塩貝城(しおがいじょう)
塩貝城の基本情報
通称・別名
- 大戸城、上胡麻城
所在地
- 京都府南丹市日吉町上胡麻奥
旧国名
- 丹波国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 塩貝将監
築城年
- 室町時代
主な改修者
- -
主な城主
- 塩貝氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、竪堀、切岸
指定文化財
- 市史跡(塩貝城跡)
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
須知城(京都府船井郡)[6.0km]
橋爪城(京都府船井郡)[7.9km]
園部城(京都府南丹市)[9.3km]
宇津城(京都府京都市)[10.6km]
今宮城(京都府南丹市)[13.8km]
周山城(京都府京都市)[14.0km]
八木城(京都府南丹市)[14.8km]
上中城(京都府京都市)[15.0km]
神尾山城(京都府亀岡市)[16.6km]
籾井城(兵庫県丹波篠山市)[17.1km]
塩貝城の口コミ情報
2024年05月11日 RED副将軍
東胡麻城[塩貝城 周辺城郭]
釣り針状の尾根上に郭が連なる宇野氏の拠点🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代等の詳細不詳。在地土豪である宇野氏の拠点とされ、城主の名に宇野但馬守が伝わります。
位置的に野化館の詰め城と考えられています。
宇野氏は内藤氏に属しており、塩貝城の小林氏と連携し赤井氏の侵攻に備えた防御線として機能した様です。
見所
胡麻川西岸の標高260mほどの丘陵上に築かれています。
尾根筋は北から南南西に伸びて頂部から北東へ大きくカーブする釣り針型で、段郭が連なる連郭式山城です。
ピークに主郭を置き、北東へ二段の郭が配されてており、主郭の西下から北へ伸びた尾根はには無数の小規模な段郭が連なります。
堀切や土塁も認められますが、切り立った高く鋭い切岸が最大の見所です。
派手さは無いプリミティブな山城ですが残存度が高く見応えがあります。
行き方は、塩貝城の北東に位置し、そのまま縦走して行きました。約20分くらいで辿り着き、北側の尾根先端から下山しました。
2023年09月18日 RED副将軍
野化館[塩貝城 周辺城郭]
巨大な空堀・土塁が見事な宇野氏の居館🏯
オススメ度 ★★★★★
築城年代等の城史は不詳。
在地土豪である宇野氏の居館跡。宇野氏は東胡麻城の城主であり宇野但馬守の名が伝わります。
見所
東胡麻集落の北東部にある丘陵上に築かれており、東から副郭、主郭、二郭が連なります。
登り始めて直ぐに副郭と主郭を隔てる鋭く巨大な空堀に圧倒されます。副郭、主郭ともに土塁が高く盛られているため空堀の深さが際立ちます。
主郭と二郭も深い空堀で区切らていますが、こちらは空堀、二郭ともにヤブ化しています。
ぜひ東胡麻城と併せてご訪城下さい。
行き方は、東胡麻集落の北東端にあります。途中にある東胡麻集落の駐車場を利用し歩いて向かいました。比高は20mほどです。
写真
①②③主郭と副郭を隔てる大空堀
④⑤主郭の大土塁
⑥⑦主郭と二郭を隔てる大空堀
⑧副郭東側の堀切
2023年06月26日 RED副将軍
塩貝城
主郭部、出郭部ともに残存状態が見事な塩貝将監の居城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代等の詳細不明。室町時代に塩貝将監によって築かれたとされます。
城主は塩貝晴政とその子である塩貝晴道が伝わり、父子も塩貝将監を名乗りました。
1579年、塩貝晴道は波多野氏に従っていましたが、織田信長による丹波攻めにおいて家臣の明智光秀によって攻められ落城しました。
見所
大戸集落の東側裏山の標高310mピークに築かれています。
尾根沿いに南へ進むと出郭と考えられている鍛冶屋敷にまず辿り着きます。鍛冶屋敷は周囲を土塁が巡り、東側に食い違い虎口が開口。桝形が形成されており技巧的な縄張りです。
南へ尾根を登ると薄めの土橋が架かる堀切があり、主郭下に到達します。
主郭下にも堀切があり、西側端部は二股となり二重竪堀を形成しています。
主郭は土塁はありませんが、高低差のある鋭い切岸に背後の南下には大堀切が設けられています。テクニカルな鍛冶屋敷に比べてプリミティブな印象を受けますので時代が違うのかもしれません。
いずれにせよ残存状態は抜群であり、尾根伝いにある東胡麻城と併せての登城をオススメです。
行き方は、大戸会議所に駐車させて頂き、北へ200mほど歩くと登城口があります。
獣害柵を開けて入ると「塩貝将監之墓」と案内板があり、尾根沿いに登ると辿り着きます。比高は110mで20分位だと思います。
写真
①主郭背後の大堀切
②南端の堀切
③④主郭切岸
⑤⑥主郭北側下の二重竪堀
⑦土塁囲みの鍛冶屋敷
⑧鍛冶屋敷の食い違い虎口
2023年01月16日 tracer_azu
東胡麻城[塩貝城 周辺城郭]
塩貝城から縦走しました。途中倒木により看板が倒れていたのでGPSで確認して縦走することをお勧めします。私は間違えてしまって鉄塔の道を進んでしまったので、、東胡麻城の方が、塩貝城より古いお城のイメージです。派手な遺構はありませんが谷筋をうまく利用し、主郭とニ郭から常に横矢がかかるお城でした。
2023年01月16日 tracer_azu
塩貝城
大戸懐疑所に駐車させていただき攻城。目安にしていた登城道の看板は撤去されていましたので行かれる方はお気をつけて。鍛冶屋跡の外枡形の虎口、堀切が二股の竪堀となって落ちる堀とても良かったです。こちらは縦走して東胡麻城まで行けますのでお時間ある方はセットがお勧めです。
2019年02月11日 シバヤン左兵衛督肝胆相照
塩貝城
まったく予備知識なく訪れた胡麻駅。その駅中の喫茶店兼食事処の胡麻屋の座席から見える丸山。座席近くに胡麻大戸城跡のパンフレットが··!そうアプリ登録の塩貝城です。出会いは突然やってくる(笑)
道を調べていたら農家のおじさんが案内しようかとお誘いを受けて車でGO。
窓から見える丸山の後ろに回ると小さな農道に案内板。駐車の断りをして最初に鳥獣ネットをくぐると塩貝氏の墓碑、右手を登り続けて尾根に出る。左が鍛冶屋敷、右が本丸。パンフレットの縄張り見るとまるでアンキロサウルス(鎧竜)大きな尻尾の先が鍛冶屋敷。胴体が本丸、北曲輪が頭。
尻尾と胴体の境に竪堀が二本、北曲輪に一本、竪堀が手足に見える配置てに見えて面白いよ(笑)。
案内の農夫も久しぶりに来たと目を細めてしみじみ。明智光秀に攻められ哀れ塩貝一族は潰滅。その廃墟の山城を守り保全にここの農夫達が墓守しているのが大変心温まりました。人の温もりの心地良さを受けて塩貝城主の塩貝一族も安心しているでしょうかね···。
2015年04月24日 まんきち
塩貝城
猪の足跡と、糞があちこちにあったので、十分
注意してください
2014年02月02日 まったり丹波守屋
塩貝城
登山口付近に看板が無く、近所の方に聞きました。案内看板から約250mほど北北東へ行った所、畑の脇を民家の方の道へ入るかたちになります。少し行き墓地が有ると正解です。墓地の横、土壁の小さな小屋の脇へ行くと獣避けのネットが有り、ネット越しに『塩貝城跡』の案内板が有ります。要所の写真を載せたので参考にして下さい。見所は堀切からの畝掘。そして帯曲から見上げる本曲。
2013年01月06日 太政大臣さかな
塩貝城
山の麓まで行ったのですが、雪に阻まれて城跡には辿り着けませんでした。(>.<)
春になったら、また行ってきます。(^^)/