周山城(しゅうざんじょう)

周山城の基本情報

通称・別名

所在地

京都府京都市右京区京北周山町

旧国名

丹波国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

明智光秀

築城年

天正7年(1579)

主な改修者

主な城主

明智氏

廃城年

遺構

曲輪、天守台、石垣、土塁、堀切、井戸、虎口

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

宇津城(京都府京都市)[4.0km]
上中城(京都府京都市)[4.9km]
御影山城(京都府亀岡市)[11.3km]
高雄城(京都府京都市)[11.8km]
堂ノ庭城(京都府京都市)[12.4km]
八木城(京都府南丹市)[13.9km]
塩貝城(京都府南丹市)[14.0km]
園部城(京都府南丹市)[15.1km]
静原城(京都府京都市)[15.9km]
余部城(京都府亀岡市)[16.0km]

周山城の解説文



周山城(しゅうざんじょう)は、京都府京都市右京区京北周山町(かつての丹波国桑田郡)にあった日本の城。明智光秀の築城で、明智光忠が入ったとされる。

概要 

京都と若狭を結ぶ周山街道の中間地点に築かれ、標高480mの山頂部分を中心に八方向の支尾根に遺構が点在する。南北600m、東西1300mに及ぶ大規模城郭であった[1]。築城は安土城の築城開始から5年後であり[2]、石垣造りで天守を抱く近世城郭の嚆矢の姿を継いだ[3]。城郭は東の城と西の城に分かれ、特に東の城は中央最高部に天守を含む主郭を置き東西南北の四方の尾根に曲輪を連郭式に配置している。城郭からは周山街道、禁裏領山国荘、木材の運搬に使われる弓削川、大堰川(上桂川)の合流点が見える。

沿革 

天正7年丹波を平定し近江滋賀郡に加え丹波一国を与えられた光秀は、丹波亀山城に続いて若狭から京都への交通の要衝であり、宇津頼重により禁裏領への違乱が長く行われていた東丹波統治の拠点として周山城を築城した。

築城年は根拠不明であるが地元の地誌『丹波誌』によると天正8年(1580年)とする。 城主には明智光忠が入ったとされる[4]

天正9年(1581年)8月には光秀が津田宗及を招き月見をした記録が『津田宗及茶湯日記』に記されており、城下の慈眼寺には善政を敷いたとの伝えと共に光秀の木像が遺っている。 しかし築城からわずか1年後の天正10年(1582年)、光秀は本能寺の変により信長を討つも、まもなく豊臣秀吉に討たれ、山崎の戦いの功により加藤光泰が入城する事となる。 その後、天正12年(1584年)に秀吉が周山城を訪れた記録が『兼見卿記』に記されているもののその後の記録はなく、破城されたものと思われるが廃城年について正確にはわかっていない。

周山という地名について、光秀が自らを周の武王になぞらえて、周山と命名し、それは、信長に代わって天下人になりたいという願望を示したものだとされる。それが光秀謀反の要因の一つとされることもあるが、周山という地名はそれ以前からあるので誤りである。

遺構 

城郭

現在は全域が民有地になっており主郭一部以外は杉が植林されているが、台風による倒木が多くみられ保存状態の悪化が心配される。

東の城

東の城は天守台を含む総石垣の本丸を中心に8方向に伸びる支尾根全てに郭が築かれており、東西約800m、南北約700mの規模がある。現在の主郭付近は破城の際に崩された、石垣であったとみられる石材が随所に点在しているが、城郭が大規模で破壊しきれていない石垣が一部残っているほか、井戸跡や天守台跡も確認できる。

西の城

西の城は尾根上を平らにし、東の城との間に深さ7mの堀切を2本設け、さらに土塁によって守られていた土の城で東西約230m、南北140mの規模であった。

アクセス 

バス

  • 西日本JRバス京北線周山下車徒歩40分。

自家用車

  • 天神川通りを北上→国道162号線を北上→ウッディー京北→慈眼寺から徒歩40分。
  • 慈眼寺南側に篠山藩周山代官所跡が駐車可能。

参考文献 

  • 「 周山城跡―明智光秀が築いた山城―」 京都市埋蔵文化財研究所、2020年2月2月18日発刊
  • 歴史読本編集部 編『ここまでわかった明智光秀の謎』(新人物往来社、2014年9月9日発行) C0121
  • 『日本の山城100名城』(洋泉社、2015年3月8日発行)
  • 八上城研究会 編 『戦国・織豊期城郭論―丹波国八上城遺跡群に関する総合研究― 』(和泉書院、2000年6月10日発行) C3321
  • 小和田哲男「築城名人明智光秀」(『日本歴史』875号、2021年)

周山城の口コミ情報

2026年03月03日 さくろう
周山城



「周山」という地名は、明智光秀が自らを中国の周の武王になぞらえ、名付けたといわれています。その時から、すでに謀反を考えていたのでしょうか?
江戸時代よりも前の段階で天守台が現存する希少な城であり、光秀築城の城郭としては最も残りがよいそうです。
築城からわずか1~2年後に本能寺の変が起こり、その後、明智光秀は羽柴秀吉に敗れたため、周山城は廃城となりました。
北側にある石組井戸は非常によい状態で残っています。

2025年11月03日 尼崎城志摩守一口城主
城跡碑[周山城  碑・説明板]



[城跡碑探検🧭:斜面からのアプローチ編]
10/18、周山城へ大坂城のガイドさんの案内役で登城。今回が3回目の登城でしたが過去2回は城跡碑を見つけられなかったので麓の慈眼寺さん(くろみつ像のあるお寺)で聞いた城跡碑の場所情報を頼りに登山に出発⛰️
周山城は保存会の方々が「本丸まで◯◯m」の看板🪧を要所要所に設けて下さっており、城跡碑は鍛冶屋曲輪付近の「本丸まで500m」〜登山開始から初めに目にする虎口(兵糧蔵跡付近)の「本丸まで300m」間にありました。
「本丸まで500m」地点(写真①)から本丸を目指すと程なく、京北コースの小さな道標(写真撮るのを忘れていました💦)の実線表記のなだらかなルートと点線表記の勾配のきつい斜面(写真②)を進むルートに分かれます。点線表記のルートを選択すると北側の風景(写真③)を眺めることが出来ます✨斜面を登り切る直前には破城の痕跡(写真④⑤)を見ることができます🪨登り切ると細長い曲輪(削平地)となっており、曲輪に登ってすぐの所に城跡碑が見えてきました(写真⑥)3度目の登山でついに念願の城跡碑(写真⑦)に出会うことが出来ました‼️城跡碑の裏面には建立年及び関係者の方々の名前が刻まれていました。1967年に建てられており半世紀超えで2027年に60年(還暦)を迎える城跡碑で近年の発掘調査を見守ってきた碑に感じられました。
こちらからも北側の風景をよく見渡すことが出来ました(写真⑧)周山城址のパンフレットを見ると本丸から東西南北の四方へ曲輪が築かれており、敵への備えでどこから攻め寄せてきても発見しやすいよう光秀公の慎重さが感じられました。

2025年11月03日 尼崎城志摩守一口城主
城跡碑[周山城  碑・説明板]



[城跡碑探検:なだらかルート編]
斜面を登るのが苦手な方でも本丸まで300mの看板🪧のある虎口(兵糧蔵跡:写真①)からなだらかな道で城跡碑にアプローチ出来ます。写真①付近に京都一周トレイル・京北コースの小さな道標(写真②)がありその点線表記のルートを進めば城跡碑に辿り着けます。※城山(本丸)と反対方向に進むことになるので城跡碑が気になる方は本丸見学後の復路に立ち寄られてもいいかと思います。
写真③は城跡碑から本丸方面を眺めた景色ですが城跡碑のある細長い曲輪は現在、削平地がNHKさんの設備(写真④)として活用されていました。フェンス北側(写真⑤)は狭い幅ながらも通れました。通路の北側(写真⑤右側)の斜面は敵が容易に攻め上がってくるのを防ぐように切岸にしたのか天然の地形を活用したのではないかと思われます🤔

2025年11月03日 尼崎城志摩守一口城主
西の城[周山城  遺構・復元物]



[西の城(進軍前編)]
壮大な石垣②見学後、過去2回の登城では行かなかった西の丸に向けて(写真①)の道標「西の城(土の城)まで500m⇨」に従って出発。最初に(写真①)地点から西の城までの所要時間ですが私と大坂城ガイドさんの遺構見学を楽しみながらのゆったりペースで約15分かかりました。
保存会の方々が写真②の通り木に「京都一周トレイル」のテープを巻いて下さっているので迷わず進めました。写真①地点から4分程で大規模堀切①(写真③)に到着。両サイド(南北にかけて)しっかりと尾根を断ち切っていました(写真④⑤)
堀切から鉄塔方面(写真⑥)に上がると「西の城(土の城)まで⇦200m」の道標(写真⑦)があり、鉄塔の下(写真⑧)を通過して西の城を目指しました👣

2025年11月03日 尼崎城志摩守一口城主
西の城[周山城  遺構・復元物]



[西の城:進軍後編及び散策編]
進軍前編の写真⑧(鉄塔下)から2分程進むと堀切(大規模堀切②)(写真①②)に到着。写真だと堀切の深さが伝わりづらいかも知れませんが同行者に堀底に立ってもらうと守備側の圧倒的優位の堀切効果がよく分かりました。
本丸見学後にさらに進軍した疲れ💦か写真③付近が進軍前編の写真⑦の道標表記のラスト200m地点かなと体感的に感じてしまいましたがもう一踏ん張り進んでみました。
写真①②の堀切から約5分で西の城(拠点)(写真④)に到着。少しだけ曲輪の奥の方も散策してみると比田曲輪(写真⑤)という曲輪になっていました。比田曲輪の奥の方には土塁(写真⑥)が見られました。京都一周トレイルはまだまだ続くようですが当日はこちらで折り返し😅
西の城を一段降りてみると腰曲輪(写真⑦)のようになっており、南東方面の視界が開けていました。
最後に本丸からやや距離があるにも関わらず西の城の曲輪まで整美して下さっている保存会の方々にこの場を借りて感謝申し上げます。

2025年11月03日 尼崎城志摩守一口城主
鷹屋[周山城  遺構・復元物]



西の城から本丸へ戻ってきた際、最後に本丸を一周散策してみると本丸の南側に鷹屋曲輪(写真①②)名前から鷹狩り用の鷹🦅を飼育していた曲輪かな🤔と思いながら散策。
こちらは西側に壮大な石垣①を眺められる位置にある曲輪でした。散策してみるとかつての曲輪の出入口だったと思われる石段(写真③④⑤)を発見。
次に本丸に隣接する曲輪だったためか鷹屋曲輪の斜面の石垣は破城の痕跡(写真⑥⑦⑧)が見られました🪨一部石積が残っている部分がありましたが石垣に詳しい同行者によるともう石垣としての機能を果たせない状態であるとのことでした😢

2025年11月03日 みその隠岐守
周山城



今回は、東曲輪群を見て周りましたが、登城路も整備してあり、登りやすかったです。石垣(石積か?)は見応えありました。虎口の発掘跡も良かったです。慈眼寺の光秀像も必見です。

2025年04月18日 尼崎城志摩守一口城主
周山城



[登山口進軍編]
3/30、信州の武道家🥋さんの高山イベント制覇記念に京都市街地から出発。
道の駅ウッディ京北で腹が減っては戦はできぬと昼食を食べ、周山城のパンフレットを頂いてから出陣。MAP(写真①②)の通り、道の駅後方に見える山(写真③)が城山なので道の駅のトイレがある側からすぐ裏の橋(写真②の弓削川に架かる橋)を渡り最初の信号を右折すると酒蔵を過ぎたあたりで左手に<周山城登山口>(写真④)が見えてくるのでそれに沿って緩やかな坂を進んで行くとごみ収集場所にも道案内(写真⑤)があるので無事、スタートラインの登山口(写真⑥⑦)に立てました。道の駅から登山口までは徒歩約10分でした。登山口の<気をつけて登城してくださいね>(写真⑧)の保存会の方々からだと思われるメッセージに励まされ登城⛰️

2025年04月18日 尼崎城志摩守一口城主
周山城



[登城編・前半]
登山口から本丸に向けて出発するとほどなく<本丸まで1.2km50分程度>の案内(写真①)が見えてきます。登山の序盤のジクザクした道を進んでいくとまず<本丸まで800m>(写真②)の細長い曲輪が見えてきました。さらに進むと<本丸まで500m>のところに鍛治曲輪(写真③④)がありました。訪城時は登るのに必死で気にならなかったものの写真を後から振り返ると、攻め手はこの曲輪付近で進軍ルートが急カーブする形になり、進軍ルートの登山道も狭いことから一列で進むことになり渋滞が発生し行軍スピードをかなり緩めることになりそうでした。鍛治曲輪は多くの兵を詰めておくことが出来そうな曲輪でした。守備側は数的優位かつ相手を見下ろす高い位置で優位な状況で迎え撃つ態勢を取れそうでした⚔️
本丸まで500m〜300mの間に眺望が良い場所もありました(写真⑤)本丸まで300m(兵糧蔵)の虎口では、石垣と土嚢袋が一体化して見える石積み(写真⑥)があり光秀公の時代と現代を繋ぐ絆が感じられました。虎口(写真⑥)から二の丸(写真⑦)、登り石垣(写真⑧)を見学しながら約10分で本丸に辿り着きました。

2025年04月18日 尼崎城志摩守一口城主
周山城



[登城編・後半]
登山口から信州の武道家さんと私の足で遺構見学の時間も入れて約40分で本丸に到着。本丸には説明板(写真①)や<明智光秀築城1579年周山城趾>が掲げられている木(写真②)がありました。※周山城のパンフレットには<周山城趾>の小さな城跡碑が本丸にあるとの印があったので探してみましたが見つからず、下山後に訪れた慈眼寺で尋ねてみたところ、城跡碑は本丸にはないよとのことでした。
本丸周りを散策していると[壮大な石垣①]の道標が見えたので矢印に沿って進んでみると個人的に好きな古城感溢れる石垣(写真③④⑤)が見えてきました。こちらの石垣見学では斜面になっていたり歩く幅が狭い箇所があったのでゆっくりと進みました。
次に[壮大な石垣②]の道標が見えてきたのでそちらも見学に向かいました。こちらの石垣(写真⑥⑦)も案内通り壮大でした🪨※もっと近くで見たいところでしたが石垣崩落危険⚠️立入禁止の注意書きがあるロープが張られていました。
壮大な石垣はすぐには目につかない場所に残っていたのが印象に残りました。恐らく本能寺の変後破城を命じられた家来達が目につき易い目立つ部分を中心に破城して任務終了と撤収してくれたお陰で、今日も破城を免れた石垣が見えるような気がしました。
訪城日は3月末(3/30)ながら雪の舞う寒い日だったため、西の城への道標も見かけましたが向かうのを断念して、井戸(写真⑧)を見て下山。

2025年04月18日 尼崎城志摩守一口城主
慈眼寺[周山城  寺社・史跡]



周山城下山後に黒塗り光秀坐像を拝観しようと慈眼寺(写真①②③④)をお参り🙏釈迦堂(写真⑤)にくろみつ大雄尊が祀られていました。
黒塗りされた光秀公像の墨が時間の経過により薄くなり、着物の桔梗の紋が見えてきていました。(※像の左側(右肩やや下)の桔梗紋はすぐに分かりましたが、お寺の方に言われて右側(左肩やや下)にも桔梗紋がうっすらと見えてきているのに気付きました。また左目が充血しているように見えることも解説してして頂きました)目力のある像でパワーを分けて頂けたような気がしました。
慈眼寺では周山城の御城印も販売されており、4種類(訪問時)あったので選ぶのに迷ってしまいました😅

2024年12月02日 tracer_azu
周山城



今回は2024年の発掘調査を見たくて登城しました、二の丸の虎口✖️桝形付近の石垣や転用石がよく見れました。調査から出た遺物も現地で手にとって見ることができました

2023年12月31日 気分爽快弾正少弼
周山城



REDさんの口コミを読んで、北尾根に行けるようになったことを知り、我慢できずに久しぶりに登城してきました。主郭から見ると崖のようにも見える(あくまで主観)ところを降りるので、戻りはかなりへこみましたが、先端まで行って来ました。先端は北尾根の頂上なのか、物見のようになっていました。
石垣もありましたが、主郭南西部、西尾根と比べるのはかわいそうかもしれません。
31日の周山城は、天気も悪かったので誰とも会いませんでした。

①毎度の事ながら、この三の曲輪を見ると疲れが増す
②しかし頂上付近のちょびっと石垣で元気回復
③三の曲輪の虎口は、かなり重傷
④主郭への登り石垣左側。つわものどもが夢の後。。。
⑤主郭への登り石垣右側を虎口とともに
⑥登り石垣右側下にも石垣が。冬だから気づけた
⑦北尾根で隅石がしっかり残っていた石垣
⑧段郭になっている北尾根の先端近く。この先が小高くなっている

2023年12月31日 気分爽快弾正少弼
西の城(土の城)[周山城  周辺城郭]



時間があったので周山城に行ったついでに、せっかくなので西の城に寄ってきました。
東の城から堀切2つ越えて200m程で到着です。手前の郭が少し前に見た東の郭の登りに匹敵する傾斜ですが、登り切るとほぼ平坦でした。

①堀切その①
②堀切その②
③行手を遮る登り
④土塁その①
⑤土塁その②
⑥写真では分かりにくいが主郭南の虎口
⑦主郭北の虎口
⑧主郭を北から

2023年12月08日 伸延山城守
周山城



明智光秀の周山城、見どころ沢山あり大満足でした。意外と楽に散策できます。本丸の南側、西に進んだ奥に立派な石垣があります。

2023年10月11日 織田上総介晃司
西の城(土の城)[周山城  周辺城郭]

周山城が東の城(石の城)とすれば西の城は土の城です。

小姓曲輪から500mとあり、道中2つの堀切もあるというので進む。
石垣と堀切を堪能し、お腹いっぱいになり西の城方向に鉄塔があったので萎えてしまったのだが、「西の城まで後200m」とあり「デザートは別腹」と思い進む。

名もなき曲輪・比田曲輪・藤本曲輪から成りそれぞれに土塁と虎口がある。特に主郭と思われる藤本曲輪には虎口が2ヶ所ある。

周山城と西の城で所要時間は約2時間。
周山城のみだと約1時間強。
登城の参考になれば…

2023年10月11日 織田上総介晃司
周山城

まずは道の駅「ウッディー京北」を目指します。
ここでパンフレットをゲットして、駐車代として買い物をして停めさせていただきました。
とはいえ気がひけるので今後は周山代官所跡に停めるのがベストだと思います。

大河ドラマ「麒麟がくる」の影響もあり登山道はきれいに整備されております。

ウッディー京北で茗荷のおにぎりを購入。新米の時期だからか、めちゃ美味かった。下山して鯖寿司を買おうと思ったが売り切れ…まさに「後悔先に立たず」
で、本しめじを買って帰り、家で天ぷらとホイル焼きにして食べたらこれも美味い。「香りまつたけ味しめじ」を実感。

近くの御菓子処で「明智財宝伝説 千両箱」なるチョコクッキーを購入。光秀にも埋蔵金伝説があるんですね。

2023年05月29日 ᴿᴱᴰ副将軍
周山城



長らく続いていた整備が進み、立入禁止であった北尾根の郭群が入れる様になったとのことで3年半振りに再訪してきました。

廃城感が魅力的な明智光秀の東丹波統治の拠点🏯

オススメ度 ★★★★★

1579年に明智光秀によって築かれたと云われます。織田信長の命により明智光秀は丹波に侵攻し、この地を支配していた宇津氏の宇津城を開城させます。宇津氏によって禁裏領への違乱が行われていたのを元に復し、東丹波統治の拠点として新たに築いたのが周山城で、明智光秀の配下の明智光忠が在城しました。1582年、明智光秀が本能寺の変で謀反を起こし、山崎合戦で敗北すると周山城は撤退的に破壊されました。

見所
京都から若狭へ抜ける周山街道を押さえる交通の要衝に築かれています。鞍部を隔てて大きく石垣造りの東の城と、土の城である西の城に分けられ、東の城は四方に伸びた尾根に郭を展開する京都を代表する巨大山城です。

主郭部は総石垣造りで、主郭に穴蔵式の天守台、西尾根には屈折する石段や高石垣、南尾根には尾根に沿って竪石塁に桝形虎口、東尾根の二郭は竪石塁を伴う通路に虎口など見所が多数ある名城。主郭南西部と西側尾根の郭の石垣は特に残存度が高いです。

西の尾根を進むと大規模な堀切を二条を越えて西の城に到達。東の城とは異なり土の城です。桝形虎口が明瞭に残り、織豊系を存分に感じることができます。それにしても、西の城は詰め城なのか、出城なのかどの様な意図で築かれたのか疑問に思いました。

山崎合戦の後、破却された石塁が残り、破城の儚さこそが周山城の魅力と感じます✨

行き方は、道の駅「ウッディー京北」を目標に設定。そこから集落に入り、慈眼寺の南側にある周山代官所跡に駐車します。明智光秀ゆかりの慈眼寺に参拝し、案内板通りに進めば登城口に辿り着きます。比高は約250mで整備された登山道が付いています。案内板では主郭まで50分と書かれていましたが30分で辿り着きました。

2023年05月28日 修理大夫すけきよ堂
周山城



西の城は、東の城(石の城)から30分程度でいけます。土塁や堀切もあり、見応えあります。二ノ丸下の曲輪の虎口脇の櫓台が発掘されて現在公開されています。保存のため埋戻される予定です。

2023年04月18日 ん君
周山城

本日現在の状況ですが、登山口〜主郭群〜西の城のメインルートは、抜群の整備状況で、安全かつ快適に登山できます。主郭群の長大な石垣群や井戸も道が整備され、非常に観察しやすくなっています。西の城も低木が伐採され、観察しやすいです。(ただし、西の城からの帰路は油断すると迷子になるかもなので注意)

さらに、周辺の連郭群も以前張られていた結界(立入禁止のテープ)が外され、見に行くことができるようになっています。ただ、こちらは道が整備されていないので、ちょっとしんどい(一部危険)ですが、特に主郭群周辺の連郭群はところどころに石垣や石塁が残っており、中には声を上げたくなるくらい長く綺麗に残っている箇所もあります。時間と体力があれば、是非見て回っていただきたいです。(本日、8〜9割程度の遺構観察で、登山時間含めて4時間半でした。)

2023年01月15日 在来線男右京進
周山城



道の駅ウッディー京北では周山城の情報はもらえません。看板で慈眼寺の場所を確認しトイレを済ませておくといいです。慈眼寺の前に慈眼寺会館があり、車は5台くらい停めれます。まわりに御城印と御朱印の販売をしているとポスターが張ってあります。お寺で何か買ってお城の事を尋ねれば、城址を守る会のパンフレットがもらいやすくなります。それに道や縄張りが詳しく書いてあります。昨日の雨で少し滑りやすくなっていましたが、なんとか登城できました。道は細く一部崩れそうなところもありましたがんばって30分くらいで本丸に着きました。まわりには杉が植林されていて枝打ちがきちんとしてあり北山杉になると思います。

2022年09月12日 玉手箱刑部卿
周山城

ケース:50代男性、夏場の登城
(登城に必要な物)
1、着替の上着(夏場は特に)
2、飲み物(500ml以上)
3、汗拭き用タオル
4、履きなれた靴
5、虫よけスプレー(もしくは虫刺され軟膏)

(道のりアドバイス)
①「慈眼寺」、もしくは「道の駅ウッディー京北」に車を停める。どちらの場合も、駐車場代として拝観料や、買い物を宜しくお願いします。
②周山城の登山口(JA京北支店前バス停の横道から入る)を見つける。
③京北トレイルの指標に従って、大手口までたどり着く。
④主郭までは、1.2キロメートル。
つづら折りの急な坂道を、ひたすら登りますが、一丁を過ぎるあたりから、比較的ゆるやかな道になります。休憩曲輪(笑)はありません。
⑤登城口から800メートルほどで、兵糧蔵に到着。さらに登ると二ノ丸、竪堀とワクワクの連続。
⑥主郭に着いたら、人口丸太に縄張りが書かれているので、小姓曲輪、鷹尾曲輪の配置を確認。
⑦小姓曲輪、鷹尾曲輪をぐるりと守る石垣を、じっくり堪能。
⑧小姓曲輪から10メートル程下った、井戸曲輪をチェック。
⑨急な登り坂も、帰りはルンルン。
登城から下山まで、所要時間は2時間ほどでした。

※道の駅ウッディー京北で配布の案内地図は既に無し。入口付近に、貼られていましたので、写真を撮っておくと良いでしょう。

2022年03月12日 典厩MOTOI
周山城

行きにくい城ですが、行く価値あり🏯
想像以上の規模で、かなり破城されてはいるものの素晴らしい遺構です。
かなり木も伐採されて地元の方々の努力で登城路も整備はされていますが、登山用の靴とストックは必須と思います。道も相当細い所もあり踏み外すと急斜面転落の危険箇所もありますので、初心者だけでの攻城は避けた方が良さそうです。
クルマは登城口の慈眼寺の横に無料駐車場がありますのでここを利用します。

2021年12月09日 ❢もち(◍•ᴗ•◍)河内守
周山城

石垣が素晴らしかったです。がんばって上まで登った甲斐がありました😄

2021年11月07日 上田兵部大輔雪娘
周山城

石垣が残り良い城です。整備されており、歩きやすいです。ただし、急斜面ありです。

2021年06月01日 るん山城守⛄️
周山城



本能寺の変が6月ということで、6月に明智光秀さまのゆかりの地へ出陣✨

周山城は、明智光秀さまが丹波に築いた山城だそうです。そして、本能寺の変の後に明智さまが滅んだと共に廃城になったみたいです。

その、廃城感というものを感じてみたくなり、私もここに来ました😌

苔のついた石垣が、ゴロゴロとまばらに転がって、そのままの状態で400年過ぎたんだ…と、その光景を前に立ち止まってしまいました😌

きっと、この場所で何か夢を見ていたんだと思いました😌

行かれる際は、道の駅ウッディー京北で、必ずパンフレットを頂くことをおすすめします。お手洗いも、道の駅で済ませてください。登山道は、狭くなっているところもありますが、女子の私でも40~50分もあれば行けます。

公共交通機関で、行かれる方は、京都駅からJRバス周山行きにのって、京北合同庁舎前で下車です。

2021年05月12日 (*¯ ³¯)っ旦
周山城

一般登山道から登られますと北東尾根の曲輪で、次は南東尾根の曲輪になるはずですが「立入禁止」ロープが張られています。が、横から普通に入れます。
これは入って良いのか、駄目なのかは微妙です。

主郭はとにかく掘り具合は素晴らしく、
主郭を取り囲むような石垣、
南尾根に通じる鷹屋ノ丸の虎口などもよく残っていて感動ものです。

井戸も一段低いところに降りて水を汲むようになっていますが、当時のまま残っていると思います。
井戸の先にも曲輪がありますのでお忘れなく。

西尾根の曲輪までが石垣の城、東城です。
地図に書かれていないことがありますが、さらにその先には土の城、西城があります。

西尾根の曲輪から西城までの間に大堀切が二ヶ所あります。
これは見応えあります。

二つ目の大堀切を過ぎると急な登りになりますが、その先が西城です。

一般車は入れるかわかりませんが、
西城には車用の道があります。
が、車用の道の端にも空堀っぽい跡があるのですが、
空堀だったのか、
空堀が車道に潰されたのか、
車道を作ったときに水の逃げ道として作ったのか繊細不明な城跡っぽいのがあります。

とりあえず東城の小姓曲輪の復元っぽいのは…
私的には本当に石工職人が積んだの?っぽく、
しかも新しすぎて残念!

2021年03月15日 伊達大宰大弐一海
周山城



近くの道の駅へ車を停め、昼食を済ませてそのまま登城。周山城址入口からは全て登り坂で、何度か休憩を挟みながら本丸まで30分余りかかりました。本丸周辺には石塁跡も残っており、往時の様子が偲ばれます。

2021年01月22日 桜色舞うころ征夷大将軍クララ姫
周山城



周山城がある京北町周山に所在する和牛レストラン『登喜和』さん。周山に来られるときは是非こちらで昼食を!予約制なので事前に要電話。昔懐かしいあの本物和牛の肉の味が味わえます。また、このお店でも周山城の御城印が販売されています。もう30年以上通っているお店です。

2020年12月03日 イオ飛騨守
西の城[周山城  遺構・復元物]



西尾根の曲輪群から2条の堀切を越えて尾根伝いに西に進んだ先には、西の城と呼ばれる出曲輪群があります。
総石垣の東の城(本城)に対して土造りの城で、南北にのびる尾根の3つのピークに曲輪を設け、南の曲輪は南下に腰曲輪、北端に土塁があり、中の曲輪には北側と中央部に土塁を設け、主郭と思しき北の曲輪には南部と北西部に枡形虎口が開口しています。

2020年12月03日 イオ飛騨守
堀切[周山城  遺構・復元物]



東の城(本城)と西の城(出曲輪群)を結ぶ尾根筋を断ち切る深い堀切が2条あります。

2020年12月02日 イオ飛騨守
篠山藩代官所[周山城  寺社・史跡]



道沿いの石垣が遺構かどうかは不明ですが、跡地は駐車場になっており、周山城登城口までは徒歩約5分です。

2020年12月02日 HS摂津守
周山城



全ての遺構を観るものなら1日がかりのお城でした!見どころの高石垣では現在調査発掘?整備?が行われており 初めて見る光景に感動と感謝の念がわきました✨🙏🏻 それにしても光秀さんスゴい👏👏

2020年05月24日 左近衛中将
二ノ丸跡[周山城  遺構・復元物]

本日は慈眼寺に行きましたので、麓から眺めました。

2019年11月18日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
周山城



ウッディ京北で駐車代代わりの買い物と弁当と飲料水を買い込み一言駐車の断りをかけて(これ重要)弓削川に架かる橋を渡り北の方角へ歩く羽田酒造を過ぎた左側に周山城の登城入口。(今回はスムーズに)
山道は整備されてるほうの部類···投稿した開かれた眺望ポイントまではね(笑)
NHKのアンテナ塔(曲輪遺構)の左側の一人幅の山道を白リボンを目印に進んで下さい。右上に城の曲輪と思しき遺構が!ここの道が狭くて左は急斜面片手スマホは危険です。木の幹を片手に掴み3点支持を心掛けて下さい。東西に広がる山頂尾根の曲輪はラクダの背のようです。もう1段東に上がれば苔石だらけの本丸です。中央部を囲うように土塁。出入り口は三箇所。東に(登山道の反対側)虎口で投稿写真の風化した石垣の群れです。丹波攻略の足掛かりの重要拠点として光秀の渾身の城塞です。山崎敗亡後は見える側は破城したが裏側は適当に埋めて隠して検視官に誤魔化した感じが私はしました。道の駅ウッディ京北を起点にして散策がベストでしょうか。満足の汗だく後は道の駅オススメ味噌味ソフトクリームがオススメです(笑)

追記。行き交う車の国道沿いに猪肉のラーメンを出す「チャンピオン」が近くにあります。ラーメン好きな方はどうぞ。

2019年11月13日 野呂利左衛門督休三
慈眼寺[周山城  寺社・史跡]

黒塗りの明智光秀像があります。元は光秀が周山城近くに建てた密厳寺にあったものですが、廃寺となったため慈眼寺に移されたとのこと。
光秀が逆賊とされたことで、わからないようにと墨を塗られ、「くろみつ大雄尊」として、ひっそりと地域で祀られてきたそうです。

拝観は、土曜日・日曜日・月曜日の週三日、午前10時から午後4時までですが、その他の日も予約すれば拝観できるとのこと。

また、2019年の光秀命日にこの像をモチーフにした、くろみつくんが商標登録されています。ちなみに大河が決まる前からキャラクター化の検討をしていたそうです。

[参考]
慈眼寺ホームページ
京都新聞「役人の追及逃れる『黒塗り』光秀像がキャラに その名も…」

2019年01月31日 【大蔵卿】まちゃこ
周山城

1月30日現在積雪あり。
装備、雪山慣れしていない方の入山は雪解けを待ってからの方がよいです。
アイゼンあった方がよいです。
遺構は雪に埋もれてチラホラとしか見えないですが逆に縄張りがよく分かります。

2018年05月26日 源豊後守ポンコ2…
周山城

以下京都新聞ニュースの一部抜粋です。
ご興味あれば
「光秀の周山城、全貌判明 織田期特徴示す、京都市測量調査」で検索を。

明智光秀が築いたとされる山城「周山城」の跡地で、市が測量調査を行い、東西1・3キロ、南北0・7キロに及ぶ城の範囲、郭の位置や道といった全体像を確定。戦国期の城に革新をもたらした織田期の城郭の遺構が山中にほぼ現存しているとみられる。専門家からは発掘調査を求める声が出ている。

 今回の調査は城跡一帯の林道計画を受け、2017年2~12月に行った。ヘリを使った「航空レーザー測量」と目視調査で、詳細な城跡の縄張図を作成。

 城は東西に分かれ、天守台とみられる石塁を備えた「東城」の中心部(標高480メートル)から、山の尾根伝いに放射状に約50の郭がだんだんに連なり、「西城」にも10以上の郭があることを確認。道は、東側の正面に当たる大手筋のほか、城の西方向や南方向につながる導線、各郭を結ぶ道筋が明らかになったという。



2017年09月15日 ソバッソ80.0
周山城

補足

明智さんの技巧を凝らしたステキな縄張りで、かなり沢山の石垣が残ります。

しかし破城された事も関係しているかと思いますが、非常に崩れやすい状態です。
感動して石垣の下から眺めていましたが、いつ崩れてきても文句言えません。
乱雑に散策すると、遺構が崩れる可能性があります。
なので、遺跡を愛でる事の出来る方だけにオススメします。

明智さんの技巧を凝らしたステキな城郭、是非ご堪能下さい。
そして明智さんの無念も汲んで差し上げて下さい。

2017年09月15日 ソバッソ80.0
周山城

比高235m
ウッディ京北に駐車、水分確保トイレ済
案内図をレジのお姉様にもらい、JA京北町の交差点を西へ進み、そのまま住宅街を抜け城域へ

植林か城郭整備の軽トラが通ったような轍のある砂利道を登り、広い平坦地から谷筋を右手に見ながら登城開始
20分程かけつづら折れの凸凹道を進み、6回目の曲がりで塹壕と虎口を通過。ここから本格的に遺構パラダイス
しんどいのはここまで

あとは主郭までの各曲輪を散策しながらで、麓から2時間

主郭東側に、有名な破城された石垣の名残がゴロゴロしてるあの斜面
主郭から少し下り、見上げると1m程度の石垣が帯状段曲輪と共に、主郭部をぐるりと巡ってます。その足元は大体埋もれた石垣の名残
主郭西側に、最も良く残る石垣群

そこから更に西へ下ると、土エッセンスが強くなり、堀切二条、段曲輪と切岸、西果てに土塁を使った枡形虎口あり

ここまで散策してウッディ京北へ戻り4時間。
城3つ巡るくらい、様々な遺構が見られます

2016年07月17日 源豊後守ポンコ2…
周山城

京都駅からJRバス高雄京北線に乗り周山を目指します。所要時間90分・¥1,180です。
周山で降りて左折し、5分歩くとバス停『京北農協前』に案内板があり、それに従い登って行きます。完全な山道で雨上がりの後でぬかるんでおり、夏やから雑草も生えてますが、道はわかります。
蜂や蚊など虫も多く、登り始めて15分で蛇と睨めっこになったため、残念ながらここで断念しました。
案内板によれば山頂まで60分とありましたので、気候のよい時期に山登り装備でリトライしたいと思います。

案内板によれば、明智光秀が1570年代に築城し、山頂部の主郭を中心に東西南北の尾根に曲輪を造成。主郭東側に低い石塁で囲い込まれた通路があり、石塁上に土塀を巡らせてたそうです。
また虎口や建物の存在を示す瓦片は織豊期に使用されたこと示しており、現存する石垣の遺構は壮大とのことです。

案内板通りなら、個人的には是非とも確認したい城です。

2015年01月25日 ソバッソ80.0
周山城

周山城へ向かう162号線道中、オービスあります。スピード注意。

2012年07月03日 ポリタンク但馬守
周山城

西の堀切の先の鉄塔を過ぎて暫く歩くと辿り着く西峰曲輪群は、いい感じの土塁が残る土の城です。
道がほぼ無い北方の2つの尾根筋にも多少石垣が残っています。
全域を隈なく見学するのであれば、3時間は見込んでおきましょう。

2010年06月26日 まったり丹波守
周山城

道の駅ウッディー京北から国道477号を西へ向かい突き当たりを北へ向かいます。バス停『京北農協前』に案内板が有ります。城の西側の尾根上には出丸跡が有りますが電波塔が建ってます。
見所は本丸、各郭の石垣です。

周山城の周辺スポット情報

 高石垣(遺構・復元物)

 二ノ丸跡(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 西の城(遺構・復元物)

 石垣(遺構・復元物)

 石垣(遺構・復元物)

 鷹屋(遺構・復元物)

 小姓曲輪(遺構・復元物)

 大規模石垣跡2(遺構・復元物)

 大規模堀切2(遺構・復元物)

 西の城(拠点)(遺構・復元物)

 比田曲輪(遺構・復元物)

 枡形虎口(遺構・復元物)

 兵糧蔵(遺構・復元物)

 城跡碑(碑・説明板)

 周山城址説明板(碑・説明板)

 西の城(土の城)(周辺城郭)

 塔城(周辺城郭)

 中江城(大野城)(周辺城郭)

 細野城(周辺城郭)

 慈眼寺(寺社・史跡)

 篠山藩代官所(寺社・史跡)

 駐車場(駐車場)

 登城口(その他)

 眺望スポット(その他)

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