黒瀬城(くろせじょう)

黒瀬城の基本情報

通称・別名

所在地

愛媛県西予市宇和町卯之町3-755

旧国名

伊予国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

西園寺実充

築城年

天文15年(1546)

主な改修者

主な城主

西園寺氏、岩城少右衛門

廃城年

遺構

曲輪、土塁、石垣、堀切、井戸

指定文化財

再建造物

周辺の城

法華津本城(愛媛県宇和島市)[4.9km]
石城(愛媛県宇和島市)[8.7km]
飯野山城(愛媛県八幡浜市)[10.0km]
白木城(愛媛県西予市)[12.8km]
萩森城(愛媛県八幡浜市)[13.5km]

黒瀬城の解説文

黒瀬城(くろせじょう)は、愛媛県西予市に存在した山城。

概要
標高350mの黒瀬山の山頂にあり、堀や曲輪が設けられた。また、支城としてとびがす城、我合城、岡城、護摩が森城、土居城などがあった。

『宇和旧記』によれば西園寺実充は松葉城を捨てて当城の築城を始めたが、完成前に実充は死去して西園寺公家の代に完成、移転したという。しかし『言継卿記』によれば実充は黒瀬城を完成させて移転し、黒瀬殿と称され、永禄8年(1565年)には上洛して大徳寺で落髪している。

当城は元亀3年(1572年)に大友氏に攻撃され、天正9年(1581年)には長宗我部氏によって城下町を焼かれ、天正12年(1584年)には城主の西園寺公広が長宗我部元親に臣従している。天正13年(1585年)の四国の役で公広は小早川隆景に降伏し、在城を許されて九州の役に参加した。天正15年(1587年)に戸田勝隆が伊予に移封されると公広は下城して願成寺に隠棲したが、同年12月1日(12月30日)に勝隆により謀殺された。その後、岩城少右衛門が城代として入っている。

参考文献
日本歴史地名大系 (オンライン版)

黒瀬城の口コミ情報

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