磯部屋敷跡
磯部屋敷跡([景石城 遺構・復元物])
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磯部屋敷跡の口コミ情報
2023年03月06日 RED副将軍
景石城の城主であった磯部氏の石垣が素晴らしい居館跡🏯
オススメ度 ★★★★★
築城年代は不詳。在地土豪の用瀬氏によって築かれた景石城の居館。磯部屋敷と呼ばれるだけあって1580年の羽柴秀吉による中国攻めにおいて用瀬氏が退去した後に入城した磯部豊直により築かれたと思われます。1600年の関ヶ原の戦いにおいて、磯部氏は西軍についたため改易され、代わって山崎家盛が入城。1615年に一国一城令により景石城とともに廃されました。
見所
景石城の西側麓にある居館跡です。麓といっても標高150mの山深い場所にあり、南北2条の尾根筋に郭郡を展開しています。北側に4段の石垣が築かれており圧巻の廃城感。ここが城主の居住空間と推定されています。本城の景石城よりこちらがメインでも良いかと思います。
2019年05月12日 内記かずりヾ(・ε・。)
御屋敷の最深部、沢堀で景石城と隔絶してるように感じましたが、ここからお城に直登できます。が、今は道路で寸断されてました。とにかく屋敷跡と言いながら中世城館レベルの防御力、景石城の一部と言っても差し支えないと思います。ちなみにこの磯部屋敷跡の南側にも規模は小さいながら似たような遺構らしきものがありますが、確証全くありません。
2019年05月12日 内記かずりヾ(・ε・。)
御屋敷はこの最深部にあったと思います。結構広い削平地。ここなら奥様も大満足ですね。後で気付きましたが、この削平地からたぶん当時は二本の竪堀道らしきものが景石城まで伸びていたと思います。奥様がお怒りの時はお城に篭れますね。
2019年05月12日 内記かずりヾ(・ε・。)
それにしてもこの苔り具合のグリーンが堪らないです、癒されますね。お城好きで本当に良かったと思います。
2019年05月12日 内記かずりヾ(・ε・。)
たまらん石垣の組み方、さっきググったら屋敷の主人磯部豊直は因幡山名氏の一族で、この他にも諸事情で弟の豊次が兵庫県朝来市生野町に城館を作ってそっちも磯部氏館(野間館)と言うらしいです。写真見たらそっちも凄くそそられました。秀吉に降った兄の豊直は景石城で同族相争ってたんですね。
2019年05月12日 内記かずりヾ(・ε・。)
素晴らしい石垣の段々感。屋敷跡なのでこの辺りもお家なのかなと考えてしまいますが、建ぺい率の問題から居住施設はちょっと無理に感じます。純粋に防御施設だと思いますがどうでしょうか、大体段々に住んで落ち着くとか出来ないです。
2019年05月12日 内記かずりヾ(・ε・。)
この正面を守る段々と言ったら付近の風景から隔絶されてて全く別次元の存在。遺構を見たらきっと小さな声で「おおーっ」とか言うこと間違いなし。
2019年05月12日 内記かずりヾ(・ε・。)
御屋敷は北側を深い沢堀、南側を高い切岸を備えた尾根みたいな曲輪のようなもので守り、正面を段郭で防御する感じ。景石城も素敵ですが屋敷跡の方が圧巻です。
2019年05月12日 内記かずりヾ(・ε・。)
場所は景石城の麓にあって、景石城址の石碑の少し南側、車道から東側に位置します。すんごい小さな看板が出てるので参考までに。
2019年05月12日 内記かずりヾ(・ε・。)
昨日行ったお家、磯部屋敷跡。呼び方は居館跡とか色々ありますが、リア攻めマップのスポットとして設定するにあたり、現地の看板に従いました。屋敷跡とはいえ極めて守る気満々の立派なお家でした。