大野城(おおのじょう)
大野城の基本情報
通称・別名
- 長井城
所在地
- 兵庫県美方郡香美町香住区大野城山
旧国名
- 但馬国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 阿瀬重家
築城年
- 天正年間(1573〜1592)
主な改修者
- -
主な城主
- 阿瀬氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
轟城(兵庫県豊岡市)[11.5km]
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大野城の口コミ情報
2025年05月03日 佐吉
養山城[大野城 周辺城郭]
主な遺構は土塁、建物礎石、虎口等で、主郭には城主供養塔や五輪塔が建てられている。また、その他の遺構として、戦没者忠魂碑や海難者供養塔が建てられている。
登山道の入口は城の南側で、民家の間に「史跡養山城跡 ●登山道 ココ入る」との表示があり、非常に分かりやすい。今でも地元の方によってきれいに整備されているため、子連れでも登山可能である。
2025年05月03日 佐吉
養山城[大野城 周辺城郭]
養山城(美方郡香美町香住区上計字城山)
養山城は上計集落北側、西から東に延びる尾根が柴山湾に突き出した、標高約55mの丘陵突端部に所在する。比高は約53mある。城域は東西約120m・南北約90m。
伝承では、城主は長氏。正平9(1354)年4月、初代城主長次郎左衛門尉長宗は南朝方の山名時氏配下として上洛し、将軍足利義詮の軍を攻め敗走させた。同年5月、長宗はその功によって丹生の地頭に補せられ、養山城を築城したという。
5代丹生美作守長近は境界を巡って無南垣・館山城主塩冶左衛門尉秀国と争いが絶えず、享禄2(1529)年11月23日、長近42歳初老の宴を張っていたところ、秀国の奇襲を受け、長近は自害、城は落城した。
一家は離散したが、永禄元(1558)年3月18日、訓谷貴船川の合戦で、次男熊之助が塩冶秀国と争い、遂に仇討ちを果たした。
慈悲の殿様と民から慕われていた長近の死を憐れみ、この地域では今でも42歳の初老の宴は行わないとされる。
2024年05月21日 tracer_azu
釣鐘尾城[大野城 周辺城郭]
釣鐘尾城主であった野石氏は塔の尾城主の長氏と計って志馬比城の篠部有信を攻め落としたといわれています
戦国時代末期に毛利氏と同盟をむすんで織田氏に抵抗した垣屋豊続が 改修の手を加えたものとされ、文書も残っているようです。
釣鐘尾城は北方の志馬比城と連携しながら、 東方から押し寄せてくる織田軍を意識した垣屋氏の防衛ラインを担う城だったと思われます。
2022年10月17日 鈴木剛
志馬比城[大野城 周辺城郭]
688年~1336年 主な城主 志乃武王・篠部有徳
有馬皇子が紀伊には行かずこの地にたどり着いたと言う伝説があるそうでその子孫だそうです。
1750年には石津甲斐守が城主だったようです。