八上城(やかみじょう)
八上城の基本情報
通称・別名
- 八上高城
所在地
- 兵庫県丹波篠山市八上上字高城山他
旧国名
- 丹波国
分類・構造
- 連郭式山城
天守構造
- -
築城主
- 波多野元清
築城年
- 永正5年(1508)
主な改修者
- 前田茂勝
主な城主
- 波多野氏、前田氏
廃城年
- 慶長14年(1609)
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切、移築門
指定文化財
- 国史跡(八上城跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
沢田城(兵庫県丹波篠山市)[3.3km]
篠山城(兵庫県丹波篠山市)[3.6km]
籾井城(兵庫県丹波篠山市)[8.2km]
藍岡山城(兵庫県三田市)[13.8km]
金山城(兵庫県丹波篠山市)[14.1km]
細見辻城(京都府福知山市)[15.5km]
三蔵城(兵庫県宝塚市)[15.8km]
柏原陣屋(兵庫県丹波市)[17.5km]
橋爪城(京都府船井郡)[18.0km]
須知城(京都府船井郡)[19.0km]
八上城の解説文
[引用元:Wikipedia「八上城」の項目]
八上城(やかみじょう)は、兵庫県丹波篠山市にあった中世、室町時代から戦国時代にかけて丹波国の国人である波多野氏が本拠とした日本の城(山城)。国の史跡に指定されている。別名は八上高城。
概要
篠山盆地のほぼ中央南部寄りの高城山(460m)および西隣の法光寺山(340m)に位置し、山陰街道が東西に通過する八上を見下ろす。本城と支城が城下を挟み配置される中世山城の典型的特長を伝えており、貴重である。
全体的に大規模な遺構だが、織豊期の改修は主郭Iを中心とした中枢部に限定されており、帯曲輪II、IIIは規格性に乏しく、古い中世遺構を継承している[1]。
沿革
石見の人ともされる波多野清秀が応仁の乱にて戦功をあげて永正年間に多紀郡郡代に就任した際、多紀郡朝冶山に築城して居城としたことから八上城の歴史が始まる。15世紀後半に高城山南西尾根先端部に奥谷城を築き、城下町を奥谷に置く。16世紀前半には高城山頂に八上城を本城として築く。清秀の子、波多野元清は拠点の八上城から多紀郡内の豪族討伐を開始する。当時、細川氏両家の内紛が起きており、高国派だった波多野氏は反勢力の澄元派の酒井氏、長沢氏らの豪族と対立した。そして酒井氏を酒井合戦で長沢氏を福徳貴寺の合戦で撃退し、屈服させた。その後、酒井氏、長沢氏らは重臣に起用され、酒井豊教は主君の波多野元秀(元清の孫)の書状の発給を行い活躍した。弘治3年(1557年)に一度松永久秀によって城を奪われたものの、永禄9年(1566年)に元秀が奪還。支城の法光寺城は、抗争に先立ち八上城および城下の防衛力増強の目的で築城されたものである。その後、城下は中心部を奥谷から街道沿いにあった八上に移した。
天正3年(1575年)に織田信長の命を受けた明智光秀による攻略が開始され、波多野秀治には毛利氏や赤井氏の支援があったものの兵糧攻めにより城内は困窮した。天正7年(1579年)に落城、秀治、秀尚、秀香は捕縛されて安土城下で処刑され、波多野氏は滅亡した。なお、落城の後に秀香が、残兵を集め自らが総大将となって二か月間抗戦し、明智光秀の母(伯母とも)が磔にされたことが知られるが、史実ではないことが明らかとなっている。
この母親が磔になったとされる逸話は『総見記』や『柏崎物語』に記載されているが、光秀の調略による波多野兄弟の誘降に関する記録を恣意的に解釈したものである。八上城の落城は確実であったわけであるから、光秀としても、あえて母親を人質とする必要に迫られることはなかったのである。事実とはほど遠い創作で信じるに足りない[2]。また、井上靖の『戦国無頼』の後半はこの落城時を舞台としている。
波多野氏が滅亡した後、明智光忠が城代として入城している[3]。
慶長7年(1602年)、前田茂勝(五奉行の前田玄以の子)が八上五万石を領して入城する。 慶長13年(1608年)に茂勝が改易され、入封した松平康重が篠山城を築城したため八上城は廃城となった。
八上城の戦い
廃城になるまで数多くの籠城戦が繰り返された。
主な八上城の戦い 合戦名 勝者 敗者 合戦の時期 第一次八上城・神尾山城両城の戦い 波多野元清 細川尹賢 大永6年(1526年)10月 - 11月 第二次八上城の戦い 波多野元秀 三好長慶 天文21年(1552年)4月25日 - 5月23日 第三次八上城の戦い 波多野元秀 三好宗渭 天文24年(1555年)9月27日 第四次八上城の戦い 波多野元秀 松永孫六(籠城側) 永禄9年(1566年)2月26日 第五次八上城の戦い(丹波国征討戦) 明智光秀 波多野秀治 天正6年(1578年)9月 - 天正7年(1579年)6月[4][5] 遺構が残る山城
八上城は慶長14年(1609年)に廃城になるが、古風な中世式の遺構が残る典型的な山城である。大阪歴史学会による保存運動がおこなわれ、2005年3月2日、兵庫県下では41件目の国の史跡に指定されたが、その指定理由として、中世の山城であるにもかかわらず、数多くの遺構が往時のままに残っている点が評価された。
戦国時代の典型的山城である八上城と、近世城郭で典型的な平城である篠山城(ともに国の史跡)とが、ともに丹波篠山市内の近い場所にあるという点も特筆される。
山全体が要塞化しており、東西に長く、北西はもっとも険しく、南は細い尾根が続いており、攻めにくく守りやすい。
八上城の遺構
- 郭
- 石垣
- 堀切
- 土塁
- 井戸
- 水堀
山頂部の曲輪
- 本丸 - 約900m2
- 二の丸 - 約150m2
- 三の丸 - 約550m2
- 右衛門丸
- 岡田丸 - 約800m2
連続型曲輪(縄張り)がある。
所在地
兵庫県丹波篠山市八上上(高城山は高く美しい姿をしており、富士山に形が似ているところから地元では「丹波富士」とも呼ばれている)
- 車でのアクセス
- 舞鶴道 丹南篠山口IC → 県道306号線 → 国道372号(近隣に駐車場は無し)
- 登山道
- 春日神社口 → 右衛門コース → 山頂本丸:徒歩約50分
- 高城山
- 標高:459m 標高差:230m
参考文献
- 【書籍】「戦国織豊期城郭論―丹波国八上城遺跡群に関する総合研究―」
- 【書籍】「戦国合戦大事典」
関連画像
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八上城の口コミ情報
2023年09月05日 しげしげ主税頭信繁
八上城
春日神社の登城口から攻めました。山城ですが階段で登りやすく整備されてましたが息が切れて休み休み40分程掛かって本丸まで辿り着きました。2の丸、本丸からの眺めは素晴らしく疲れも吹っ飛びました。下は違うルートで降りようとしたら、『先日の大雨で崩落がある』と張り紙があったので何も考えず残りのルートに侵入してしまいました…沢づたいの何の魅力も無い道を延々と降りた所、春日神社からはめちゃめちゃ遠い『野々垣口』に出てしまい、駐車場まで40分程田んぼの畦道を半泣きで歩いて戻りました…
2022年12月04日 竹中播磨守じゅん兵衛
八上城
確かに場所が分かりにくい、先人のおっしゃる通り八上内の春日神社を目指すと駐車場に到着。道渡ってすぐ登城口です、案内板にパンフレット備付けてあります。よく整備されてますが階段地獄です、ヘロヘロです。途中、伝下の茶屋丸のすばらしい景色に癒されつつも残り700m階段地獄かよと途方に暮れます。右衛門丸にちょこっと残る石垣は帰りに確認できましたが・・・本丸にたどり着いて油断したせいか北側石垣は痛恨の見逃し、皆さん気をつけましょう。
2022年08月11日 摂津守突風丸
八上城
篠山の観光案内所でパンフを貰って行きましたが、登山口にたくさんありました。登山口には5〜6台停められる駐車スペースがありますが、場所がとにかく分かりにくい。あとで気付きましたが、Googleマップの「八上内の春日神社」を目指せば良いかとおもいます。
城跡は国指定史跡だけあって整備が行き届いており、攻城しやすいです。曲輪跡は綺麗に残っていましたが、堀切や土塀はなかったような??ゼイハア息が上がり切ってましたので、見落としてるだけかも知れませんが。
2022年07月02日 RED副将軍
八上城
丹波国の有力国人である波多野氏の居城🏯
丹波を代表する山城のひとつです✨
オススメ度 ★★★★★
波多野氏は、波多野清秀が応仁の乱による戦功でこの地を与えられ郡代として入封。
当初は、高城山南西尾根先端部に奥谷城(蕪丸城)を築いて居城としていました。
1508年、波多野清秀の嫡男である波多野元清は山頂に八上城を築いて本拠を移します。そして、丹波国守護の細川氏の内紛に乗じて豪族討伐を開始。勢力を拡大し、丹波で有力な国人として確立しました。
しかし、1575年に織田信長の丹波攻めにおいて、信長家臣の明智光秀により包囲されます。2度に渡る兵糧攻めにより、1579年、長い籠城戦の末に落城。
波多野秀治、秀尚、秀香の三兄弟は捕縛されて安土城下で処刑。波多野氏は滅亡しました。
その後は明智光忠が城代として入城。
1602年には、前田玄以の子である前田茂勝が入城し、1608年には松平康重が丹波国に入封するも、篠山城を築城したため八上城は廃城となりました。
見所
標高460mの丹波富士こと高城山の山頂に築かれています。
本丸東側の岡田丸からは鋭い切岸が確認でき、切り立った斜面は難航不落。幾多の籠城戦が行われた山城であることを感じることができます。
本丸、右衛門丸の周辺は石垣遺構が点在し、二の丸入り口に立派な礎石が鎮座。大きな城門があった名残りで本丸へと続きます。
朝路池跡。落城の際に朝路姫が身を投げたという伝承が由来。石垣造りの巨大な池が今も残っています。
行き方は、麓の春日神社を目指してください。春日神社前に広い無料駐車場があり、整備された登山道が付いています。
春日神社から上り、下りは野々垣コースで下山しました。
上り、下りともに40分くらいだったでしょうか。
野々垣コースは水脈に沿っているので天気に関係無くぬかるみがありますのでスニーカーでは厳しいので注意です。
藤木坂コースは倒木等の危険箇所があり今回は利用していません。
2時間半から3時間はみておいた方が良いと思います。
2022年02月07日 RED副将軍
蕪丸城[八上城 周辺城郭]
波多野氏の居城である八上城の前身の城
主郭北側の大堀切は必見です
オススメ度 ★★★★⭐︎
室町時代中期に、波多野清秀は、管領の細川勝元に仕え、応仁の乱では各地で転戦。その功績で細川氏より多紀郡を与えられ、麓に居館を構え、当初はその詰城として機能した城跡です。勢力を拡大し、本拠を八上城に移した後も、蕪丸城は根城としての役割を持っていた様です。
見所
主郭北側の一部岩盤掘削をした大堀切。八上城へ通じる尾根のため、特に厳重な防御線が張られています。主郭東側に虎口が開口し、西側斜面には4条の竪堀、麓には屋敷跡と、小規模ながら本格的山城です。
行き方は、Googleマップに登録があり、西側麓に登城口があります。登城口に1台分の駐車スペースがあります。
2022年01月27日 軍功SOS河内守ささき
八上城
まず行く場合は篠山城・沢田城とセットで行ったら良いと思います。二階町までバスで行き、レンタルサイクルで八上城と沢田城に行くのがオススメです。
八上城はまず入口が4つあります。行きと帰りの道を間違えると、延々と彷徨うので、くれぐれもご注意を。個人的なおすすめは春日神社口→藤木坂コースです。藤木坂コースは雨による崩落で危ないとありますが、特にそんなこともなかったです(多分整備された)。春日神社口→野々垣コースは遺構もたくさんあって良いですが、そのまま降りたら帰りが地獄です。堀切だけ見て引き返すのが良いと思います。
八上城の感想ですが、普通に良かったです。大河で放送されて全面整備したとのこと。行きは少し足場が濡れていますが、それ以外は整備もされて歩きやすかったです。ただ、割と山道登るのでしんどいです。
2021年12月19日 水無月丹波守亀甲山
八上城
昨日、この冬初冠雪した八上城。雪は概ねとけていますがまだまだ足元には残雪あり。麓の町は山の影になってまだ太陽の姿は見えませんが、八上城は朝日に美しく照らされています。
2021年10月10日 西市正マヨ之介
八上城
道中あまり城壁など城っぽいものは
ないけれど頂上には石碑もあるし
景色も良く少し城壁があるし達成感がある。
けれど少し小さい子には難しい。
草などが沢山あり道が分からない所も少しある
2021年05月05日 YUKITUN
八上城
新しい駐車場が春日神社登山口案内板前と神社鳥居横wc前にも数台分あります。地元の方々の気持ちのこもった登山道です。マナーを守ってご利用頂きたいと思いました。
元気な方なら30分~40分ほどで本丸跡に辿り着きます。見どころが沢山あるので計画してから行かれると楽しさ倍増です。時間も余裕を持ってどうぞ!
三の丸跡から本丸まで切り拓かれている為眺望も良いです。篠山城も見られますのでお楽しみ下さい。
藤の木沢コースは崩落地があるので危険です。
車で行かれるなら近くに女性に人気のフタバカフェがあるらしいので立ち寄られては^ - ^
2021年04月25日 アランラッド
八上城
登城口近くに駐車場があり、入口にはパンフレットが置いてあり、登りやすい良い城です。
2020年12月11日 藤原織部正紫
八上城
八上城跡は登山口からあたかも戦国時代へタイムスリップしたような趣があります。
明智光秀の母親が人質に差し出され、織田信長が約束を違えたことによって処刑された場所として有名です。
ネット検索によると、処刑場跡は頂上から見て、登ってきた登山道とは逆に伸びる反対側の道を下って行くとあるようですが、私は行きませんでしたので情報については確認しておりません。
登山道はきちんと整備されていて登りやすいです。
ただ、段差の高い場所が何箇所かあるため、杖があったほうがよいでしょう。
女性の足で休み休みゆっくり登って片道1時間ほどで頂上へ。
本丸に向かう道すがら、何箇所も見どころがあり、登山者を飽きさせません。
鎧武者が駆け抜けて行ったであろう平らな山道や、八上城跡ならではの緑の石垣も出迎えてくれるのでお見逃しなく!
2020年10月26日 あゆとも刑部卿
八上城
朝路池は一見の価値あります。本丸から7分ほど下り、大竪堀の看板を見たら右です。右へ行けという看板がなくて、大変でした。朝路池から本丸までは10分位登りました。本当は朝路池より下にも堀切あるようですが、時間の関係で行けませんでした。
2020年09月21日 もみちやん
八上城
駐車場、登山道も整備されていて良かったです。頂上からの眺望も良く満足度120以上でした。
2020年06月16日 イオ左衛門佐
主膳屋敷[八上城 遺構・復元物]
前田主膳正茂勝の屋敷跡
2020年03月21日 織田上総介晃司
八上城
大河ドラマ「麒麟がくる」の影響で春日神社登山口前に広い駐車場ができました。
(もちろんそこに停めました)
登山口から主要部まで約40分くらい登るようになりますが、所々遺構跡の案内板があり退屈させることはありません。
本丸から先の大竪堀と朝路池を見る為下り、また本丸に戻る為登るのかと萎えるかもしれませんが一見の価値ありです。
勇気を出して進みましょう。
2019年11月02日 和泉守yukinezumi
八上城
2020年の麒麟がくるを前に高城山登山口(春日神社前)に無料駐車場が出来ています(10/27完成)25台程駐車可能でした。
登城ルートの地図は八上城で検索しても出てきませんでした。
丹波篠山市観光情報のサイトの観光パンフレットの山歩きマップ 高城山で出てきます。見どころと登城ルートが載っていてわかりやすかったです。
現地でパンフレットを貰うには篠山城近く、大正ロマン館向かいの観光案内所で受付の方に言うと出してもらえました。
現在藤之木坂登山道は崩落などで危険箇所があり、注意看板が出ていました。実際下山時に使いましたが、倒木や土砂で階段が埋まっていたり危険箇所が何ヵ所かありました。また最後に獣よけの柵があり、鍵がなかなか開かず焦りました。1人で行かれる方は気を付けてください。
2017年02月23日 まるき〜陸中守
八上城
春日神社から登山道が付いています。尾根伝いの所々に番所跡、高くなるにつれ眺望が良くなり100名城の篠山城がなんとなく見える。
ハイキングコースなのでおべんとう持って行くのが良いかな〜(=゚ω゚)ノ
縄張りは単純なので把握しやすく案内板もあるので見逃すこともないかと…
個人的に本丸先の竪堀〜朝路池付近は少し広くなっていてちょっと雰囲気が良いかも。
450メートル程の低山で登り始めの標高が約200メートルくらいなので実質約250メートルの登り。普通に歩けば30〜40分で本丸に行けます。
車は春日神社の若干狭い鳥居をくぐった右側のトイレ横に奥行のあるスペースとかろうじてトイレ前に軽四なら1台停められるかな…
奥行きがあるので連れ合いで来るのなら3台は可能
公共機関、近くに神姫グリーンバス 十兵衛茶屋バス停がありました。
3月5日(日曜日)は近くでマラソン大会があるので交通規制や混雑が予想されそうです。
2016年09月17日 カーネル
八上城
福知山線篠山口駅からバスで終点の篠山営業所で下車
そのままバスの進行方向に東へ20分歩くと国道372号と合流し、さらに少し進むと姫新グリーンバスバス停に[→八上城]の標識ありますので、ここを右折します
道なりに進み古美術屋の先の細道で右折すると春日神社があり、参道に登山道標識あります。ここまでバスセンターから30分
屋敷跡を抜け登り開始です。尾根にとりつくと、案内板が多数で楽しく登れます。傾斜も平均的なもので、楽じゃないけど辛すぎもしない程度です
バス停から頂上まで1時間でした。帰りは反対側へ進み途中の分岐では藤ノ木坂へ向かうと城の北東に下れます
道は整備されて歩きやすく標識も親切で迷いません。篠山営業所にもどって2時間でした
歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです
2012年08月12日 丹波守悪右衛門直正
八上城
戦国期の典型的な山城の遺構が色濃く残っています!時間があれば朝路池も回られれば、ひっそりとした場所で、そこで落城と共に命を絶った朝路姫が偲ばれます
2012年05月03日 A&M
八上城
春日神社のトイレ横に1台駐車可能スペースあり。山道は湿地あり。
八上城の周辺スポット情報
主膳屋敷(遺構・復元物)
伝 鴻の巣(遺構・復元物)
伝 下の茶屋丸(遺構・復元物)
伝 中の壇(遺構・復元物)
伝 上の茶屋丸(遺構・復元物)
右衛門丸跡(遺構・復元物)
三の丸跡(遺構・復元物)
二の丸跡(遺構・復元物)
本丸跡(遺構・復元物)
岡田丸跡(遺構・復元物)
伝 蔵屋敷(遺構・復元物)
伝 池東番所(遺構・復元物)
はりつけ松跡(遺構・復元物)
伝 馬駈場(遺構・復元物)
芥丸跡(遺構・復元物)
朝路池跡(遺構・復元物)
西蔵丸跡(遺構・復元物)
伝 茶屋の壇(遺構・復元物)
高城屋敷門(遺構・復元物)
前田主膳正供養塔(碑・説明板)
大竪堀(碑・説明板)
法光寺城(周辺城郭)
般若寺城(周辺城郭)
蕪丸城(周辺城郭)
春日神社(寺社・史跡)
松谷寺(寺社・史跡)
トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
藤木坂登山口(その他)
登城口(その他)