市場城(いちばじょう)

市場城の基本情報

通称・別名

私部(きさいち)城、紀佐市城

所在地

鳥取県八頭郡八頭町市場

旧国名

因幡国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

なし

築城主

因幡毛利氏

築城年

室町時代前期?

主な改修者

不明

主な城主

毛利氏

廃城年

天正10年(1582)頃

遺構

曲輪、虎口、竪堀、堀切

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

山崎城(鳥取県鳥取市)[4.2km]
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丸山城(鳥取県鳥取市)[10.6km]
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新山城(鳥取県鳥取市)[13.9km]
二上山城(鳥取県岩美郡)[14.1km]

市場城の解説文



市場城(いちばじょう)は、鳥取県八頭郡八頭町市場(因幡国)にあった日本の城。別名私部城(きさいちじょう)。

概要 

約270メートルの高さの山全体を使った堅固な城であり、有力国人・因幡毛利氏によって築城された大規模な支配拠点の城である。現在は山林となっているが比較的良好に遺構が残存している。

歴史 

前史

  • 室町時代前期、因幡毛利氏によって築城、以後同氏の本拠地となる。
  • 延徳元年(1489年)11月、第2次毛利次郎の乱を起こした城主・毛利貞元は山名豊時に攻められ城内にて自害した。
  • 永正~天正年間には但馬山名氏に抗する毛利・矢部氏ら国人衆の拠点となり、相次いで合戦が引き起こされた。
  • 永正元年(1504年)3月の私部志谷口合戦では毛利方と思われる土師四郎左衛門尉が山名豊重方の武将・北川与三左衛門尉によって討捕らえられている。
  • 永禄3年(1560年)2月には山名宗詮方の武将・中村政重父子らと毛利氏との間で合戦が行われ(私部表合戦)、毛利左近丞らが戦死した。永禄7年(1564年)8月頃には経緯不明であるが、但馬山名側との関係改善がなされたようで、山名宗詮の私部入城が実現している。
  • その後も毛利氏・尼子氏・山名氏などが複雑に入り乱れる情勢が続き、尼子勝久・山中幸盛の挙兵以降、因幡毛利氏は尼子方に属した。
  • 天正元年(1573年)、幸盛の娘婿(養女)の亀井茲矩が城を任される。茲矩は当時はまだ17歳だった。
  • 天正2年(1574年)春、山中幸盛が入城し、「安芸毛利氏と対抗するための拠点」として利用しているが、翌年9月には安芸毛利氏の猛攻によって二の丸・三の丸まで攻め込まれ、10月には落城した。

安土桃山時代

  • 因幡毛利氏は落城後、安芸毛利氏の下へ属したが、天正8年(1580年)には羽柴秀吉によって落城させられ、城主・毛利豊元らは山名豊国の鳥取城へ逃れたという。(『吉川経家書状』によれば天正9年(1581年)5月頃の当城は安芸毛利方の包囲下に置かれ、秀吉方は長期の籠城を余儀なくされていた。なお、同書状によると但馬からの兵糧が運ばれたものの、城内の士気は低下していたという。)
  • 毛利豊元退城後、但馬有子山城から山名氏政が領地替えとなり入城する。
  • 山名氏政は当城より軍勢を引き連れ、鳥取城攻めに加わった。
  • 天正10年8月28日付けで山名氏政は播磨加古郡へ再び領地換えとなり、市場城は廃城となった。

構造 

標高269.1メートル(比高135メートル)の山頂部に南北90メートルの主郭があり、それを中心に放射線状に広がるようにして尾根上に多くの曲輪が存在する。

この他にも堀切、竪堀、2ヶ所の虎口などが残っている。一部の曲輪群は竪堀で区切られ、それぞれ独立した防備が可能になっている。

参考文献 

  • 高橋正弘『因伯の戦国城郭 通史編』自費出版、1986年
  • 平凡社地方資料センター編『日本歴史地名大系32 鳥取県の地名』(平凡社、1992年)ISBN 4-582-49032-8
  • 角田誠「若桜鬼ヶ城の構造に見る因幡の近世化過程」(角田誠・谷本進編『因幡若桜鬼ヶ城』城郭談話会、2000年)
  • 鳥取県教育委員会『鳥取県中世城館分布調査報告書 第1集(因幡編)』2002年

市場城の口コミ情報

2025年11月01日 曲輪勘解由長官削平
市場城



山名イベでやって来ました。

鳥取県八頭郡八頭町市場と上津黒に跨がる標高約270mの城山に城跡があります。別名:私部(きさいち)城。

登城口向かいには解説付きの詳細な縄張図が貼ってあります。
登城口から看板に従い小路を進み、墓地の手前を左へ曲がり、道なりに山へと取り付きます。
龍蛇さん跡、愛宕社跡を過ぎ、8分でかえる岩に到着。巨石群を越え、二の丸まではさらに10分でした。
二の丸の下の郭までは道があったのですが、二の丸からは不明瞭です。ちょっと道を外してしまい、二の丸から本丸まで10分かかりました。青・黄・赤の杭があるので目印になりそうです。
本丸からさらに南の堀切を見てUターン。二の丸下の郭まで引き返し玄蕃ガ平に向かいました。二の丸下の郭から馬場ガ平を経由し玄蕃ガ平までは15分でした。
玄蕃ガ平からさらに北へ段郭を下り最下段から竪堀を渡ると墓地に出て10分で最初の登城口へ戻る事が出来ました。

城域内は登城口からのものを除きはっきりした道がないので縄張図必携です。縄張図取り込み機能が今回も大活躍でした。

全体のほんの一部しか確認出来ていませんが、曲輪、切岸、堀切ととても見応えある城郭でした。

悩ましいのは観光用の駐車場がなさそうなところです。
(自分は市場彩祭館に停めましたが…各自の判断になるかと思われます)

①二の丸
②本丸
③堀切
④堀切
⑤堀切
⑥馬場ガ平の上にある郭
⑦馬場ガ平
⑧玄蕃ガ平

2025.8.15

2025年08月05日 国府左京大夫城介
市場城

公共交通機関でのアクセス

郡家駅から、やずバス私都線で、「中私都郵便局前」で下車し、徒歩3分で登城口。

なお、この路線は、月〜土では日中4便ありますが、日祝は日中2便となります。(R7.8.5現在)また、小型バスは車内アナウンスがなかったので、地図を見ながら気を付けて乗ってください😅

2018年05月02日 佐渡守みきを
市場城

麓にある集落に立派な縄張り図が掲示されています。その向かい側に「市場城」の看板があり、城域に向かうことが出来ます。しかし、登山道がどこにあるかわからなかったので、適当に登りました。説明文通り多くの曲輪があり、いつの間にか主郭に着きました。

市場城の周辺スポット情報

 市場城跡之図(碑・説明板)

 鷹山城(周辺城郭)

 隆平城(周辺城郭)

 小畑城(周辺城郭)

 覚王寺城A(周辺城郭)

 覚王寺城B(周辺城郭)

 覚王寺城C(周辺城郭)

 白磯城(周辺城郭)

 石仏山城A(周辺城郭)

 石仏山城B(周辺城郭)

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 石仏山城D(周辺城郭)

 野町城(周辺城郭)

 麻生城(東)(周辺城郭)

 麻生城(西)(周辺城郭)

 落岩城(周辺城郭)

 浅見城(浅見山城)(周辺城郭)

 鷹巣山城(周辺城郭)

 上津黒城(本城)(周辺城郭)

 上津黒城(北城)(周辺城郭)

 下津黒城(周辺城郭)

 石山の砦(周辺城郭)

 鷹巣山城(鷹の巣の城)(周辺城郭)

 延命寺城(周辺城郭)

 大坪城(鷲ヶ城)(周辺城郭)

 篠波城(周辺城郭)

 上峰寺砦A(周辺城郭)

 上峰寺砦B(周辺城郭)

 上峰寺砦C(周辺城郭)

 上峰寺砦D(周辺城郭)

 峰寺薬師堂山城A(周辺城郭)

 峰寺薬師堂山城B(周辺城郭)

 峰寺薬師堂山城C(周辺城郭)

 峰寺薬師堂山城D(周辺城郭)

 峰寺御本陣(周辺城郭)

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 比丘尼城(周辺城郭)

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 平木城(周辺城郭)

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 富枝城/三十人山城(周辺城郭)

 鷹山城南東曲輪群(周辺城郭)

 鷹山城南西曲輪群(周辺城郭)

 郡家駅駐車場(駐車場)

 ぷらっとぴあやず(関連施設)

 登城入り口(その他)

 かえる岩(その他)

 登山口(その他)

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