法然寺城
法然寺城([宇留津城 周辺城郭])
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法然寺城の口コミ情報
2025年06月07日 宮内少輔星穏
法然寺は、築上町東八田にある浄土宗のお寺です。
天正15年(1587年)に九州を平定した豊臣秀吉から豊前六郡を与えられた黒田官兵衛が、最初に仮の館にしたとされます。黒田家の歴史を記す『黒田家譜』には、「孝高豊前国に入国し、まず時枝城(大分県宇佐市)にて領内の仕置を沙汰し三カ条の制法を出し給う。その後、法然寺という寺を仮りの住まいとし、しばらく留り居続ける。長政は京都郡馬ケ岳の城に居給う。その間二里あり」とあります。
訪れて思ったことは、比較的小さな寺で平地であり、なぜ官兵衛がここを居所としたのかということでした。調べたところ、法然寺を再興した行信とのつながりがあることがわかりました。
法然寺は、西願法師が天台宗の金剛院胎蔵寺を開山したが後に荒れ果て、その寺を行信が浄土宗西山派の念仏三昧院法然寺として再興しました。行信は播磨国で生まれ、天台宗を学んだ後、法然上人に浄土宗を修めた人物です。法然寺は、企救郡(現北九州市小倉南区)長野にある護念寺の末寺で、護念寺は最初に、秀吉・官兵衛の軍門に下った馬ケ岳城主の長野氏の一族が開いた寺です。
官兵衛が法然寺を再興した行信と同じ播磨国の出身であること、長野氏の縁である護念寺との関係、豊前六郡を治めるには馬ケ岳より交通の便が良いことなどを考えると、官兵衛がこの法然寺を選んだ理由がうなずけました。
法然寺へは、国道10号を中津市方面へ東八田交差点を右折してすぐになります。
遺構としては、堀跡と思われるくぼんだ区画が境内の周囲にあります。幅は約10mあるということで、防御を意識したものであったと思われます。
参考文献 『豊前戦国事典』三浦尚司編、『京築風土記』山内公二
2021年04月30日 【✾】源九郎豊前守牛若丸
「豊前国戦国事典」には、法然寺の境内に位置した平地の城館。
天正15(1587)年、黒田官兵衛がこの寺を仮の居所としたそうです。