長久手古戦場跡

長久手古戦場跡([岩崎城  寺社・史跡])

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長久手古戦場跡の口コミ情報

2026年06月04日 猫耳尾張守メイド隊


国指定史跡  長久手古戦場
小牧・長久手の戦いとは・・・
天正十年(1582)六月、織田信長が家臣 明智光秀の手にかかり本能寺に倒れました。残された遺児や家臣の中で後継者争いが起こると、最初に駆け出したのは羽柴秀吉でした。秀吉は明智光秀を討ち(山崎の戦い)、柴田勝家を破り(賤ヶ岳の戦い)、次第に天下統一への階段を昇りつめていきます。
こうした中で、信長の次男 信雄は、日に日に強大になる秀吉の勢力に身の危険を感じるようになり、織田信長の同盟者であった徳川家康に助けを求めました。家康は、いつかは秀吉と対決せねばならないと考えていたので、これを承諾します。
天正十二年(1584)三月、ついに秀吉軍と家康・信雄連合軍は、ともに兵を挙げました。両軍は、しばらく小牧でにらみ合いましたが、先に動いたのは秀吉軍でした。家康の拠点の岡崎を攻めるために、三好信きち(後の豊臣秀次)を総大将とした別働隊を送りましたが、その動きを察知した家康も行動を開始し、四月九日、まさに、この長久手の地で激しい戦闘が起こったのです。
この日の戦いは、家康軍の勝利で終わりましたが、後に秀吉は信雄と和睦し、信長の後継者としての地位を確立しました。
合戦後、長久手では戦死者を手厚く葬り、武将の塚を築くなど、この戦いについて連綿と語り継がれていきます。昭和十四年(1939)、合戦当時の地形を今に伝える点が評価され、主戦場跡地が国指定史跡地に指定されました。この地は、現在「古戦場公園」として整備され、市内各地には住民達が大切に守りつないできた史跡が、今も数多く残されています。
石碑碑文より。

遊歩道が整備され歩きやすくなっています。

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