大分の中世城館」には、内匠氏の居城で、文書の『多賀山と云柴山』が該当すると考えられているようです。
「日本城郭大系」では、天正14年、島津軍に攻められたが、城主内匠主水は郷民を率いて奮戦した。しかし大軍の前に城主は討死にして落城とありました。

2022年01月03日 源下野守ポンコ2墓参り
角牟礼城



麓から比高250㍍ということもあり、三島公園に駐車して末廣神社の登城口より登城しようとしたら家族の反対に遭い、仕方なく三ノ丸の駐車スペースまで車で…ワンボックスカー(ハイエース)をレンタルしており、かつペーパードライバーのため不安でしたが、幸い対向車にすれ違うことなく、積雪もなかったので三ノ丸まで行けました。対向車とすれ違う時の譲り合えるとこはなさそうでした。
ナビから「急ハンドルを検知しました。安全運転を心がけましょう」のアナウンスが4〜5回あったかも。

石垣に囲まれた三ノ丸の駐車スペースは、うまく駐めれば8台くらい駐車可能でした。
また、三ノ丸には案内板があり、そこにある縄張りも写しておくと登城時に便利です。三ノ丸の石垣は、2010年代に補修されたらしく、整った石垣を観ることができます。

三ノ丸から先には、工事現場で目にするA型バリケードがありましたが、玖珠町のホームページには通行禁止ではなく石垣工事のため仮囲い設置してるからご注意くださいの告知でしたので、先に進みました。
三ノ丸からニノ丸に向かう際の下側に、畝状竪堀の案内板があり、数本あるのがわかります。登城路の折れを進むと、穴太積み石垣の案内板とともにニノ丸南虎口下にあたる野面積みの石垣があります。

更に進むと東西に伸びるニノ丸水の手曲輪の石垣が見え、上ると大手門の案内板があります。水の手曲輪には井戸曲輪と書かれた凹みがありましたが、水があるかはわかりませんでした。ただこの施設があったからこそ、島津との籠城に耐えられたのかと想像させられました。
水の手曲輪の上に複数の帯曲輪があるのがわかり、進むとニノ丸西曲輪や西門跡へ。西門跡は大手門説もあるようで、西下に石崩れ落ちがあるものの枡形虎口の跡があります。西曲輪の石垣も補修済みのようでした。

その先を進むと帯曲輪がまた複数あり、切岸など見つつ案内通り角理神社を経由して本丸へ。本丸は土塁が残り、北の隅櫓付近の石垣が補修工事中のようでブルーシートで覆われてました。本丸からの大岩扇の岩山や眼下の町並みなど眺望は素晴らしかったです。

下る際、ブーツ履いた家族は滑ってたので、靴はそれなりのものがよさそうでした。所要時間は1時間弱で、三ノ丸からの比高は50㍍弱かと。

登城のご参考まで。

2021年12月30日 薩摩宮内大輔義弘維新斎
角牟礼城



12月30日の午前10時に城へ登城。さすがに寒いためかギャラリーもおらずゆっくり遺構を確認。石垣などの遺構から一見して、島津軍が攻めることができなかった城だと実感。なかなかの城跡です。

2021年11月24日 善三郎和泉守のママ
角牟礼城



豊後森駅からタクシーで三の丸まで乗りました。駅から歩きはきついです。三の丸から本丸までは10分ほどの登山でした。

2021年08月01日 【杏葉】源九郎豊前守牛若丸
瀬戸遺跡[角牟礼城  周辺城郭]

「大分の中世城館」によると、主郭部は方形に作り出されている14世紀代の切岸を用いた館城だそうです。

2021年08月01日 【杏葉】源九郎豊前守牛若丸
平田山土塁[角牟礼城  周辺城郭]

「大分の中世城館」によると、瀬戸遺跡の北東に位置する平田山の山頂平坦部の長さ100m、幅20mを土塁で囲み、瀬戸遺跡との間に堀切があるようです。

2021年08月01日 【杏葉】源九郎豊前守牛若丸
帆足城[角牟礼城  周辺城郭]

「大分の中世城館」には、遺構の状況として、主郭周りに1段の帯曲輪を全周させるとありました。

2021年05月28日 【杏葉】源九郎豊前守牛若丸
松木城[角牟礼城  周辺城郭]

「日本城郭大系」には、天正14年、島津軍の一隊は恵良氏を降し、この城を攻略したそうです。

2021年05月27日 【杏葉】源九郎豊前守牛若丸
古後城[角牟礼城  周辺城郭]

「日本城郭大系」には、天正15(1585)年正月2日、島津軍が角牟礼城に押し寄せたとき、古後摂津守は一族を挙げて籠城し防いで島津軍を退却させたそうです。

2021年05月27日 【杏葉】源九郎豊前守牛若丸
久留島陣屋[角牟礼城  周辺城郭]

「日本城郭大系」によると、久留島氏は村上水軍の後裔で、関ヶ原合戦では西軍に属したので、海の活躍の場を奪われて山深い玖珠に封じ込まれたとありました。
三島神社の改築ということで館を城郭風に改造して庭園も築いたそうです。

2021年04月19日 【杏葉】源九郎豊前守牛若丸
角牟礼城



とても素晴らしい城です。主な改修者である毛利高政が佐伯城の築城主と同じなためか、雰囲気や面影?がとても似ています。何度も通いたくなるお城でした。

私が登城した時は改修をしていたためか、砂利が多くて帰陣するために下る時は足元が滑りやすかったので、同じ状況なら注意されてください。見所満載の山城です。

2020年10月25日 りんちゃ
角牟礼城



三ノ丸までの道、狭くて木の枝や石がゴロゴロしてました。安全運転で!さすがに石垣は年輪を感じますね。

2019年09月03日 フー甲斐守
末広(三島)神社[角牟礼城  寺社・史跡]



関ヶ原で西軍についた大三島久留島(来島)家が福島正則のとりなしで立藩した森藩の陣屋。角牟礼城を廃して二心ない事を示した後、神社の修復として石垣等を設置。まさにお城です。
又、石灯篭は自然石では日本一だとか

2019年09月01日 フー甲斐守
角牟礼城

追加情報
続100名城スタンプは豊後森藩資料館にありますが、こちらの方は非常に親切に角牟礼城の事も含めてご説明頂けます。時間がある様でしたら、お立ち寄りされては如何でしょうか。
私はスタンプしてませんが、1時間程聞き入りました(笑)

2019年09月01日 フー甲斐守
角牟礼城



三島公園から焼不動を超えて二の丸下に出るルート(現在は焼不動から二の丸下には虎ロープで閉鎖されており行けなくなっています。踏み越えられそうですが、判断は自己責任で)は見事の一言ですが、経験者コースかと思います。倒木が道を横切ったり、ルート表示がなくなっていたりで方向感が次第になくなるかと思います)。私も焼不動から一旦三島公園に戻りましたが、途中数度間違えそうになりました(笑)
三ノ丸には駐車スペースがあるので、私はそちらに移動して本丸にはそこから登りました(^o^)
現地情報は事前にお調べになる事をお勧めします。

2019年05月06日 カタカタ
角牟礼城

角牟礼城のある玖珠町は、童話の里とのことで、こどもの日には日本童話祭なるものが開かれるようです。普段は車で走れる道は通行止めになり、駐車できる場所は近くにありません。登城 はできますし、スタンプも押せますが、とにかく歩きます。


2019年02月09日 鍋島隠岐守
角牟礼城

現在、整備されております。三の丸に現場事務所があり、作業車などありますが、数台は駐車可能です。しかし、三の丸の石垣を撮影するのは、車が邪魔で苦労します。
天然の要塞らしく、岩と穴太積みの石垣がマッチした場所もありますので、必見です。
スタンプは、資料館(2階)にあります。職員の方が対応されます。かなりの知識人ですので面白い話が聞かれますよ。

2018年10月25日 民部卿PINKGIN
角牟礼城

豊後森駅からタクシーで三の丸跡まで登りました。料金は約1,500円でした。帰りは、わらべの館まで徒歩そこからのタクシーで豊後森駅まで約1,000円でした。

2018年08月13日 織田上総介晃司
角牟礼城

三の丸まで車で行けますが、他県からの来訪者には分かりづらいので三島公園の駐車場に停車歩いて登城しました。
(国道にある角牟礼城の案内も三島公園を案内してます)

約30分位で穴太積みの二の丸に到着。

樹木が日射しを遮りますが夏の登城には水分は必須です。
やぶ蚊対策と蛇に注意してください。
登城中メーター級のアオダイショウに遭遇しました。

2018年05月03日 徳g図書頭[鷹!“オウ]³
角牟礼城

毎年、5月5日は日本童話祭という町の一大イベントの為に三島公園(メイン会場)へ至る道は交通規制があります。
三ノ丸の駐車場へは43号(八幡方面)を経由しないと行けません。
その為、スタンプを置いている三島公園内にある「わらべの館」直近の駐車場には車が停められません。
玖珠川の協心橋下の駐車場に車を停めて、メイン会場近くまでバス(童話祭の為随時往復しています)移動となります。


2017年10月27日 徳g図書頭[鷹!“オウ]³
角牟礼城

この城を訪れる際は、晴天が続いた後が宜しいかと。それでも、穴太積みや本丸への道は何とかなりますが、雨などで足場が悪い時には"森の小径"(焼不動)方面は自粛された方が良いと思います!かなり滑ります。

2017年05月27日 徳g図書頭[鷹!“オウ]³
角牟礼城

直接城跡(続百名城)に行かれるのであれば皆さんの書かれている通りに!

麓からなら
三島公園に駐車場があります。トイレも綺麗です。

そこから、機関車の横を抜けて久留島庭園を堪能。庭園の右側にある御長坂を石垣を見ながら登り栖鳳楼を左手に見ながら道なりに。
左右の石垣を見ながら真っ直ぐ進み下り階段を下りて清水御門(の上の石垣もチェック)、丸木御門を堪能(常夜燈も)。
来た道を戻り末広神社へ。鞘堂の紋になるほどと頷き鎮西為朝ゆかりの石を見ます。
(建前では、城の為の石垣ではありません。を、嘘やろうと言いながらご堪能下さい)
体力のある方は神社右手奥の道を登ると城跡に。でない方は車で三の丸駐車場に。

城跡は熊本、大分地震の影響を受けています。危険な箇所もありますので、くれぐれも安全に!でお願いします。


2017年05月08日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
角牟礼城

三之丸迄車でいけます。
町から城に行くまで古い町並み城下町があります。
城下町抜けて車で走ると暫く田畑が続き林道を走り城になります。
駐車場は三之丸に停める感じになります。
あんまり、観光客が来る感じではない場所でした。
三之丸には石垣があります。


2016年04月02日 尾張守だもんで
角牟礼城

麓から三の丸跡まで車で登れます。修復整備中なので作業車がたくさん停まっていました。三の丸から歩いてすぐにハイライトの穴太積み石垣です。そこから10分ほどの主郭からの眺望がとてもよく、奇形の大岩扇山や城下町を一望できます。

2014年11月13日 中務少輔きたろう三世
角牟礼城

三ノ丸まで車で行くことができるが、麓から、久留島陣屋→末広神社→城址→搦め手→久留島陣屋のルートがお勧め。途中、多少の坂や鎖場があるが、島津軍を撃退した山城が堪能できる。

また、久留島陣屋のみごとな庭園や、どう見ても城にしか見えない末広神社の石垣も見応えがある。

角牟礼城の周辺スポット情報

 石垣(遺構・復元物)

 西門(遺構・復元物)

 二の丸西曲輪(遺構・復元物)

 大手門(遺構・復元物)

 隅櫓跡(碑・説明板)

 城跡説明板(碑・説明板)

 久留島陣屋(周辺城郭)

 古後城(周辺城郭)

 平田山土塁(周辺城郭)

 瀬戸遺跡(周辺城郭)

 帆足城(周辺城郭)

 松木城(周辺城郭)

 内匠ヶ城(周辺城郭)

 岩室砦(周辺城郭)

 恵良城(周辺城郭)

 末広(三島)神社(寺社・史跡)

 角牟礼神社(寺社・史跡)

 豊後森藩資料館(スタンプ)

 簡易トイレ(トイレ)

 駐車場にある石垣跡(駐車場)

 展望所(関連施設)

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