樺崎砲台

樺崎砲台([宇和島城  周辺城郭])

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樺崎砲台の口コミ情報

2024年04月18日 龍馬備中守【】


愛媛県の宇和島市にある【樺崎砲台】宇和島湾を外国船から守る為に、近世は幕末期に宇和島藩が築いた砲台跡となります♪歴史資料館の背後に砲台場はある為、重ねての見学をオススメします♪

築造する為に住吉山の北側の山を切り拓き、石や土砂を運び海を埋め建てた、この樺崎砲台♪安政2年(1855年)10ヶ月の歳月をかけ、台場を築く難工事が行われています♪『三十六ポンドカノン砲』と呼ばれる大砲が5門設置され、オランダ流砲術を取り入れた洋式砲台の築造でありました♪

宇和島藩では樺崎砲台に着手する前、すでに嘉永3年(1850年)高野長英の設計で、御荘久良に砲台を完成させています♪後に宇和島湾にも砲台場を設けようとしていましたが、安政元年(1854年)の大地震の為に民力の疲弊を考え、その計画をいったん中止していました☆が、しかし二宮長兵衛在明という篤士家の出資申し出があり、宇和島藩も遂には宇都宮九太夫綱敏、松田源五左衛門常愛を奉行人として、樺崎砲台の築造に着手しました♪

慶応2年(1866年)宇和島に来航したイギリス軍艦に対して礼砲を撃った事がアーネスト・サトーの記録にあり、実戦には役立つものではないらしいとも記されていますが、宇和島藩もまた西洋築造法を導入して、異国と戦う意志を見せたのでした♪

砲台跡の傍らに竣工を記念し、その経過を記して、安政3年(1856年)に建てられた碑石が今も残ります♪その後、元治元年(1864年)宇和島湾の向かい側の戎山にも、砲台が築かれています♪

昨日の地震の影響がありません様に!

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