御影山城(みかげやまじょう)
御影山城の基本情報
通称・別名
- 出雲城
所在地
- 京都府亀岡市千歳町千歳出雲山
旧国名
- 丹波国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 柳本氏、内藤氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石積、土塁、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
余部城(京都府亀岡市)[4.7km]
亀山城(京都府亀岡市)[5.2km]
八木城(京都府南丹市)[5.5km]
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周山城(京都府京都市)[11.3km]
園部城(京都府南丹市)[11.5km]
御影山城の解説文
御影山城の口コミ情報
2026年03月18日 尼崎城志摩守一口城主
御影山城
[前編:出雲大神宮及び城山周辺]
3/7、全国一宮巡りで丹波国一宮出雲大神宮(写真①、②)⛩️をお参りした際に登城⛰️
辨財天社の神池(※参拝日は池の水が抜かれている状態でした)のほとりから城山⛰️(写真③)を眺めてみました。
境内案内図(写真④)より先人方が書かれている通り御神体山である為、城郭マーク地点には辿り着けません。
下城後、少し離れた場所から城山(写真⑤)を振り返ってみました。城山から回れ右で反対方向を眺めてみると平野(写真⑥)が広がり、往時の山城からだと周囲の見通しが良くかなりの範囲を見渡せたのではないかと思います👀
当日は往路は亀岡駅から出雲神社前🚏までバスを利用🚌復路はバスの次発まで時間が空いていたので丹波路散策でもしようかとのんびり亀岡駅を目指してみました。散策中、御影山城麓の出雲大神宮から4.3キロの所で明智越えハイキングコース(写真⑦、⑧)を発見。こちらが戦国時代の情勢を大きく変えた本能寺の変の際の光秀公の進軍ルートかと思うと、いつの日かこちらのハイキングコースも訪ねてみたくなりました。
2026年03月18日 尼崎城志摩守一口城主
御影山城
[後編:出雲大神宮本殿〜磐座]
3/7、写真①に従って出雲大神宮の社務所で受付をして磐座を目指しました。
往路は神域の清々しい空気感(写真②)を感じながら磐座(写真③)をお参り🪨
復路は山城の遺構らしき箇所を探しながら下山。
写真④部分は曲輪間の堀のように見えました。帰路、ふと上を見上げると切岸状(写真⑤)になっており、高低差から上側の守備部隊の優位を感じてしまいました。下山時は上の社を経由して滝(写真⑥)や5世紀〜6世紀の古墳(写真⑦)、麓の方の磐座(写真⑧)を見学🪨
お城巡りを始めてから山城が御神体山になっているという個人的には初めての貴重な経験となりました👏
2022年11月16日 ᴿᴱᴰ副将軍
御影山城
明智光秀による丹波攻略の際、国人衆が防戦し、焼けなかった城と伝わります🏯
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代等の詳細不明。
丹波守護代で八木城主の内藤氏の出城とも、その配下である神尾山城主の柳本氏の支城とも云われています。
感想
丹波国一宮である出雲大神宮の神体山として祀られている神域であり城域は立入禁止です。
亀岡市史の縄張図によれば、段状に連ねた曲輪群と東方尾根筋を遮断する二重堀切がある様です。
御祓を受けて身を清めれば途中までは入山することもできる様です。
2015年08月29日 やまと相模守
御影山城
丹波一宮である出雲大神宮の御神体山である御影山が城郭跡。
御神体山なので神域です。御神体山と言えば、奈良の三輪山(原初の信仰形態)を思い出します。なので一宮ということも鑑みると、いにしえの時代からの要所であり、丹波の中心地であったことがうかがえます。
また、島根の出雲大社の分社と思われがちですが、江戸時代までは杵築大社と称されており、丹波国風土記には、元明天皇時代に御神祭大国主命を丹波から杵築(現出雲)に移す、とあるようなので大和朝廷-丹波-出雲(大国主命ライン)という大和と出雲の橋渡し的拠点であったこともうかがいしれる。
そのことは、崇神天皇時代の四道将軍(丹波道主)やその子垂仁天皇と丹波の関係からも察せられる(境内に古墳あり)。
そのような歴史的背景があるが、城郭は神域のために、原則入場禁止であるが、社務所で入山許可(簡単)を取れば麓の磐座までは行ける。しかし、その先は入山不可と更に規制があるので、城郭までは入れない。先の方のクチコミでは、頂上付近に遺構があるようなので入山できるときに行ってみたい。
2012年04月29日 加賀美 摂津守遠光
御影山城
亀岡市千歳に有る出雲大神宮の裏山が城が有る御影山で現在出雲大神宮の御神体山に成ってます。
頂上付近には石積み、列石、堀切が残ってます。
明智光秀や、八木城主内藤氏の出城跡と言われてます。










標高324メートル、比高200メートルで『桑下漫録』にも、つづら折の山道が図示されている。
城主は柳本伊予守とされているが、『丹波志桑田記』では内藤氏の出城とする。
なお、永禄年間頃、八上城主波多野秀治は、某越前守らに城攻めを命じ、「滝峯・出雲退城」の際の指示をしている。この出雲城は御影山城のことと考えられる(11月3日付、波多野秀治書状『波多野家文書』1445)。
『桑下漫録』に古図を掲載するが、これによれば「堅固ナルヤウナレドモ分内セマク、第一水に乏シ」いため、防衛は困難だろうとする。
また、「今ハタダ芝原」で眺望がいいとも記す。