須知城(しゅうちじょう)
須知城の基本情報
通称・別名
- 志宇知城、市森城
所在地
- 京都府船井郡京丹波町須知市森
旧国名
- 丹波国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 須知景光
築城年
- 南北朝時代
主な改修者
- -
主な城主
- 須知氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財
- 町史跡(須知城)
再建造物
- 碑
周辺の城
-
園部城(京都府南丹市)[5.0km]
塩貝城(京都府南丹市)[6.0km]
橋爪城(京都府船井郡)[6.6km]
籾井城(兵庫県丹波篠山市)[11.3km]
神尾山城(京都府亀岡市)[11.8km]
八木城(京都府南丹市)[11.8km]
宇津城(京都府京都市)[12.8km]
御影山城(京都府亀岡市)[16.0km]
周山城(京都府京都市)[16.8km]
余部城(京都府亀岡市)[18.2km]
須知城の解説文
須知城の口コミ情報
2024年08月28日 RED副将軍
上野山城[須知城 周辺城郭]
小規模ながら堀切と土橋が特徴的な山城🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代や築城主等の詳細不詳。北麓の丹波上野城の詰城と考えられ、須知城を本城とした須知氏一族の要害と伝わります。
丹波上野城には、城主として山崎加賀守や須知出羽守などの名が伝わりますが、はっきりとは分かっておらず、山崎氏の居城と須知氏の居城の二説があります。
見所
丹波上野城の南背後にある標高約150mの山塊に築かれており、尾根上に堀切で区切られた南北二つの郭で構成されています。
北郭は尾根先端に櫓台を敷設し、主郭とされる南郭とは土橋が架かる堀切で区切られています。
南郭は南側背後を土塁と堀切で遮断し、堀切には土橋が架かかり、堀切は西側が竪堀として落ちています。
行き方は大円寺を目標に設定。墓地の北側に観音像があるので、その奥の獣害柵を開けて登ると辿り着きます。比高は約30mです。
美女山への登山口からではありませんのでご注意下さい。
2024年06月27日 RED副将軍
上野城[須知城 周辺城郭]
全国に上野城は沢山ありますが、丹波の上野城の投稿です。
大堀切に大土塁、虎口が見事な織豊テイストの居館跡🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代や築城主等の詳細不詳。城主として山崎加賀守や須知出羽守などの名が伝わりますが、はっきりとは分かっておらず、山崎氏の居城と須知氏の居城の二説があります。
見所
美女山から北西に伸びた支尾根の舌状先端部に築かれています。
方形の居館形式の郭がを4つ連なる縄張りであり、片傾斜梯郭式平山城と分類されています。
現在は西側にあった一の郭と二の郭は造成されて消失。しかし三の郭と四の郭は集落の中にしっかりと残っています。
四の郭は、東側は尾根を遮断する深さ3~5mの大堀切があり、東側から北側にかけて大土塁が巡り東側に虎口が開口しています。西側の三の郭との間も土橋が架かる堀切で区切られています。
三の郭は、西を除く三方をコの字状に大土塁が巡ります。
四の郭の東側には丘陵上を削平した物見台の様な
地形が残り、更に東にも郭地形や虎口が認められます。
城史は不明ですが、虎口などに織豊系テイストが感じられました。
行き方は、城域西側の府道80号沿いに水道施設があり、その周辺に駐車し東側へ登っていくと城域です。比高はほぼありません。
2023年09月24日 RED副将軍
須知城
丹波国の有力国人である須知氏の居城🏯
明智光秀により改修されたとも云われる丹波平定の拠点🏯
オススメ度 ★★★★★
築城年代は不詳。天永年間(1110年~1113年)に須知慶吉が築城したとも、南北朝時代に須知景光による築城とも伝わり定かではありません。
1352年には丹波国守護代である荻野朝忠の家臣の中津川秀家により須知城は落城したとされます。
その後、幕府管領の細川京兆家が丹波国守護に任じられると須知氏は細川氏に従いました。
しかし、1489年には須知氏や荻野氏・久下氏などの有力国人は、守護代である上原元秀の悪政に反発し一揆を起こして籠城するも落城。一度は没落しましたが、その後に勢力を取り戻しました。
1579年、明智光秀の丹波攻めが始まり、須知元秀は八木城の内藤ジョアンに従い抵抗しましたが、やがて離脱して明智光秀に与して波多野氏の八上城攻めに加わりました。しかし、八木城の内藤氏を攻めた際に負った傷で須知元秀は死没。すると、味方であるはずの明智光秀が攻め寄せて須知城は落城し、須知氏は滅亡したと伝わります。その理由は不明ですが、明智光秀の丹波衆排斥策による粛清と考えられています。
その後、丹波を平定した明智光秀は須知城を拠点の一つとして高石垣を有する山城に改修したとされますが、これも定かではありません。
見所
主郭東側の高石垣は高さ4〜5mで総延長は約30mもある大規模なもの。三ヶ所の折れが特徴的な野面積みです。
明智光秀の改修と云われていますが、須知城の石垣は織豊系には無いシノギ角であることから明智光秀による改修ではないとする指摘も有力視されています。
主郭西側斜面には階段状に郭を敷設。低層の石積みで切岸を堅めています。
麓にある琴滝も必見です。
2022年05月18日 RED副将軍
中畑城[須知城 周辺城郭]
小規模な連郭式山城🏯非常にキレイに整備されて登りやすいです✨
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
承久年間(1219年~1222年)に北市ノ正によって築かれたのが始まりと伝わります。その後、北道氏代々の居城となりました。北道氏は、守護代内藤氏に仕え、明智光秀の丹波攻めの際は従順に接した様です。1637年、当主が北万靍時宗の代に廃城となったと伝わっています。
見所
ピークに主郭部を配し、三方の尾根に曲輪が設けられています。西尾根の曲輪に天守台があり、さらに北尾根は土塁で囲まれた塹壕状の曲輪、その先の尾根筋には二重の堀切があります。堀切、土塁はいずれもかなり薄めです。
登山道がしっかりと整備され、麓に駐車場も完備。至るところで地元の方に愛されている山城と感じました。写真⑦⑧
遺構としては甘めですが、上記より★3としました。
2022年01月04日 イオ左衛門佐
玉雲寺[須知城 寺社・史跡]
玉雲寺は須知氏の懇請により島津氏出身の梵清禅師が開いた寺で、須知城落城時に焼失するも明智光秀が再興したとされます。見頃にはまだ少し早かったものの、色づきつつある紅葉と山門と高石垣はなかなか絵になる景色でした。
2022年01月04日 イオ左衛門佐
須知城
先人の投稿を参考に、玉雲寺の駐車場に車を駐めさせてもらって明石側から登城し、20分程度で西曲輪群の西端に到着。一部急斜面もあるものの、こちらのルートはよく整備されていて歩きやすい道でした。
西曲輪群の西端には土塁があり、櫓台状の土壇を越えて東に進むと、階段状の曲輪群の上に石塁が見えてきます。石塁の南側にはスロープ状の虎口が開口し、虎口脇の櫓台から横矢が掛かる構造になっているようです。スロープを下りた一段下の帯曲輪にも石積みが見られ、厳重な造りになっています。虎口を入るとまたも石塁が立ち塞がり、南側には喰違い虎口が設けられている…ようですが、石塁が崩れていて、そのつもりで見てようやくそう見える、という感じでしょうか。喰違い虎口を入った先が主郭です。主郭の東辺は高さのある土塁がめぐり、北東部から主郭の裏手に回ってみると……こんな山中に4mもの高石垣が! 苔むした野面積みの石垣が主郭の東半分を覆っています。下調べで存在は承知していましたが、これほどの規模だったとは。高石垣南東下の二条の堀切の先は東曲輪群で、一部に石垣も見られますが、基本的には土の城で、階段状の曲輪の土塁と南側斜面に竪堀が数条見られるくらいでした。
主郭部を中心に石垣造りの虎口を設ける改修は黒井城を、山中の苔むす高石垣は周山城を連想させ、現地に立ってみて、明智光秀が改修したとされる理由を実感することができました。
2021年02月21日 忍び
須知城
南から(京都方面から)京都縦貫道路を行かれたら、丹波ICで降りて直ぐの交差点で右折です。少し折り返しすると、案内看板があります。縦貫道路の一つ目のボックスを右折して約1kmほど琴滝方面へ行くと玉雲寺の駐車場があります。明石口になります。整備された登山道です。
2020年04月12日 ソバッソ80.0
上野城[須知城 周辺城郭]
大圓寺さんを目標に設定しますが、お寺側に登らずにちょこちょこと集落の道路を進みました。
駐車場はありません。しかる場所にしかる方法で停めて下さい。
民家の向かい側にはもう堀切が対峙しています。2分くらい登れば畑化した遺構と出会えます。
分厚い土塁、深い堀切、平虎口。
こんなんがあります。
居館跡なんやろなって思わせてくれますね。
30分もあれば散策出来ます。
詰め城の上野山城跡へもアクセスできるっぽいですが、僕はラクしたかったのでクルマで大圓寺さんに向かいました。
コスパ良好。
2020年04月12日 ソバッソ80.0
上野山城[須知城 周辺城郭]
大圓寺さんを目標に設定
珍しいペットとの共同墓地になっています。
駐車場あり。
観音立像が見える方向へ進むとフェンスが出てきますので、そこから山側へと登って下さい。
約5分登れば竪堀様の筋と、郭群が目視出来ます。
あとはコンパクトな城跡なので、テキトーに散策して下さい。
堀切、竪堀、土橋、帯郭などがハッキリ点在しています。
美女山への登山口からもアクセスできるみたいてすが、多分ちょっと遠いのでコチラがオススメ。
また北側麓には館と思われる上野城跡があります。セットで散策されるがいいかと。
コスパ良好。
須知氏が築城やったかな?
須知城跡と連動していたのかと考えると、色々と想像が膨らみオモシロイですね。
2020年04月12日 ソバッソ80.0
須知城
琴滝から登りました。
丹波町ホームページには、
「行程としては2時間あれば一周出来ます。
雑木も多いですが、この近辺は秋に黄葉する樹が多いですので、それもまた面白いかもしれません。
比較的登りやすい山城ではありますので、昔の人がどんな場所に城を作ったのか、どんな道を歩いたのか思いを馳せながら登ってみるのも面白いでしょう。」
と紹介されています。
が、、、
険しいです
琴滝側は(も、かな。)アップした写真通りでかなりの傾斜です。あの傾斜を滝から30分弱登れば尾根にでます。あとは尾根を高い方へ5分程歩けば城域に到達出来ます。
先人さまの口コミ通り明石側に取り付くルートも険しいみたいですね。
苦労しますが、先人さまが既に挙げておられます通りで、見事な石垣がドカンと出てきますので、苦労は報われます。間違いなく。
主郭石垣については、南側から一辺ずつ積み上げるという、織豊期以前の工法が採用されているそうです。(京都府中世城館調査報告書より)
明智さんが入った城郭なので改修はされているでしょうが、果たしてどこに手が入っているのでしょう。
歴史ロマンですねぇー
とにかく素晴らしい中世城郭です。
2020年04月07日 大隅守上
須知城
玉雲寺に停めました。ここのお寺は 明智光秀が再興したお寺です。
2020年04月06日 ko+
須知城
琴滝の駐車場を利用させて頂きました。
こちらはスペースも広く、トイレもあります。
登山口は琴滝登山口、明石登山口の二つ。
琴滝直ぐ北西(二本ある登り坂のうち左側)の琴滝登山口からのコースは距離は短くなりますが道がわかりにくく、明石登山口からのコースは距離が長くなりますが、登山道が整備されわかりやすくオススメです。
いずれの道も感じ方に差はあるものの、傾斜は急なものとなります。
明石登山口は琴滝駐車場から北西へ約400m進み、玉雲寺の前の道へ(案内表示有り)そこから山沿いの未舗装道を更に約400m進むと登山口となります。
登山口から約20分、ピンクリボンに導かれ整備された登山道を進み、最後に急傾斜を登ると、西郭群の西端に到達します。
尾根上の南北約30m、東西約300mに階段状に郭が配置。中心部には高石垣や石塁による改修が見られる。西郭群の削平地の広さに対し、東郭群の削平地は規模が小さい。
圧巻なのは急傾斜の山上に残る高石垣。その位置から見せつけるための石垣ではないはずなのですが、高さ4m変形シノギ積みの高石垣に、是非魅せられてください。
歴史
築城年代は定かではないが、南北朝時代に地元の国人である須知氏が築いたとされている。天正7年(1579)、明智光秀による丹波攻略を受け落城。光秀により改修されたとも推察されるが、定かではない。
遺構
須知川の東岸に突き出す、標高385mの丘陵上に築かれている。東西に伸びる尾根上に階段状に曲輪を置く構造だ。城域は大きく東側曲輪群と西側曲輪群に大別され、中央付近の鞍部に設けられた巨大な堀切を境に2つに分けられる。登城道を登り切ると、西側曲輪群の西端にある曲輪の南辺に到達する。
西曲輪群は、最高所に主郭を置き、西側に向けて階段状に曲輪が置かれる。主郭の西側には石塁が一直線に構築され、一段下の曲輪との境界線になっている。一段下の曲輪の西側も、同じように石塁が一直線に積まれ、その下の曲輪とを区画している。
主郭の虎口は南端にあり、石塁で小さな内枡形虎口がつくられている。一段下の曲輪の虎口も南端にあるが、こちらはスロープ状の虎口となっており、曲輪の西南端に櫓台を設けることで下段の曲輪へ射撃できるように設計されているようだ。
須知城の最大の見どころは、主郭東面の高石垣だ。人頭大の石が積まれた野面積で、高さは約4mに及ぶ。丹波地方の城では随一の高石垣といえるだろう。注目すべきはその積み方で、1面に石垣を積むのではなく、「シノギ積み」と呼ばれる鈍角の出隅を3か所つくり、4面の石垣にしている。また、隅角部は石材と石材を交互に噛み合わせるように積むのではなく、南側から直角に隅部を積み上げ、その後に隣の面を増設することで鈍角の石垣を生み出している。類を見ない、珍しいシノギ積みだ。
主郭周辺では瓦は見られず、瓦葺建物が存在した可能性は低そうだ。また、前述の石塁を伴う2つの曲輪の西側にはさらに3つの曲輪が連なるが、石塁や石垣は見られない。西端の曲輪は広く、中央に櫓台状の土壇がある。
東側曲輪群は、2本の巨大な堀切を経て展開している。主郭東面の高石垣の東側はガクンと下がり、堀切は1本目が斜面上に、2本目は鞍部に設けられている。東曲輪群は西曲輪群と様相が異なり、曲輪が小規模で石垣もほとんど用いられていない。
交通
・京都縦貫自動車道丹波ICから車で約5分参考文献
・『図解 近畿の城Ⅰ』戎光祥出版、2014年。・『戦国の山城を極める 厳選22城』学研プラス、2019年。