小畑城(おばたじょう)

小畑城の基本情報

通称・別名

所在地

京都府綾部市小畑町宗谷

旧国名

丹波国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

波々伯部氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切

指定文化財

再建造物

碑、説明板

周辺の城

鬼ケ城(京都府福知山市)[4.7km]
石原城(京都府福知山市)[5.8km]
河守城(京都府福知山市)[6.8km]
猪崎城(京都府福知山市)[7.1km]
福知山城(京都府福知山市)[8.2km]
山家城(京都府綾部市)[12.9km]
建部山城(京都府舞鶴市)[15.3km]
中山城(京都府舞鶴市)[15.6km]
田辺城(京都府舞鶴市)[16.5km]
細見辻城(京都府福知山市)[17.0km]

小畑城の解説文

小畑城(おばたじょう)は、京都府綾部市小畑町にあった城である。

東西に流れる伊路屋川に向かって北から南に延びる丘陵の頂部に位置する。

構造 

小畑城は標高103mの小高い丘陵地を利用し、尾根の北側に堀切を設け、その南側を城域としている。

城域の最高所に位置する主郭は、長さ約50m、幅約20mの広さをもち、北辺には土塁を設けている。土塁の北側には堀切を配し、その北側にはさらに土塁状の高まりがあり、その先は自然地形を利用した深い堀切となっている。

主郭の南辺にも土塁状の高まりがあり、高まりの北端から南側の曲輪へ続く道が接続し、さらに山麓へつづら折れの道が繋がっている。主郭の南側には何段かの平坦面が作られているが、その1つに稲荷神社が祀られている。南西側の山麓からこの神社への参道が現在の登山道となっている。

歴史 

小畑城の城主は、『丹波志』等の資料に戦国時代後期にこの地域の領主となった波々伯部氏と伝えられている。

城跡の整備は、地元の方々が、企業や府立林業大学校と一緒に、モデルフォレスト事業で植樹や環境整備に努めている。

情報提供:綾部市観光協会


小畑城の口コミ情報

2024年07月20日 RED副将軍
高津城[小畑城  周辺城郭]



何鹿郡の有力国人である大槻氏の居城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

1349年に大槻清三により築かれたと伝わります。大槻清三は高城城の大槻清政の子とされ、大槻氏は高城城を本拠地として何鹿郡一円に勢力を誇った有力在地土豪です。
1574年、城主は大槻大学であり、織田信長の命による明智光秀の丹波侵攻において落城したと伝わります。

見所
由良川南岸の甲ヶ岳山から北西に派生した八幡山頂部に築かれています。
山頂の主郭部とそこから西へ派生した尾根に築かれた西郭群から構成されています。
高津八幡宮からの林道沿いに西郭群があり、東端の最高所から北西に段郭群が連なります。西端は土塁が巡り側面に横堀が巡ります。
主郭部は南北に伸びた尾根上にあり、南北両峰の最高所に郭を置き、それぞれの郭の周囲に帯郭を敷設。北側が主郭とされ公園整備されています。主郭部と西郭群への尾根は大堀切で遮断されています。
北側斜面に竪堀があるみたいですがよく分かりませんでした。しかし丹波らしい高く鋭い切岸は健在です。
どちらかと言えばプリミティブでストロングスタイルの山城です。

行き方は高津八幡宮を目標に設定。広大な敷地に駐車させて頂き、登城路があり案内板もあるので迷うこともありませんでした。比高は約100mですが広大な城域です。

2024年02月02日 RED副将軍
小畑城



明智光秀により落とされた波々伯部氏一族の居城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代や築城主等の詳細不詳。
戦国時代後期には丹波守護代である内藤宗勝が重臣の波々伯部氏一族を派遣し、波々伯部氏庶流の波々伯部弾正の居城であったと伝わります。
1579年、織田信長の命による明智光秀の丹波攻めにより落城した様です。

見所
伊路屋川北岸の標高103mの丘陵上に築かれています。
ピークに主郭を置き、北側背後は土塁と二重の堀切で遮断されています。
主郭の南側にも土塁があり、数段の削平地が連なります。

城域南東麓に登城口があり案内板が立ちます。案内板前に駐車スペースがあります。

2022年01月08日 RED副将軍
物部城[小畑城  周辺城郭]



超マイナー城🏯
小規模ながらも山塊全体に縄張りを配し、竪堀、横堀、虎口、土塁が明瞭に残ります。

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

1190年頃に諏訪大社の神官であった上原氏が信濃国から入部し築城したと伝わります。
丹波国守護職の細川氏に属し、近隣の大槻氏、位田氏等の丹波衆と交戦しながら守護代を任ぜられるまで勢力を拡大。
しかし、1571年に丹波の赤鬼こと黒井城主の赤井直正に攻められて落城。

見所
山頂に主郭を置き、北側には高い土塁状の櫓台があります。
中腹の空堀道、南西部の虎口と連動した大竪堀は特に必見です。
竹ヤブではありますが、その分、残存度は極めて良好です。

行き方は、物部小学校を目標にして駐車。北東にある諏訪神社の背後の城山が城跡です。
鳥居に向かって右手の脇道が正規のルートと思われますが、左手から竪堀を直登することもできます。

2021年12月03日 RED副将軍
将監城[小畑城  周辺城郭]



無数の畝状竪堀群に大堀切✨畝状竪堀マニアは必見の城跡です🥳
 
オススメ度 ★★★★★

詳細不明の城跡。高津城主の大槻氏一族である大槻将監の居城と伝えられています。1575年の明智光秀による丹波平定の際に高津城は落城しており、将監城も同時期に落城したと考えられています。

見所
馬蹄形の尾根筋上の縄張りに7つの郭が連なり、周囲を無数の畝状竪堀で防御しています。特に北側中間地に見事な畝状竪堀、堀切が残存。また、城域西端にも大堀切と竪堀が密集しており見所です。

駐車場はありません。少し離れた橋近くのスペースに停めて行きました。⁡

2020年04月13日 ソバッソ80.0
栗城[小畑城  周辺城郭]



栗町、高台寺を目標に設定。同寺さんの駐車場をお借りしました。駐車場には近隣住民の飼い猫がいます。かなり人懐っこくクルマのドアーを開けていると、乗ってしまうらしいので気を付けて下さい。

高台寺さんの裏山が城山です。ただどこから侵入したらいいかわからんかったんで、とりあえずヤブを掻き分けて侵入しました。入ってしまえばそれなりに歩けます。所々にピンクテープが巻いてあります。先人さまが目印にして下さったものかな?が、あまりアテにせず縄張り図と現在地を照らし合わせて進んで下さい。ちなみに京都府埋蔵文化財保護科のホームページから、中世城館調査報告書記載の縄張り図を閲覧可能です。

城跡南西側にⅦ、Ⅷ、Ⅸと広大な郭群が表記されていますが、2019年来訪時は台風被害と思しき倒木、崩落により散策出来る状態ではありませんでした。東側の50m規模の大竪堀を登り、ⅥからⅠ郭へと散策しました。平坦地は基本ヤブです。足場のある場所を狙ってさっさと主郭まで進むが吉です。途中、各郭間の切岸は見事です。が、それに騙されて平坦地に期待したら裏切られます。平坦地は雑木林、ヤブ化しています。でもⅠ郭下段、南と東の郭に関しては竹やぶでして、そこはまだ散策しやすく、且つ切岸がかなり鋭角に反りたっていてコーフンします。

とにかく規模がデカイ。そして竪堀を登らないと主郭へ到達出来ないように縄張りされているので、当然攻め入るには労力を強いること間違いなし。崩落とヤブにて魅力は3割減ですが、それでもこの一帯を抑えた大槻さんの居城です。見ておいて損はないです。

しかし大槻さんはこんなデカイ規模の城郭ばかりを所有していたみたいですが、そうとうな動員数を誇ったんでしょうね。

2020年04月12日 ソバッソ80.0
物部城[小畑城  周辺城郭]



物部小学校を目標に設定。物部公民館が隣接していますので、そちらに駐車させて頂きました。

諏訪神社裏山が城山です。某山城讃歌さんには諏訪神社が目印になっている情報がありましたが、周辺に諏訪神社が何ヶ所かあり、我々は違うトコロに辿り着いてしまいましたので、物部小学校を目印にしてもらったらいいと思います。

神社でお参りし無事を祈願して進むと、竪堀がすぐにでてきます。竪堀の周囲は木々が茂ってかなり薄暗いので侵入を躊躇しますが、入ってしまえば案外快適。キレイな竪堀です。

ただ結構な角度のためまぁまぁ疲れます。比高35mなので、30m弱竪堀を登ればⅡ郭へ到達。道中は両サイドに高台を視認でき、そこから迎撃されているんだろうなと思うと、完璧な迎撃態勢が整備されている事に感動を覚えます。

Ⅱ郭が少々帯っぽくⅠとⅢをアクセスしていて少しトリッキーですが、基本急峻な切岸とバカでかい土塁で守るって感じです。Ⅲ郭から見上げる主郭は、それはもう絶望感満載。絶望して萌えたい方は、是非来訪してみて下さい。

2020年04月12日 ソバッソ80.0
天王山城[小畑城  周辺城郭]



志賀郷公民館を目標設定、そちらに許可を得て駐車。徒歩で「尾日山 興隆寺」さんを目指して徒歩5分。国土地理院の卍マークから南西側にある三角点辺りが城山です。

お寺の裏スグ、特に南側に激しい竪堀が数条配備、残り方がエグいです。比高は50m程度なので、まずは寺の裏に回って竪堀を探りテンションを上げるが良いです。

その後は竪堀から郭に直登するも良し、一旦北に戻ってⅢ郭をナメ回してから、土塁をブチ抜いて作られたと思しき後世の登山口から侵入するも良し。僕は後者。だってラクやもん。

あとは明確な平坦地と、明確な竪堀を上から愛でてたっぷり散策して下さい。
お寺裏散策からだいたい1時間半かな。

非常にオススメできる城跡です。綾部市の城跡、クオリティ高すぎます。城主は河北石見守さん誰?

2020年04月12日 ソバッソ80.0
高津城[小畑城  周辺城郭]



高津八幡を目標に設定
神社までは道がついていますので、クルマでアクセスできます。駐車場なのかわかりませんが、ムダに広い土地がありましたので自己責任で駐車。
トイレありますが、超絶キタナイので気合入れて使って下さい。麓で済ませておくが吉です。

八幡宮から整備道が延びていますので、そこを進めば簡素化鳥瞰図が載った看板が出てきます。
整備道は若干、西郭群を破壊して造成されていますので、道を挟んで郭に竪堀跡がつながるのが印象的。
基本、キレイに段々と郭を重ねて防御しています。要所要所に堀切がしっかり入り、結構な硬さの防御設備と思います。
竪堀は数条表記されていますが、正直視認出来ないレベル。頑張って探さなくてもいいかな。

出郭、二重堀切まで散策に行こうと思うなら、2時間コース。
切岸は圧巻の高低差。圧巻です。


将監城跡の大槻氏関連城郭らしいです。

2020年04月12日 ソバッソ80.0
将監城[小畑城  周辺城郭]



隠龍寺を目標に設定
同寺の南西側が城山です。

隠龍寺東に林道があり、そこを南下します。
橋で川を渡れば看板が出てきます(2019年訪)ので、迷わず到達できます。
比高は低いので、入口看板から10分弱登れば明確な広い平坦地が出てきて、あとは明確遺構だらけです。

縄張り図には竪堀が218本(手元集計…)も入り、全方位から防御してたのか?と思わせる縄張りです。が、大槻監物さんの本城と考えられており、周辺スグ近くに支城群がありますので、ホンマにこんな竪堀が必要やったんか?もはや装飾的な役割を担った竪堀なんじゃないか?
と懐疑的になっちゃいます。
とにかく甘いのから明確なのから、竪堀は飽きる程見られます。
ワレメグラーは必見です。


Ⅶ郭からⅣ郭までは、植林になっているようで大変歩きやすく竪堀に入って遊べるレベルなんですが…Ⅲ→Ⅰ→Ⅱは雑木林。
ワタシは6月前半に来訪し、見事に若マダニを五百円玉サイズの塊で貰いました。
周辺は水辺で湿気も高く、茂っているところにはほぼダニやんが生息していると思っておいて下さい。

トラウマでやんす。



しかし竪堀を含めた遺構残存度は極めて高く、綾部駅の一帯を治めていたと考えられる大槻さんの本城、一見の価値ありです。

2019年06月03日 ソバッソ80.0
高津城[小畑城  周辺城郭]



高津城跡、切岸が秀逸。明智勢が統治以前、綾部市南西に勢力を誇った大槻氏の支城群と考えられているそうな。

2019年06月03日 ソバッソ80.0
高津城[小畑城  周辺城郭]



高津城跡の土橋、左に甘い竪堀。明智勢が統治以前、綾部市南西に勢力を誇った大槻氏の支城群と考えられているそうな。

2019年05月25日 しげぽん
綾部城[小畑城  周辺城郭]



現在はせんだん苑南こども園があります。遺構はあまり見られません。

2016年05月15日 まるき〜陸中守
綾部城[小畑城  周辺城郭]

近所の方に話を聞いた所、小学校近辺も城内で遺構等は残っていないとの事、綾部小学校を西に行った所の保育園?の柵の所にに大手門跡の表示があるのみと言う事でした。

小畑城の周辺スポット情報

 栗城(周辺城郭)

 将監城(周辺城郭)

 高津城(周辺城郭)

 物部城(周辺城郭)

 天王山城(周辺城郭)

 綾部城(周辺城郭)

 観光案内所(御城印)

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