お松の方生誕地

お松の方生誕地([松葉城  寺社・史跡])

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お松の方生誕地の口コミ情報

2023年02月26日 前田利家猫耳メイド萌


芳春院お松の方は、当時沖之島村の郷主として、二千石を所領し、善政を施し、地域住民より慕われた林氏日開常信の息女として、天文十六年七月九日誕生されました。
林氏日開常信は、後の滝川一益家の外祖にも当る血筋にあって、当時、沖之島地域の外にも所領し、力と名を伴った郷主であったが、清洲の織田家よりも睨まれ、織田家が次第に力をつけて、沖之島地方にまで手を延ばし始めるに及んで
、地域住民までも争の渦中に引き込むことになってはと憂い、この地域を頼りになる後継者に引継ぎ、自らは、静かな伊勢の国の神戸に隠遁、移住をと考えて居た模様であります。
その頃、偶々荒子のされました郷主 前田利春公(前田利家公の父君)が来沖し、見目麗しく利発な四才の幼子"お松"(後の芳春院)に気つき、之の娘を常信より貰い受け、利春公自身の手にて荒子に連れて行かれた様であります。
利春公は"お松"を織田家の手前、林氏日開常信の息女とは言えず、常信の娘であることは伏せ、荒子の近くに住む篠原主計の養女として育てることと致しましたが、篠原主計が早逝されたので、お松の方は、その養母と共に、前田家に連なる高畑家に籍を移して養われ、利家公21才、お松の方13才のときに結婚せられた模様であります。
大連左大臣 犬養有義の後裔として、信州松本の西北地域の"城山"の廣大な地域に居城し、武田信玄・武田勝頼両公の重臣として仕えた犬養義久が武田家の没落と致しに、縁類を頼って、天正十五年に尾張の国に移って参りました。
林氏日開常信は、犬養義久が武田家にあって武功があった先祖代々の武門の末葉と知って、犬養義久を常信の次女"おたか"(お松の方の妹)の婿として迎えることとし、林氏日開常信の祖先が、平安朝時代より天文永禄を経て天正の時代まで、尾張国海東郡の東北部地方にあって、この地方の領袖として所領して居た数千石の中の二千石を、犬養義久に譲り、義久を沖之島の郷主となし、自らは、その家族と共に伊勢の国の神戸に移り住むことと致しましたのであります。
前田家では古くから、尾張国沖之島村の犬養家が"芳春院お松の里"であると伝えられて居た模様。
説明板より一部抜粋というより、文字数制限…。
近代的な建物のお寺の片隅に説明板があります。

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