八木城(やぎじょう)

八木城の基本情報

通称・別名

所在地

京都府南丹市八木町八木内山他、亀岡市宮前町神前大谷他

旧国名

丹波国

分類・構造

山城

天守構造

不明(天守台あり)

築城主

内藤入道

築城年

室町時代

主な改修者

明智光秀

主な城主

内藤氏、松永氏

廃城年

不明

遺構

曲輪、櫓台、石垣、土塁、井戸

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

御影山城(京都府亀岡市)[5.5km]
神尾山城(京都府亀岡市)[5.5km]
余部城(京都府亀岡市)[6.4km]
園部城(京都府南丹市)[6.9km]
亀山城(京都府亀岡市)[7.5km]
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丸山城(大阪府豊能郡)[12.7km]

八木城の解説文

八木城(やぎじょう)は、京都府南丹市八木町八木および亀岡市宮前町神前周辺にあった日本の城。丹波国三大城郭のひとつで、黒井城八上城とともに数えられている。キリシタン武将・内藤如安ゆかりの城としても知られる。

概要
JR西日本八木駅の南西にある、城山(標高344m)にある複合梯格式の山城である。城郭施設の広さは広大で、山頂部に本丸、支尾根筋にも多数の曲輪などの防御施設が築かれている。現在でも、本丸、天守台、石垣といった遺構が地表面から確認できる。ただ、沿革についてはよく解っていない点が多い。八木城の記載されている史料は多く、『太閤記』『明智軍記』『丹波風土記』『丹波興廃記』『籾井家日記』『内藤盛衰記』『八木町誌』等があるが、これらの史料は原史料の十分な考察がされないまま引用され、それらが更に孫引用され誤りが多いのではないかとされている。また、丹波守護細川氏の守護代をつとめた内藤氏の居城であった他は、その存続期間や城主の系譜については明確でない点が多く、八木城は有名な山城ではあるが、不明な点も多い。

沿革
元弘3年(1333年)足利尊氏が丹波篠村八幡宮での挙兵に応じた内藤顕勝(定房とも)が戦功により船井郡を与えられ建武2年(1335年)に八木に入ったのが築城の始まりとされる。

明徳3年(1392年)、細川頼元が丹波守護に任命されると、管領として在京を常とする細川氏に代わり内藤氏がこの城を守護所として機能させていた。

永享3年(1431年)7月24日に、「持之将軍義教ノ命ニヨリ守護代ヲ香西ヨリ内藤備前入道ニ替エル」(『満済准后日記』)と記され、細川氏の被官となっていた内藤備前入道こと内藤信承が丹波国の守護代となったことにより、八木城は守護である細川氏・守護代である内藤氏の威勢を示すものとして本格的に拡張されはじめたものと推定されている。

信承は嘉吉2年(1442年)もしくは嘉吉3年(1443年)に死去あるいは更迭されたようで、嘉吉3年(1443年)6月には次の丹波国の守護代として内藤之貞が任じた。また1449年(宝徳元年)-1452年(享徳元年)には内藤元貞と交替していたようである。

宝徳3年(1451年)細川勝元が八木城山麓に龍興寺を建立した。八木村という地名に因み、号を米山とする。

その後上原元秀が文明14年(1482年)12月に丹波国守護代になったようだが、明応2年(1493年)10月に長塩弥六との刃傷沙汰があって、同年11月に死亡したようである。明応4年(1495年)8月24日に、「細川自丹波国上洛、守護代事内藤二返給了」(『大乗院寺社雑事記』)とあるので、上原元秀の父の上原賢家の没落後は内藤元貞が再び守護代に戻ったものと思われている。その後1505年(永正2年)-1521年(大永元年)までは内藤貞正が守護代となり、続いて内藤国貞が守護となったようである。

しかし細川氏綱、三好長慶に味方して以降、八木城は幾度か戦場となったが、天文22年(1553年)9月に落城し内藤国貞も討ち死にした(『細川両家記』)。その後松永久秀の弟松永長頼が八木城を奪還した。松永長頼は三好氏軍の中で十河一存と並び早くから軍功をあげ、三好長慶の信頼が厚かった人物であったと思われている。「丹波が13年間に亙って三好氏の版図であったのは、専ら彼(松永長頼)の軍略によるところが多い」とされる。その戦の天才も『多聞院日記』によると永禄8年(1565年)8月、赤井直正の反撃にあって討ち死にしたようである。

内藤ジョアン時代...

八木城の口コミ情報

2020年09月07日 大納言こうちゃん播磨の守
八木城



JR八木駅から登城しました!駅から本丸まで約1時間でした!登城口からひたすら勾配の連続と足元が悪いので軽装・軽靴は注意です!本丸迄行くと戦国時代の山城を実感出来ました!時折見る斜面、強烈です!登城中、足を踏み外すと大変な所も多々ありますので、ご注意下さい。登城の際、水やお茶等の持参も忘れずに!

2020年03月22日 淡輪 ロクロ兵衛
八木玄蕃(曲輪)[八木城  遺構・復元物]

何段かの段差のある曲輪跡。
本丸~二の丸から続き、烏嶽へ繋ぐ位置。
他に比べると小さめ。

2020年03月22日 淡輪 ロクロ兵衛
二の丸[八木城  遺構・復元物]

真ん中に大きめの曲輪、その周囲にも平坦地。東に本丸、南西側に八木玄蕃(曲輪)を繋ぐ位置。
山頂の案内板には「内藤和泉」とあるので、内藤和泉守の屋敷跡か。

2020年03月22日 淡輪 ロクロ兵衛
二の丸[八木城  遺構・復元物]

真ん中に大きめの曲輪、その周囲にも平坦地。東に本丸、南西側に八木玄蕃(曲輪)を繋ぐ位置。
山頂の案内板には「内藤和泉」とあるので、内藤和泉守の屋敷跡か。

2020年03月22日 淡輪 ロクロ兵衛
烏嶽(曲輪)[八木城  遺構・復元物]

八木城からは少し離れた尾根上の曲輪群。
山頂部から北側と南西側に逆L字型に延びる。
本丸から二の丸、八木玄蕃(曲輪)を経てくるが、山道を歩いていると、南側の亀岡市交流会館へ至る道と間違えないようにビニールテープで道が塞がれているところがあるが、ビニールテープをくぐり尾根沿いを進む。地図をちゃんと読めなかったり、縄張り図や赤色立体地図のパンフを持っていないならやめた方がいい。

中心部(最高所)より北側には、何段かの曲輪を降りたのち、鞍部をこえ、また何段かの曲輪を登ると広い場所(曲輪跡)に出る。
さらに主尾根を西側に少し行くと、堀切があり、その先へ登ったところにも少しなだらかで、曲輪跡と思われる段差があるが、不明瞭。

中心部より西側へも曲輪跡が何段か延びる。途中、南西側に向きを変え、さらに進むと堀切がある。こちらの堀切の先も若干平坦だが、遺構は不明瞭。

2020年03月22日 淡輪 ロクロ兵衛
内藤土佐(曲輪)[八木城  遺構・復元物]

本丸から南側へ尾根沿いに一旦下り、昇り返したところにある。本丸からの下りには道は少し急でロープがあるところがあるので、気を付けて。
対面所への道もあるようだが、私は行ってませんし、対面所側に明瞭な道はなかったように思うので、どの程度通れるのか不明です。

2020年03月22日 淡輪 ロクロ兵衛
北の丸(並河重郎)[八木城  遺構・復元物]

北側にある広い目の曲輪。
本丸より少し北東に尾根を行ったのちに、北側へ分岐する尾根を一旦下り、再び登り返したところ。
帯曲輪的なものを含め、何段かの段差がある。本丸からここに至るまでもいくつもの曲輪跡が連続している。

2020年03月22日 淡輪 ロクロ兵衛
対面所(曲輪)[八木城  遺構・復元物]

6合目(7合目?)の標識のところに案内板があり、そこの南側上方の尾根にあたる。
ここに入るには、標識よりもすこし(50m程度か?)道なりに行ったところに左手に登りやすいところがある。
平坦地に堀切や、曲輪があったであろう小さい段差がある。ただし、木が生い茂っていて歩き回るには不向き。
山頂の案内板によると、「対面所」「大八木但馬」とある。

2020年03月09日 RED副将軍
八木城



30分程度で頂上まで登れますが、登山道は写真の通り、狭い切り立った崖沿いを歩く上に、急坂もあり滑りやすい土質ですので、しっかりとしたトレッキングシューズで登ることをお勧めします。
遺構はかなり広いので、時間に余裕を持っておいた方が良いです。

2019年05月06日 ユウスケ
八木城

謎の穴は詳しい方に聞くところによると昔マンガンを掘り出した痕跡との事です

2018年12月16日 木下近江守湖一郎
八木城

先人も書かれていますが、本丸へは30分から40分程度の登山となります。足元はしっかりした靴で登られることをおすすめします。
遺構は、本丸に残る土塁、虎口、石垣はもちろん素晴らしいですが、西側の別尾根に築かれた曲輪群(内藤法雲曲輪)も散策されることをオススメします。
段曲輪や土塁、そしてそれぞれの南北の端に築かれた堀切と一部残る石垣はそこが重要な曲輪であったことを感じさせます。堀切と石垣のコラボは絶品です。
城域はとても広く、登城なら下城まで3時間程度でした。
見所満載で、再訪したい城の1つとなりました。
ちなみに南の堀切を越えた平坦地には自然地形と思わしき洞穴があり探検心をくすぐられます。もちろん、中には危なくて入れませんが。


2018年01月08日 iggy太政大臣
八木城

《遺構》
本丸に縄張図(説明板)があります。
本城の主だった郭には、それぞれの郭を守った重臣の名が付けられているようです。

主要な郭の土塁は残存状態が良く、内藤和泉郭の東側、並河重郎郭の南側にいずれも岩石剥き出しの堀切があります。

内藤和泉郭の南西・八木玄蕃郭のさらに西の内藤法雲郭にも堀切があるようですが、探索していません。
また、本丸南側・内藤土佐郭のさらに南方にかなり長大な竪堀があるようですが、ここも探索していません(崖越え)。

「天守閣の祖形」について
説明板によると、「本丸の南西端に金の間という一段と高い部分が張り出している、これは、天守閣の祖形と考えられる」と説明されています。
「間」は郭であろうと思われますが、同所は一段と高くもなっておらず「天守閣の祖形」がどの場所にあたるのか不明でした。
一段と高い部分であるならば金の間から本丸への虎口南側が該当すると思われましたが…。

「天守閣の祖形」というだけに興味がそそられますので、わかりやすい表示があればありがたいと思いました。

2015年12月17日 カーネル
八木城

山陰本線八木駅より

改札をでたら右へ行き、線路を渡って西へ。まずは交通量がない田舎道を歩いて、春日神社を目指します
神社の北側の道で高速道路を越えると登山道があります。登ると、ポップな「**合目」の標識が楽しいですよ

帰りは、本丸にある縄張り図を頼りに、城山自然歩道で妙見宮方面に降りたのですが、赤テープが頼りで道はほとんどわからず
とは言え、テープを見失っても、二の丸から尾根に沿って降り、鞍部で右(北)へ行くと、しっかりとした道にでれます

自分は2時間ちょいで駅まで戻ってしまいましたが、隅々までみたら、もっとかかると思います

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです


2015年08月08日 尾張守だもんで
八木城

八木駅から徒歩15分程で春日神社北側の登城口です。
猛暑の中での登山だったからかもしれませんが、もしかすると丹波三大山城のなかで最もハードかもしれません。とくに三合目から八合目までは狭く急なつづら折りが続きます。本丸までの登りに40分はみておくべきでしょう。
黒井や八上に比べるとマイナーな印象ですが、それら同様に本丸からの眺望は素晴らしいです。

2015年06月04日 BESAN
八木城

本丸から見られる雲海が素晴らしいです。

2012年04月25日 加賀美 摂津守遠光
八木城

八木城、城山麓には、内藤氏館跡と言われてる東雲寺が有ります。

2011年03月26日 まったり丹波守
八木城

JR八木駅の南西に有る春日神社の西に『内藤ジョアン』の碑があり、京都縦貫道の方に振り返ると登山口になります。
駐車場は有りません。バイクなら停めても大丈夫なスペースは有ります。
因みに春日神社には駐車場があります。
登山口に入ると見応えある屋敷跡が有ります。本丸に案内板が有り縄張り図が載ってます。井戸跡や謎の穴が多数有ります。



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