景石城(かげいしじょう)

景石城の基本情報

通称・別名

磯部城、磯辺城

所在地

鳥取県鳥取市用瀬町用瀬

旧国名

因幡国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

なし

築城主

用瀬氏

築城年

南北朝時代

主な改修者

磯部豊直

主な城主

用瀬氏、磯部氏、山崎氏

廃城年

元和元年(1615)

遺構

曲輪、石垣、横堀(空堀)、堀切、土橋、石段

指定文化財

市史跡(景石城)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

丸山城(鳥取県鳥取市)[6.8km]
鵯尾城(鳥取県鳥取市)[10.7km]
市場城(鳥取県八頭郡)[11.9km]
余戸城(鳥取県鳥取市)[13.7km]
妙見山城(鳥取県鳥取市)[14.0km]
香音寺城(鳥取県八頭郡)[14.3km]
山崎城(鳥取県鳥取市)[15.9km]
蓑上城(鳥取県鳥取市)[16.1km]
若桜鬼ヶ城(鳥取県八頭郡)[16.5km]
新山城(鳥取県鳥取市)[17.1km]

景石城の解説文



景石城(かげいしじょう)は、鳥取県鳥取市用瀬町用瀬にあった日本の城。鳥取市指定史跡[1]

歴史 

南北朝時代頃、国人領主の用瀬氏が築城したといわれる。『太平記』によれば延文5年(1360年)、赤松世貞らによって落城させられたという。ただ、この時すぐさま山名時氏によって奪還された。戦国時代には用瀬左衛門尉が居城した。天正8年(1580年)、羽柴秀吉の攻撃により用瀬氏が退去すると山名康氏が入城したが、毛利方の山名豊国に攻撃されて退いた。天正9年(1581年)、羽柴秀吉の因幡平定が完了すると再び磯部豊直(山名康氏)が入城し、智頭郡3000石が与えられた。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで磯部氏が改易されると山崎家盛の持ち城になったが、山崎氏の転封により、元和3年(1617年)ごろ廃城された。

構造 

用瀬集落の東、頭巾山(標高325メートル)の山頂部に位置し、用瀬氏の築いた中世の曲輪群と磯部氏の築いた石垣造りの曲輪群が存在し、山麓には磯部氏の居館跡が残っている。

山頂部の曲輪群
山頂部の曲輪は磯部氏の造営とされ、主郭は東西35メートル、南北10メートルあり、北西隅に櫓台が残存している。主郭下の曲輪は総石垣造りで、この時期の因幡国の城郭では珍しい造りになっており、周囲の小曲輪にも部分石垣が見られる。主郭西方にも曲輪群や堀切、竪堀などが存在している。
磯部氏居館跡
山麓部に存在し、城山の谷筋に沿って「御屋敷」、「権内屋敷」と呼ばれる曲輪群が残っている。30メートル四方の正方形の曲輪は部分的に石垣造りになっており、階段状になっている曲輪群は西面に石垣が築かれている。
子持松砦
主格の南方370メートル付近に存在する中世の曲輪群で、用瀬氏が築いたものとされる。「子持松砦」の名が付けられているが、独立した別個の城郭ではなく、基本的に用瀬城の一部として扱われる。石垣はなく、平入り虎口、掘切、竪堀が残存している。山頂部に先行して築かれ、天正年間に放棄されたといわれる。

参考文献 

  • 若桜鬼ヶ城の構造に見る因幡の近世化過程」角田誠(角田誠・谷本進編『因幡若桜鬼ヶ城』城郭談話会、2000年)
  • 鳥取県教育委員会『鳥取県中世城館分布調査報告書 第1集(因幡編)』2002年
  • 平凡社地方資料センター編『日本歴史地名大系32 鳥取県の地名』平凡社、1992年 ISBN 4-582-49032-8

景石城の口コミ情報

2025年08月22日 気分爽快権大納言
磯部屋敷跡[景石城  遺構・復元物]



前回、景石城を攻城時に行きそびれた磯部屋敷跡に立ち寄りました。入口案内板が配水池施設の少し上のカーブミラー脇あたりにありますが、夏場は草に埋もれちょっと見えにくいです。遺構は10分程度で見て回れました。

2025年03月23日 図書頭かねつら
景石城



思ってたよりも、昇り降りが大変でした。少なくともトレッキング系の滑らない靴が必要で、軍手のような手袋も欲しい。お城は山上にコンパクトなつくりの割に麓の街からは高低差がありすぎて‥

2023年12月04日 気分爽快権大納言
景石城



しとしと雨の降る中、傘をさしながら登ってきました。岩場が多いのと、道が細いのと、風が強いこともあり時間をかけてゆっくり見て回れなかったのが残念です。
ノロノロ歩いたので時間が足りなくなり磯部屋敷に行けなかったので、天気のいい日にまた行こうと思います。
①駐車場から登ると最初に出くわす岩盤堀切と竪堀
②三の丸を横から
③三の丸は物見台になっている
④主郭南の石垣
⑤主郭にあったデカい岩
⑥定番の石垣
⑦⑥をちょっと降りたところから見た石垣
⑧両側竪堀の土橋は、まさに馬の背

2023年03月06日 ᴿᴱᴰ副将軍
磯部屋敷跡[景石城  遺構・復元物]



景石城の城主であった磯部氏の石垣が素晴らしい居館跡🏯

オススメ度 ★★★★★

築城年代は不詳。在地土豪の用瀬氏によって築かれた景石城の居館。磯部屋敷と呼ばれるだけあって1580年の羽柴秀吉による中国攻めにおいて用瀬氏が退去した後に入城した磯部豊直により築かれたと思われます。1600年の関ヶ原の戦いにおいて、磯部氏は西軍についたため改易され、代わって山崎家盛が入城。1615年に一国一城令により景石城とともに廃されました。

見所
景石城の西側麓にある居館跡です。麓といっても標高150mの山深い場所にあり、南北2条の尾根筋に郭郡を展開しています。北側に4段の石垣が築かれており圧巻の廃城感。ここが城主の居住空間と推定されています。本城の景石城よりこちらがメインでも良いかと思います。

2022年10月10日 ビーンズ左近衛中将
景石城



石垣も残っており、頂上付近には郭も残っていて、見所が多い。

2022年04月07日 和泉守チロ
景石城



登城口近くの駐車場へ行くまでに倒木が道を塞いでいました。車で行かれる際はご注意下さい。

2019年05月12日 内記かすりヾ(・ε・。)
磯部屋敷跡[景石城  遺構・復元物]



御屋敷の最深部、沢堀で景石城と隔絶してるように感じましたが、ここからお城に直登できます。が、今は道路で寸断されてました。とにかく屋敷跡と言いながら中世城館レベルの防御力、景石城の一部と言っても差し支えないと思います。ちなみにこの磯部屋敷跡の南側にも規模は小さいながら似たような遺構らしきものがありますが、確証全くありません。

2019年05月12日 内記かすりヾ(・ε・。)
磯部屋敷跡[景石城  遺構・復元物]



御屋敷はこの最深部にあったと思います。結構広い削平地。ここなら奥様も大満足ですね。後で気付きましたが、この削平地からたぶん当時は二本の竪堀道らしきものが景石城まで伸びていたと思います。奥様がお怒りの時はお城に篭れますね。

2019年05月12日 内記かすりヾ(・ε・。)
磯部屋敷跡[景石城  遺構・復元物]



それにしてもこの苔り具合のグリーンが堪らないです、癒されますね。お城好きで本当に良かったと思います。

2019年05月12日 内記かすりヾ(・ε・。)
磯部屋敷跡[景石城  遺構・復元物]



たまらん石垣の組み方、さっきググったら屋敷の主人磯部豊直は因幡山名氏の一族で、この他にも諸事情で弟の豊次が兵庫県朝来市生野町に城館を作ってそっちも磯部氏館(野間館)と言うらしいです。写真見たらそっちも凄くそそられました。秀吉に降った兄の豊直は景石城で同族相争ってたんですね。

2019年05月12日 内記かすりヾ(・ε・。)
磯部屋敷跡[景石城  遺構・復元物]



素晴らしい石垣の段々感。屋敷跡なのでこの辺りもお家なのかなと考えてしまいますが、建ぺい率の問題から居住施設はちょっと無理に感じます。純粋に防御施設だと思いますがどうでしょうか、大体段々に住んで落ち着くとか出来ないです。

2019年05月12日 内記かすりヾ(・ε・。)
磯部屋敷跡[景石城  遺構・復元物]



この正面を守る段々と言ったら付近の風景から隔絶されてて全く別次元の存在。遺構を見たらきっと小さな声で「おおーっ」とか言うこと間違いなし。

2019年05月12日 内記かすりヾ(・ε・。)
磯部屋敷跡[景石城  遺構・復元物]



御屋敷は北側を深い沢堀、南側を高い切岸を備えた尾根みたいな曲輪のようなもので守り、正面を段郭で防御する感じ。景石城も素敵ですが屋敷跡の方が圧巻です。

2019年05月12日 内記かすりヾ(・ε・。)
磯部屋敷跡[景石城  遺構・復元物]



場所は景石城の麓にあって、景石城址の石碑の少し南側、車道から東側に位置します。すんごい小さな看板が出てるので参考までに。

2019年05月12日 内記かすりヾ(・ε・。)
磯部屋敷跡[景石城  遺構・復元物]



昨日行ったお家、磯部屋敷跡。呼び方は居館跡とか色々ありますが、リア攻めマップのスポットとして設定するにあたり、現地の看板に従いました。屋敷跡とはいえ極めて守る気満々の立派なお家でした。

2019年05月12日 内記かすりヾ(・ε・。)
景石城



最初は不安だったけど結局攻城3時間ぐらい、色々楽しめました。西国のお城パワーを感じたなり。さて景石城は一旦終了!というのも城主の磯部氏館跡をどうしようかと考え中…明日出直しますー

2019年05月12日 内記かすりヾ(・ε・。)
景石城



子持ち松砦の堀切で竪堀になる感じかな。対岸は土塁でその向こうにも郭が二段ぐらい確認できました。この辺は狭い中にも遺構が沢山詰まってます。

2019年05月12日 内記かすりヾ(・ε・。)
景石城



子持ち松砦です。砦と言うより小さな曲輪ですが、土をいじって三方が厳重に守られてます。

2019年05月12日 内記かすりヾ(・ε・。)
景石城



土の遺構が見たかったら子持ち松砦にいきましょう!ちょっと頑張ればこの土橋君の向こうにスーパーコンパクトながらぎゅっと遺構が詰まった砦(10m×17m案内板ママ)が待ってます。この土橋君は部分的に花崗岩なお洒落さん。

2019年05月12日 内記かすりヾ(・ε・。)
景石城



苔ってるのもあって興奮。自然岩と石垣が混ざり合った箇所も多数ありました。

2019年05月12日 内記かすりヾ(・ε・。)
景石城



当時は威容を誇ったと思われるこの辺の石垣は城下からも確認出来るんですが今はこの有様。そういえば全国に散らばった秀吉家臣団はお城造りにエポックメイキングな革命をもたらしたと何かで読みました。

2019年05月12日 内記かすりヾ(・ε・。)
景石城



主郭付近は磯部氏時代に総石垣に改修されたらしいですが荒廃しまくりでした。ここも石垣だったんだろうなぁみたいな所が多数です。

2019年05月12日 内記かすりヾ(・ε・。)
景石城



こっちは二の丸(案内板ママ)だったかな、眺めは良くないです。

2019年05月12日 内記かすりヾ(・ε・。)
景石城



登城路は狭い上に岩盤が剥き出しになってたりしています。このまま主郭に行くのかなと思ってたらようやく削平された曲輪が現れました。眺めが良いです。

2019年05月12日 内記かすりヾ(・ε・。)
景石城



登城路は遺構らしきものが確認出来ないまま結構登らされて不安に挫けそうになります。最初に現れるはっきりした遺構はこの堀切です。

2019年05月12日 内記かすりヾ(・ε・。)
景石城



昨日行ったお城、景石城なり。何度も城主を替えつつ厳しい時代を生き抜きながらも太平の世にその役目を終えました。

2014年12月30日 カーネル
景石城

景石城から用瀬駅に車道を下ると『磯部屋敷跡』の小さな看板があります(用瀬駅から歩いたときは看板が背を向けているので、気付きませんでした)
4段の大石垣に圧倒されます。道路から3分で着きますので、景石城と併せてどうぞ

景石城の周辺スポット情報

 磯部屋敷跡(遺構・復元物)

 子持ち松砦(周辺城郭)

 鳥ヶ城(美成城)(周辺城郭)

 松茸尾城(古用瀬城)(周辺城郭)

 群佐羅山城(周辺城郭)

 古市城(周辺城郭)

 堀ノ内城(堀ノ内屋敷)(周辺城郭)

 茶臼山城(周辺城郭)

 荒山城(安蔵城)(周辺城郭)

 桜尾城(周辺城郭)

 殿城(周辺城郭)

 桝形城(周辺城郭)

 松尾城(周辺城郭)

 水口牛谷城(周辺城郭)

 丸瀬城(周辺城郭)

 半柵城A(周辺城郭)

 半柵城B(周辺城郭)

 幡ヶ谷城(周辺城郭)

 鉢伏城(鉢瀬城)(周辺城郭)

 栃谷城(周辺城郭)

 坂田大谷平城(南)(周辺城郭)

 坂田大谷平城(北)(周辺城郭)

 坂田城(周辺城郭)

 丸山城(西)(周辺城郭)

 丸山城(東)(周辺城郭)

 三谷城(周辺城郭)

 景石城跡駐車場(駐車場)

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