久美浜陣屋(くみはまじんや)
久美浜陣屋の基本情報
通称・別名
- 久美浜代官所、久美浜代官陣屋
所在地
- 京都府京丹後市久美浜町西本町
旧国名
- 丹後国
分類・構造
- 代官所
天守構造
- なし
築城主
- 徳川幕府
築城年
- 享保20年(1735)
主な改修者
- -
主な城主
- 海上弥兵衛(代官)
廃城年
- -
遺構
- 移築門(豊岡市立図書館)
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
豊岡城(兵庫県豊岡市)[10.0km]
五箇城(京都府京丹後市)[13.0km]
轟城(兵庫県豊岡市)[13.1km]
下岡城(京都府京丹後市)[13.5km]
山名氏城館(兵庫県豊岡市)[13.5km]
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出石城(兵庫県豊岡市)[16.5km]
楽々前城(兵庫県豊岡市)[21.9km]
谷垣城(京都府与謝郡)[23.1km]
弓木城(京都府与謝郡)[23.4km]
久美浜陣屋の解説文
[引用元:Wikipedia「久美浜陣屋」の項目]
久美浜代官所(くみはまだいかんしょ)は、丹後国熊野郡久美浜(現・京都府京丹後市久美浜町)にあった陣屋(代官所)。久美浜城の山麓にあった館の故地に設けられた。西本町城山の京丹後市立久美浜小学校付近にあった。
歴史
寛文6年(1666年)の京極家(丹後宮津藩)の改易にともない、丹後国熊野郡久美浜は天領となった。当時の陣屋(代官所)は加佐郡にあった。
その後久美浜は、寛文9年(1669年)に宮津藩領、延宝8年(1680年)に天領、天和元年(1681年)に宮津藩領とめまぐるしく変わった。享保20年(1735年)に天領になった際、代官の海上弥兵衛が従来の湊宮船見番所を久美浜に移転して陣屋に改めた。
久美浜陣屋は丹後国と但馬国の2か国にまたがる約7万石を管轄した。1868年(明治元年)に置県が行われると久美浜県が設置され、久美浜代官所に県庁が設けられた。
参考文献
- 『日本歴史地名大系 26 京都府の地名』平凡社、1981年
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府 上巻』角川書店、1982年
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久美浜陣屋の口コミ情報
2024年11月10日 ショウちゃん
久美浜陣屋
江戸中期に久美浜城(松倉城)の山麓居館跡に江戸幕府が築いた代官陣屋で、丹後国・但馬国の計7万石の天領を管轄し、明治まで存続しました。廃藩置県により久美浜陣屋には久美浜県庁が置かれました。松倉城も行ってきました!
2024年08月02日 RED副将軍
金谷城[久美浜陣屋 周辺城郭]
久美浜地域で最大級規模の山城🏯
オススメ度 ★★★★★
築城年代や築城主等の詳細不詳。野村氏の居城とされ、城主の名に野村監物が伝わります。
見所
川上谷川右岸の丘陵上に築かれています。
最高所に主郭を置き、西へ伸びる尾根上に二の郭、三の郭と連なり郭郭の両側は深い箱堀で尾根を遮断し区切られています。
高く鋭い切岸と堀切で堅められ、要所には大規模な竪堀を敷設し横移動を制限しています。
2024年02月24日 RED副将軍
久美浜陣屋
丹後、但馬の7万石を管轄した代官陣屋跡
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
1735年に江戸幕府によって築かれた陣屋跡。
1666年に京極氏が転封となった後は久美浜は天領となり、1697年に久美浜に代官を設置するも、大津・京都の陣屋が丹後の代官を兼ねていました。
その後、享保年間(1716年〜1736年)に湊宮船見番所を陣屋と改めました。
1735年、湊宮船見番所の代官であった海上弥兵衛が久美浜に代官陣屋を移し築かれたのが久美浜陣屋であり丹後・但馬・丹波・播磨・美作の天領を管理しました。
置県が設けられた明治元年の1868年に久美浜県庁となり、翌1869年に生野県を分離し、1871年に豊岡県に統合されました。
見所
現在は久美浜小学校の敷地となっており、ほぼ遺構は消失。正門脇に案内板が立っています。
小学校の前に陣屋川が流れ陣屋橋が架かっています。
久美浜県庁の正門(写真④)が豊岡陣屋跡地である豊岡図書館に、正面玄関棟は神谷神社境内にそれぞれ移築され現存しています。
行き方は、跡地である久美浜小学校の周辺には駐車場が無いので約500m離れた久美浜公園駐車場を利用し歩いて行きました。
2023年01月15日 RED副将軍
金谷本丸城[久美浜陣屋 周辺城郭]
単郭ながらも見事な虎口、大堀切が堪能できます✨
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代等の詳細不明。
近隣の野村監物の居城と伝わる金谷城の出城と考えられています。
見所
登城から間もなく見事な虎口に到達。主郭は集合墓地となっていますが背後は大土塁(櫓台か?)が聳え、更に大堀切で防御線を張っています。主郭の切岸も立派。
更に東へ尾根を進むとハッキリとした堀切、竪堀が散見できます。
本城の金谷城と併せての訪城をオススメします。
2022年08月18日 救援無用の丁稚主膳佑熊太郎
久美浜陣屋
今は久美浜小学校になっています。久美浜湾は宍道湖に比べるとマイナーかもですが、汽水湖で波がとても穏やかなところ。久美浜湾の袂に陣屋はありました。廃藩置県のあったときには久美浜県という尼崎まで届く広大な県が誕生したことも。
毎年8月9日には大文字の送り火がここ久美浜でも焚かれます。
2021年09月12日 葵 弾正大弼
久美浜陣屋
久美浜小学校の裏(西側)に、古い町営住宅のような建物があります。その奥に御陣屋清水なるものがありました。飲料用ではないですが、今も生活用水として使用されているようです。
2020年08月17日 ko+
久美浜城(松倉城)[久美浜陣屋 周辺城郭]
車は久美浜公園の駐車場か、如意寺前の駐車場に停めるよう、久美浜町観光総合案内所の方に教えて頂きました。
公共交通機関利用の場合、久美浜駅から登山口まで徒歩10分です。
久美浜小学校の西、道路沿いの赤い小さな鳥居を南へ入ると登山口があり、10分ほど登れば主郭に着きます。
久美浜陣屋跡の西、標高57mの丘陵最高所に主郭を、そこから北・東に延びる2方向の尾根上に階段状に郭を展開する。
主郭には礎石と思われる石が残り、建物が存在したと思われる。
主郭西に堀切、北へ展開する郭群の西に土塁、竪堀が置かれ、西側を意識した造りとなる。
国人伊賀殿、一色宮内少輔、清水治左衛門、松井佐渡守康之が城主として記録に残る。
また、松倉周防守が居城した事から松倉城と呼ばれるとも伝わる。
細川家の重臣であり、豊臣秀吉にも重用された松井康之が在城した18年の間に城の増築、城下町の整備がされた。
縄張図は京都府教育庁文化財保護課のホームページより確認出来ます。
写真は
①登山口②東郭群切岸③主郭からの眺望④主郭⑤北郭群土塁⑥北郭群西竪堀⑦主郭に残る礎石 ⑧主郭西堀切
です。
季節によってはマムシに注意が必要ですが、比高が低く登りやすいお城跡です。
登ったり降ったりする度にワクワクする遺構、主郭から望む久美浜湾や小天橋が作り出す美しい景色、城下に残る武者止め、鍵曲等の跡をぜひ楽しんでください。
2017年06月11日 権中納言みきを
久美浜陣屋
・お城について
陣屋跡には小学校が建っており、現地に遺構らしきものは見当たらないと思います。ただ、後ろにある山には松倉城という城跡があり、こちらは曲輪が残っています。
・アクセス
電車の場合、京都丹後鉄道の久美浜駅から徒歩、車の場合は近くにある無料の市営駐車場等に停めることができます。
・周辺スポット
古くからあるお寺や、美濃三人衆の稲葉一鉄の末裔が建てた豪商稲葉本家があります。