養山城
養山城([大野城 周辺城郭])
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養山城の口コミ情報
2025年05月03日 佐吉
主な遺構は土塁、建物礎石、虎口等で、主郭には城主供養塔や五輪塔が建てられている。また、その他の遺構として、戦没者忠魂碑や海難者供養塔が建てられている。
登山道の入口は城の南側で、民家の間に「史跡養山城跡 ●登山道 ココ入る」との表示があり、非常に分かりやすい。今でも地元の方によってきれいに整備されているため、子連れでも登山可能である。
2025年05月03日 佐吉
養山城(美方郡香美町香住区上計字城山)
養山城は上計集落北側、西から東に延びる尾根が柴山湾に突き出した、標高約55mの丘陵突端部に所在する。比高は約53mある。城域は東西約120m・南北約90m。
伝承では、城主は長氏。正平9(1354)年4月、初代城主長次郎左衛門尉長宗は南朝方の山名時氏配下として上洛し、将軍足利義詮の軍を攻め敗走させた。同年5月、長宗はその功によって丹生の地頭に補せられ、養山城を築城したという。
5代丹生美作守長近は境界を巡って無南垣・館山城主塩冶左衛門尉秀国と争いが絶えず、享禄2(1529)年11月23日、長近42歳初老の宴を張っていたところ、秀国の奇襲を受け、長近は自害、城は落城した。
一家は離散したが、永禄元(1558)年3月18日、訓谷貴船川の合戦で、次男熊之助が塩冶秀国と争い、遂に仇討ちを果たした。
慈悲の殿様と民から慕われていた長近の死を憐れみ、この地域では今でも42歳の初老の宴は行わないとされる。