田辺城(たなべじょう)

田辺城の基本情報

通称・別名

丹後田辺城、舞鶴城

所在地

京都府舞鶴市字南田辺15-22

旧国名

丹後国

分類・構造

輪郭式平城

天守構造

不明

築城主

細川藤孝

築城年

天正7年(1579)

主な改修者

主な城主

細川氏、京極氏、牧野氏

廃城年

明治7年(1874)

遺構

曲輪、石垣、横堀、庭園

指定文化財

市史跡(田辺(舞鶴)城趾)

再建造物

門、塀、模擬櫓、石碑、説明板

周辺の城

建部山城(京都府舞鶴市)[3.2km]
中山城(京都府舞鶴市)[4.9km]
行永城(京都府舞鶴市)[6.4km]
泉源寺城(京都府舞鶴市)[8.6km]
上林城(京都府綾部市)[11.8km]
宮津城(京都府宮津市)[15.7km]
山家城(京都府綾部市)[16.0km]
小畑城(京都府綾部市)[16.5km]
河守城(京都府福知山市)[18.3km]
砕導山城(福井県大飯郡)[20.3km]

田辺城の解説文



田辺城(たなべじょう)は、京都府舞鶴市にある日本の城。

鎌倉幕府・室町幕府の八田守護所(丹後守護所)の後身ともいわれ、戦国時代から江戸時代にかけて存在した。別名は舞鶴城(ぶがくじょう)。舞鶴市指定史跡[1]

沿革 

室町時代

室町幕府の丹後守護所は加佐郡の八田であり、丹後守護の一色氏は八田の守護館において政務をとっていた(若狭武田氏との抗争中は除く)。この館は平地にあるため、有事の際は背後の建部山にある建部山城に籠って戦うこととされていた。

戦国時代

1578年(天正6年)織田信長の命によって守護大名の一色義道を滅ぼし、丹後を制圧した長岡藤孝(幽斎)は、はじめは宮津城を居城としたが、京都に近く交通の要所であった旧丹後守護所の加佐郡八田に、地名を田辺と改めた上で田辺城を築き、経営の中心とした。隠居後は、子の忠興を入城させた。

田辺城攻防戦

1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いが勃発すると、当主になっていた細川忠興は石田三成率いる西軍の誘いを退け、徳川家康率いる東軍に加勢した。隠居していた藤孝は自分の居城である宮津城では西軍の攻勢を防げないと考え、宮津城を焼き払い、田辺城に入城、西軍を迎え撃った。田辺城は石田三成の家老島清興の親族にあたる小野木重勝や豊臣家の重臣前田玄以の子茂勝が率いる西軍・1万5千人に包囲されると、50日に及ぶ戦となった。戦闘の末、藤孝は自身のもつ「古今伝授の書」が戦火で忘却されるのを恐れ、それを後陽成天皇に献上した。藤孝の戦死を憂いた後陽成天皇の仲介で西軍は攻撃をするのをやめ、命を助けられた。田辺城を開城した藤孝は敵将前田茂勝の丹波亀山城に入った。なお、7月15日に田辺城に入城した三刀谷孝和の見聞と叙述を記述したものが『三刀谷田辺記』である。子細な城内事情を詳しく伝えており、当時の一般部将の時局認識の素朴な実態を物語ったものである[2]

江戸時代

こののち細川忠興は豊前国小倉に転封され、京極高知が丹後一国12万3千石を与えられ仮に田辺城に入城したが、宮津城を再築し宮津城へ本拠地を移した。このとき田辺城の建造物は、ことごとく破壊されたと伝えられている(一国一城令)。京極高知の遺言によって京極家は嫡男・高広が宮津藩7万5千石、次男・高三が田辺藩(舞鶴藩)3万5千石、養子・高信が峰山藩1万3千石を相続した。

初代舞鶴藩主となった京極高三により石垣の修復や櫓の再建が図られ、荒廃していた田辺城は再興された。再建された田辺城は、絵図によると二の丸を中心に再建され、二の丸の南に御殿、二の丸北に二重櫓、二の丸に櫓門2基、三の丸に櫓門が3基建てられていた。

京極氏は3代続いた後、豊岡藩へ転封となり、代わって牧野氏が1668年(寛文8年)3万5千石で入封すると、田辺城の大手門その他の城門・石垣などが改築され、それを代々世襲し明治の時代まで繁栄した。1869年(明治2年)には版籍奉還が行われ、その後、紀伊田辺藩との同一藩名を解消するため太政官より田辺藩の名称変更を命じられ、同年6月に田辺城の雅号・舞鶴城に因んで舞鶴藩に改称した。

現在の田辺城 

現在の田辺城跡は舞鶴公園になっており、1940年(昭和15年)に復興された二層櫓の彰古館、本来の外堀跡地に1992年(平成4年)に模擬復興された城門には田辺城資料館、天守台石塁などがある。また濠はすべて埋め立てられていて存在しない。

アクセス 

  • 西日本旅客鉄道(JR西日本)舞鶴線・西舞鶴駅から徒歩4分。
    • 京都駅より特急まいづるに乗り、約1時間30分で西舞鶴駅着
  • 舞鶴若狭自動車道・舞鶴西ICから車で10分。

田辺城の口コミ情報

2025年09月17日 ᴿᴱᴰ 副将軍
田辺城



関ケ原の戦いの前哨戦である田辺城の戦いの舞台であり、舞鶴藩主代々の居城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。室町時代に丹後守護職であった一色氏は八田の守護館で政務を行ったとされ、その前身とも云われますが定かではありません。
1579年、織田信長による丹後征伐で細川藤孝・忠興の父子は宮津城を拠点としていましたが、丹後を制圧し築いたのが田辺城であり、地名も八田から田辺と改めました。
1582年、織田信長が本能寺の変で没すると、細川藤孝は明智光秀との姻戚関係(細川忠興の妻が明智光秀の娘である細川ガラシャ)があったことから、味方する様に催促受けるも隠居して断ります。細川藤孝は隠居して幽斎と号し、田辺城を隠居城としました。
1600年の関ヶ原の戦いでは、細川忠興は徳川家康に従い会津の上杉征伐に向かっため、石田三成は大坂玉造の細川屋敷に居たガラシャを人質に取ろうとしましたが、ガラシャはこれを拒み屋敷内で自決。(キリスト教では自殺は禁じられているため、家老が介錯し遺体が残らぬように爆薬を仕掛けたとされる)
さらに石田三成は福知山城の小野木重勝に丹後侵攻に向かわせ、一万五千の兵が田辺城に攻め寄せます。これが関ヶ原の戦いの前哨戦とされる田辺城の戦いです。
細川幽斎は田辺城にわずか五百の寡兵で籠城。五十日以上に渡り落城せずに耐え凌ぎ、朝廷の勅使により双方が引いたため開城をしました。
関ヶ原の戦い後に細川忠興は豊前国中津に転封となり、代わって京極高知が入封。
京極高知は当初は田辺城に入城するも、直ぐに宮津城を再建し移ったとされます。そして一国一城令により田辺城は破却。
1622年に京極高知が没すると、丹波藩は嫡男の高広が宮津藩、三男の高三が田辺藩(舞鶴藩)、養子の高信が峰山藩を分割して相続。
初代舞鶴藩主の京極高三は田辺城を再建し、御殿、二重櫓、櫓門を建造しました。
京極氏が3代続いた後、1668年に豊岡藩へ転封。代わって牧野氏が入封し、牧野氏が十代続き明治を迎えました。

見所
伊佐津川と高野川に囲まれ、南側は湿原、北側は舞鶴湾に面する平野部に築かれています。
現在は本丸と二の丸の一部が舞鶴公園として整備され、田辺城資料館と舞鶴市郷土資料館が併設されています。
本丸を中心に渦巻き状に曲輪を配置する渦郭式であり、拡張された三の丸は西を除く三方を巡り、更に西側は外曲輪が付いて輪郭式となっています。
堀は埋められましたが水路として一部が残り、二重櫓と櫓門が再建されています。
また、北側に本丸の石垣、東側に二の丸の石垣、天守台の石垣が残っています。

2025年08月25日 芦屋能登守虎吉
田辺城

田辺警察署前にある復元の大きな門が目印です。天守台石垣と、本丸跡北側石垣の積まれた年代が違うなど、細川、京極、牧野の城主の移り変わりを何となく感じました。復元門2階は資料館になってます。

2025年07月27日 因幡守KINGJOE
田辺城



舞鶴フリートフェスタ(海上自衛隊イベント)に併せて訪問・攻略しました。現在は公園として市民に愛されている様子。

2025年05月07日 あいあい
田辺城

本丸跡から徒歩圏内の2つのお寺に、移築門が残っています。

2024年11月24日 竹中播磨守じゅん兵衛
田辺城



舞鶴警察署のお向いに位置する田辺城は城門を潜るといきなり天守台が現れます。天守台は東西21m南北約31m高さ約4.5mで自然石と荒割石を用いた隙間に小石を詰める古式穴太積みで組まれています。尚、石垣基礎部には天守台の周囲が水堀であったことを示す胴木も確認されていますので田辺城の天守台遺構は水堀を伴う最初期の重要な平城遺構として現代にその姿を語り継いでいます。また、細川幽斎が52日間にも及ぶ籠城戦で西軍を足止めし、最後は後陽成天皇の勅命で包囲が解かれたエピソードつきの田辺城は素晴らしい。

2024年11月23日 真田右兵衛督昌幸
田辺城



門がでかく資料館も情報が豊富でよかったです!

2024年09月01日 上之庄左衛門督平蔵
田辺城



立派な門でなかなか見応えありました。資料館は小ぢんまりしてますが城の変遷や歴史が分かりやすく解説してありとても勉強になりました。

2024年05月04日 サスケ大蔵大輔
田辺城



規模は小さいけど、雰囲気ある。街を散策しながら巡ると良いかも

2024年04月26日 cinnamon
田辺城



細川藤孝が築城。模擬復興された城門が立派!規模は小さいながらも、天守台があり良い雰囲気でした。桜や紅葉の時期にきてみたいです。

2023年12月18日 佐渡守天天丸
田辺城



Ꮲは城の隣にあり、駐車場の券を"舞鶴市西支所窓口(城と反対方向の茶色い建物)"に持っていくと、無料になります。大きな大手門をくぐると、左手に二層櫓。こちら無人で無料。御城印・マンホールカードは、大手門2階でいただけます。奥の資料館は入場料200円。

2023年05月07日 マッキー
田辺城



細川藤孝、忠興親子がいたお城、行ってみたかったので今後実現!本丸、二ノ丸の一部石垣は当時ものが一部残っている!資料館でガイドの方がいます。

2023年05月06日 かわ出雲守赤い彗星
田辺城



田辺城…ステキでした。門と櫓(資料館)に石垣…素晴らしい

2023年02月27日 三河守ぱーる
田辺城



今は公園になっています。少し石垣などが残っています。平城だしこれで大丈夫だったのか?と思われそうですが以前は堀を巡らしていたようです。近くに市営駐車場がありますが復元された大手門の右横にも数台は停めることができそうです。

2022年09月20日 尼崎城因幡守一口城主
田辺城



9月10日、18切符で電車を乗り継ぎ西舞鶴駅に移動。西舞鶴駅西口の構内1階に細川幽斎公についての展示パネルがあったので見てから田辺城(別名舞鶴城)に進軍。城門や資料館入口で幽斎公にお出迎え頂きました。

幽斎公は優雅な文化人というイメージを持っていたのですが資料館や彰古館の展示を見て文武両道の武将だったことが分かりました。展示物を見学後、舞鶴公園を散歩しましたが庭園もあり趣のある落ち着いた公園でした。
西舞鶴駅に戻り鉄旅を再開し東舞鶴から小浜線のお城攻略に向かいました。

2022年09月19日 兵部大輔てっちゃん
田辺城



きちんと整備されていて、公園としてくつろげます。櫓と城門が資料館になっています。

2022年06月01日 桜井太政大臣静龍
田辺城



車の方。舞鶴市営 南田辺駐車場に止められます。ナビ入力もこの駐車場で入力できます。1時間100円。城だけならたぶん100円で済むかと。平日なら空いてました駐車場。駐車場からは歩2~3分。白く目映い城壁が直ぐみえます。城跡は中が芝生のファミリー向け公園になってました。城門入っ右端になんとなくな本丸跡があります。リア攻めしやすいかなあとは思いました。

2022年05月05日 でんちゅ侍従
田辺城



100名城でも続100名城でもありませんが、舞鶴を訪れたときに行きました。名城入りしていて良いくらいではと感じるくらい良かったです。近くに駐車場も有り訪れ易かったです。

2022年05月03日 勘解由長官ピッコ丸
田辺城

西舞鶴駅からは歩いて10分程かと思います。門が復元されておりその中に資料館がありました。一部石垣が残っています。

2022年05月01日 戸沢夜叉九郎正樹
田辺城



JR西舞鶴駅から徒歩約10分で到着します。まず復興大手門と隅櫓が目に入ってきて、大手門をくぐり抜けると発掘された天守台の石垣があります。大手門と櫓の中は資料館になっていて、主に細川幽齋に関する展示がされております。又、大手門のすぐ側に藩校の門が現存しております。

2021年11月21日 カズ@大高の信長
田辺城

どうも北側に一部残ってる石垣だけが本物で、後は新作っぽい。ちょっと残念でしたが、その石垣の上を歩けたのは良かったです。

2021年10月19日 瀧乃道摂津守ユズル
田辺城



駅から近く、小さいながらも見応えがありました。資料館は200円かかりますが、甲冑も3領あり撮影可能と満足度は高めです。

2021年06月13日 ゆきょう左近衛少将
田辺城



無料の資料館と200円の資料館がありましたが、どちらもすごく勉強になりました。敷地内を整備されてた方に声をかけていただき、とてもわかりやすい説明をしていただきました。

2021年05月15日 廣田刑部卿
田辺城

地場のファミレスで食事して明倫小学校の方に歩いていけば、すぐでした。交差点でも三ノ丸とあって大きなお城だったと思います。

2020年11月04日 明石家船上
田辺城



石垣が公園整備のために、積み直しされており、史跡の保存の観点からすると、今一つです。観光の拠点としたいという市政の方針でしょう。

2020年10月29日 満腹御前
田辺城



平成四年に完成された城門と月です。
近隣の駐車場は有料でしたが 行く価値ありだと思います。

2020年08月19日 Rocky丹波守
田辺城



二階建ての天守は無料。一階は細川幽斎の説明があります。すぐ横に田辺城資料館があります。ここでは御城印が販売されています。田辺城の歴史や城下町などの説明があります。

2020年01月17日 たいら宮内大輔参平
田辺城

2020.01.19より、田辺城「御城印」販売開始との事
田辺城資料館にて1枚300円

2019年05月02日 富安兵庫頭大竜
舞鶴市西支所駐車場[田辺城  駐車場]

1時間/100円ですが、西支所1階で駐車券の100円引きのサービスがあります。

2019年05月01日 たいら宮内大輔参平
臨時駐車場[田辺城  駐車場]

狭いです
5台位が限界?

2019年05月01日 たいら宮内大輔参平
田辺城資料館[田辺城  関連施設]



有料施設になりました。一般200円、学生100円。施設維持には有料化も一手段でしょうが、展示内容は…

2017年04月15日 織田上総介晃司
田辺城

田辺城跡(舞鶴公園)のすぐ北にある有料駐車場に停めて城門に向かう。

城跡としては広くなく、平城のため現代的なものが映り込み、撮影ポイントは少ない。

道を挟んだ向かいの警察署前の前で復興城門を撮影。

2016年05月16日 まるき〜出羽守
田辺城

田辺城の北側1分の所にコインパーキングあり。
1時間100円
30分毎に+50円

今年5月21日と22日は田辺城まつりです。

2015年02月08日 まるき〜出羽守
田辺城

お城の横に無料の駐車スペースがあります(^ω^)現存の穴太積みの石垣が一部残っています。城門の中は資料館(無料)になっていてボランティアの案内人さんがいらっしゃいます、田辺城を詳しく説明していただけます。

2015年01月01日 野呂利左衛門督休三
田辺城

裁判所の前を流れる川は外堀の跡です。

2011年10月19日 【毘】中納言あぶり餅
田辺城

城門の南側に狭いですが無料で停められる駐車スペース有。城門二階の資料館は無料で在中されている方の説明も丁寧で是非とも寄るべき。

2010年07月25日 徳川内大臣源朝臣康武
田辺城

[武将像]細川幽斎像
櫓門内の田辺城資料館内に鎮座。

田辺城の周辺スポット情報

 天守台(遺構・復元物)

 細川幽斎公古今伝授遺跡(遺構・復元物)

 心種園(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 本丸井戸跡(復元)(遺構・復元物)

 本丸石垣(遺構・復元物)

 二ノ丸石垣(遺構・復元物)

 旧明倫館正門(遺構・復元物)

 明倫館(碑・説明板)

 二の丸跡(碑・説明板)

 田辺城御水道跡(碑・説明板)

 佐武ヶ嶽城(周辺城郭)

 愛宕山北支城(周辺城郭)

 愛宕山北城(周辺城郭)

 愛宕山城(周辺城郭)

 高野由里城(周辺城郭)

 引土城(茶臼山城)(周辺城郭)

 女布城/白雲山城(周辺城郭)

 京田城(周辺城郭)

 今田下村支城(周辺城郭)

 今田城(周辺城郭)

 万願寺下城(周辺城郭)

 万願寺城(周辺城郭)

 垣ノ内城(周辺城郭)

 境谷城(周辺城郭)

 倉谷城(周辺城郭)

 福来城(周辺城郭)

 福来東城(周辺城郭)

 飯田倉谷城(周辺城郭)

 天台城/五十里城(周辺城郭)

 上安向山城(周辺城郭)

 白鳥城(周辺城郭)

 上安城(周辺城郭)

 高迫城(新藤山城)(周辺城郭)

 上安久城(周辺城郭)

 五老岳城(周辺城郭)

 匂ヶ崎城(周辺城郭)

 奥母城(周辺城郭)

 和田芋谷城(周辺城郭)

 和田城(周辺城郭)

 舞鶴赤レンガ倉庫群(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 臨時駐車場(駐車場)

 舞鶴市西支所駐車場(駐車場)

 田辺城資料館(関連施設)

 彰古館(関連施設)

 大手門(関連施設)

 模擬櫓(関連施設)

 舞鶴公園(関連施設)

 真名井の清水(その他)

 二ノ丸堀跡(その他)

 大手門跡?(その他)

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