笑路城(わろうじじょう)
笑路城の基本情報
通称・別名
- 松尾城、松尾山城、松尾山古城、松尾之城
所在地
- 京都府亀岡市西別院町笑路風呂ヶ谷
旧国名
- 丹波国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 長沢正綱
築城年
- 永享年間(1429〜1441)
主な改修者
- -
主な城主
- 長沢氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、天守台、石垣、土塁、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
地黄城(大阪府豊能郡)[5.5km]
丸山城(大阪府豊能郡)[5.7km]
田能城(大阪府高槻市)[6.0km]
野間城(大阪府豊能郡)[6.9km]
余部城(京都府亀岡市)[7.2km]
亀山城(京都府亀岡市)[7.4km]
神尾山城(京都府亀岡市)[9.0km]
高山城(大阪府豊能郡)[9.4km]
八木城(京都府南丹市)[10.2km]
御影山城(京都府亀岡市)[11.6km]
笑路城の解説文
笑路城の口コミ情報
2026年03月11日 尼崎城志摩守一口城主
明智戻り岩[笑路城 寺社・史跡]
2/15、笑路城下城後に往路のバスの車内からチラッと見かけた明智戻り岩🪨が気になり見学に向かいました。
笑路城麓に建っていた鳥居⛩️(写真①※鳥居前には<能勢妙見山御供米田地>と刻まれた石碑がありました)から国道423号を亀岡市街方面へてくてく下っていくこと約20分で明智の戻り岩付近に到着🚶🏻写真②の法面が目印になるかと思います。写真②の左下に写っている「つづら折り注意」⚠️の標識付近に明智の戻り岩(屏風岩)(写真③)と周辺マップ(写真④)があり、付近の橋は明智橋(写真⑤)でした🏞️
明智戻り岩はでかい岩🪨(写真⑥、⑦)で説明板(写真⑧)を読むと戻るの意味が中国地方攻めの援軍に向かう道中に後戻りして本能寺を目指したという説と丹波攻めの際に当地で引き返したことによる説など命名の由来は諸説あるようです🤔
説明板(写真⑧)の法華岩🪨の説明文で享徳三年が気になったので調べたところ、享徳三年は西暦1454年で室町時代の八代将軍足利義政公の時代でした。法華岩は570年余前に彫られたもので、本能寺の変からだと128年前に彫られたものでした🪨
2026年03月10日 尼崎城志摩守一口城主
笑路城
[公共機関移動〜登城口進軍編]
2月15日(土)に登城⛰️私事ながら今(城)年度は毎月新規攻略&新規リア攻めを目指していたので京都府及び兵庫県にまたがる丹波国の京都府側のラスト1城未攻略となっていた笑路城に向けて出陣。
山陰線亀岡駅から京都先端科学大学行きにまず乗車し🚌大学到着後に中型のバスのふるさとバスに乗り換え犬甘野口(いぬかんのぐち)で下車🚏(参考までに私の当日の乗換は亀岡駅8:07発→大学8:17着/大学8:20発→犬甘野口8:33着)※今回は事前にバス時刻を確認して移動しました。バスの本数は少なそうだったので事前の確認をおすすめです。また私が上記の通り大学から笑路城最寄りの犬甘野口まで乗車したバスですが循環バスでまた大学に戻るバスだったで犬甘野口で降車ボタン🔘を押し忘れてもそのまま乗っていれば再度犬甘野口を経由するバスでした🚌)
下車した犬甘野口バス停🚏(写真①)からお城方面を向いたT字路(国道423号&府道732号)に笑路との地名表記(写真②)があり、写真②の鉄塔が立っている山が城山でした。犬甘野口バス停🚏も運行方面によって停留所が離れているようでT字路を城山側に渡った先にももう一つの停留所(写真③)があり写真③のバス停の奥に見えている道標(写真④)に沿って登城口を目指し、写真④地点から2分程で登城口(写真⑤、⑥)に到着。今回の登城に際して、亀岡市観光協会さんの笑路城紹介動画を見て予習してきていたので動画の注意⚠️に従って電気柵の写真⑦中央部のプラ製のグリップを取り外し、私の場合は上から2本外して下の2本の電気柵をまたいで入城&電線復旧。登城口(写真⑥)を通過後、さらに獣害対策用のネット&柵(写真⑧)から入城。二重の対策がなされている山城は個人的に初てのような気がしたので熊🐻や猪🐗などが出る確率が高いんだなと気を引き締めて熊ベル🔔を鳴らしながら登山開始⛰️
参加までに写真⑧地点から鉄塔のある主郭と思われる曲輪まで私の足で約15分でした🥾
2026年03月10日 尼崎城志摩守一口城主
笑路城
[登城前編]
登城口から写真①の山道を道なりに進み、写真②の二又の分岐点は写真②中央部の火の用心の示す方向を進みました👈写真①の登山序盤は訪城時、落ち葉🍂がふかふかで一歩踏みしめるごとに足首が落ち葉に埋もれていく状態でした。往時に攻め手側が写真①のルートを選択した場合、撒菱の注意や写真①左手の高い斜面からの反撃⚔️に要注意だったかもしれません😨
写真②地点から2分程進むと写真③の道標ポイントがあり道標に沿って曲がります👉現在は道標を設けて下さっていますが往時は守り手側がわざわざ敵に主郭の方角を教える訳もなく、写真③地点でそのまま攻め手を直進させ迷子🤷🏻♂️にさせる目的もあったのかもしれません。
写真③地点から道標に従って登り、ふと振り返ってみると写真④の通りで進軍ルートは竪堀の遺構跡のようにも見えました
写真③地点から約7分で写真⑤地点の谷間に到着。下から目線で両サイド(写真⑥、⑦)を見上げると挟み撃ち🏹されそうな空間でした😱写真⑤地点の道標に沿って主郭側に登り、谷間の写真⑤地点を上から目線で見下ろすと高低差から守り手側がかなりの優位に立てそうな印象でした。
2026年03月10日 尼崎城志摩守一口城主
笑路城
[登城後編]
登城前編の写真⑤地点から主郭方面を目指すとまず、写真①の通り何らかの曲輪のような空間が広がり、進んでいくと虎口(写真②)らしき場所があったので虎口の外側に回り虎口(写真③)及び主郭方面(写真④)を眺めてみました。
鉄塔が建つ主郭と思われる周辺も気になったので主郭の一段下を散策。
石積みの痕跡(写真⑤〜⑦)が見られ個人的に好きな古城感を醸し出してくれていました。また、主郭の一段下には腰曲輪らしき曲輪(写真⑧)も見られました。
2026年03月10日 尼崎城志摩守一口城主
笑路城
[主郭編]
主郭への入口には保存会の方々がステップ(写真①)を設けて下さっていたお陰でスムーズに上がって行くことが出来、この場を借りてお礼申し上げます🙇🏻♂️
鉄塔下には主郭の遺構と思われる石(写真②〜⑤)が見られました🪨
現在の鉄塔下からの周囲の見晴らしは写真⑥の通りで木々により見えづらい状況ですが、往時は木々を伐採したり🪚物見櫓👀を建てて山城周辺の状況を確認できるようにしていたのではないかと思います。
山路麓の最寄りのバス停🚏犬甘野口付近のT字路で道路標識を確認したところ国道423号は亀岡市街と旧摂津国池田方面を繋ぎ、府道723号は旧摂津国能勢をつないでいたので戦国期は摂津丹波の国の勢力の攻防の舞台又は通り道だったのかもしれません🤔
しばらく遺構探索🧭を楽しみたいところでしたが登城口で二重の獣害対策がなされているのを思い出しある程度見学して下城。下城の際、柿の種がてんこ盛りの熊の糞🐻💩と思われるものを発見してしまったので早歩きで下山💦※かなりの時間経過をしている糞に見受けられましたが登山道の道中にあったのでリア攻めを計画される方は登る時間帯や熊ベルなど対策にお気をつけ下さい⚠️
下山後は進軍中にバス車内🚌から見かけた明智戻り岩が気になり岩の見学に向かいました。
2026年01月22日 ᴿᴱᴰ副将軍
法貴館[笑路城 周辺城郭]
在地土豪である酒井氏の居館🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代等の城史は詳細不詳。在地土豪である酒井氏の居館と考えられています。
酒井氏は細川晴元の家臣であり、城主に酒井三河守の名が伝わります。
1575年の明智光秀による丹波攻めに際しては酒井孫左衛門は明智光秀に従っています。
見所
法貴山城の北東麓に築かれており、法貴館が平時の居住用、法貴山城が有事の際の詰城とされます。
南側の主郭と北側の副郭で構成され、主郭は西側にLの字の土塁が巡り、その外側に横堀があります。
副郭と主郭の間には土塁に沿って溜池があります。
未整備でヤブ化していました。
2026年01月21日 ᴿᴱᴰ副将軍
法貴山東城[笑路城 周辺城郭]
法貴山城の東を堅める出城🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。在地土豪である酒井氏の拠点である法貴山城の東を堅める出城とされます。
酒井氏は細川晴元の家臣であり、城主に酒井三河守の名が伝わります。
1575年の明智光秀による丹波攻めに際しては酒井孫左衛門は明智光秀に従っています。
見所
法貴山城に向かう東側の支尾根に築かれています。
小規模な単郭であり、西側背後の尾根は土塁と堀切で遮断されています。堀切の端部は土橋状になっており、竪堀が落ちています。
行き方は、国道423号線沿いの「明智戻り岩」を目標に設定。周辺に広い路側帯があり駐車することができます。
明智戻り岩から北西へ直登気味に登ると途中から道が付いており辿り着くことができます。比高は約180mです。その先に法貴山城があります。
2026年01月20日 ᴿᴱᴰ副将軍
法貴山城[笑路城 周辺城郭]
明智光秀が改修したとされる織豊テイストの山城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。在地土豪である酒井氏の拠点とされます。
酒井氏は細川晴元の家臣であり、城主に酒井三河守の名が伝わります。
1575年の明智光秀による丹波攻めに際しては酒井孫左衛門は明智光秀に従っており、法貴山城は明智光秀により改修されたと考えられています。
笑路城の長沢重綱は法貴坂の「明智戻り岩」で明智光秀と対峙すると、酒井孫左衛門が間を取りなし、長沢重綱の所領は安堵されたと云われます。
その後、酒井孫左衛門は1582年の山崎の戦いで討死したとされます。
見所
摂津と丹波を結ぶ峠道である池田街道を見下ろす位置にあり、法貴坂にある「明智戻り岩」の北西の標高400mの城山山頂に築かれています。
山頂の主郭部は、東西に伸びる尾根上に低土塁が巡り、中央に仕切り土塁と堀で主郭と副郭が区切られており、西側が主郭とされます。
主郭部の南側に弓形状の大規模な横堀を二重に二段に配していることが最大の見所で、下段の横堀からは三条の竪堀が落ちています。
主郭は南側に虎口が開口し、横堀と竪堀に繋がり堀底道となっています。
東尾根と西尾根の両サイドは堀切で遮断され、堀切の端部は竪堀として落ちています。
行き方は、国道423号線沿いの「明智戻り岩」を目標に設定。周辺に広い路側帯があり駐車することができます。
明智戻り岩から北西へ直登気味に登ると途中から道が付いており、法貴山東城を経て辿り着くことができます。比高は約240mです。
2025年09月23日 葵 弾正大弼
笑路城
猪?対策で電気線でそこら中囲まれていて、中に入ることができませんでした。
2024年02月13日 583系飛騨守きたぐに
笑路城
城そのものについては先人様方がいろいろ書かれていますので割愛し、アクセスに関して投稿します。
公共交通機関を使うルートですが、JR亀岡駅から京都京阪交通バス京都先端大亀岡キャンパス行きで終点下車、同社が運行している亀岡市ふるさとバス22系統または21系統に乗り換え、犬甘野口バス停で下車します。22系統も21系統もどちらも循環バスですが、極端に本数が少ないなので行きと帰りで同じ系統のバスに乗るということには必ずしもなりません。また、犬甘野口バス停は設置場所が3箇所あり、京都先端大学に行くバスであっても、止まる位置が異なりますので、帰りは、自分が乗るべきバスが3箇所のうちどこに止まるか、バス停に書かれている時刻表を確認してください。
次に、バス停からのルートですが、写真のように、1箇所のバス停そばに案内板がでています。そこから、田畑を縫って山の中に入りますが、本丸は山上の鉄塔のある場所です。途中、獣よけの電気柵(取り外しはフック式)と観音開きの柵がありますので、明け閉めを必ずお願いします。柵を越えると山の中に入りますが、関西電力が鉄塔の保守用に人が歩ける程度の道を設けています。ただ、ものすごい量の落ち葉が道の窪みに溜まっており、ときたま落とし穴にはまるようになったり、下りはスピードを出すとスリップ多発です。基本、分岐には笑路城を示す看板か、関電のロゴが入った矢印看板があるのですが、ところどころ、関電の看板が惑わすように立っているところがあるので、怪しいと思う箇所では、大量に落ちてる枯れ枝で→マークを作って、目印にしました。
バス停から本丸まで、こけてもいいと思い、早歩きで往復しましたが、片道20分程度でした。
獣よけの柵があるということは、野生動物と遭遇する可能性が高いということですから、対策を取った上での登城をお願いします。
2023年05月21日 ユウスケ
笑路城
虎口、石垣、土塁、堀切、切岸と一通り残ってます
2023年02月13日 tracer_azu
法貴山城[笑路城 周辺城郭]
明智の戻り岩のあたりから直登あるのみ。割とすぐに虎口切り通し道が出てきます。ここからはGPSを頼りに目標地の法貴山城を目指して登っていくと東の堀切と下段の横堀を発見。城内数年前の台風の影響で倒木等でかなり勿体無いことになっていますが、上段の横堀は比較的綺麗に見れます。虎口付近テクニカルな遺構が残りますが倒木で写真に収めるにはなかなか難しい状態でした。 東城、上雲寺の法貴館もあわせて行かれることをお勧めします。
2022年01月22日 ᴿᴱᴰ副将軍
笑路城
明智光秀による丹波攻めの関連城郭
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1430年頃に長沢正綱によって築城されたと考えられています。以降、長沢氏の居城として続くも、織田信長による丹波攻めで明智光秀の侵攻を度々受けていた様です。
明智戻り岩にて長沢重綱と明智光秀が対面し、所領を安堵されたと言われてます。以降、長沢重綱は光秀配下となり、本能寺の変でも活躍するも、山崎の戦いで討死。
見所
竪堀脇の登城路からまず初めに見えるのが城域東側の大堀切で、西へ尾根を進むと、標高414mの松尾山山頂の主郭に到達。主郭を中心として東西の尾根に5つが連なります。
主郭には東西に分断する石塁、櫓台、桝形虎口が確認できます。
二郭の東、南側面には石積みが残ります。いわゆる上部のみの鉢巻石垣です。
西側にも土橋が付いた堀切がありますが浅めで、その先に段郭が連なります。
2021年04月29日 HS摂津守
笑路城
光秀関連ということで昨年秋に訪問しましたが 前回獣柵が固く閉まっていたため泣く泣く断念。今回は満を持して登城! 大堀切やうすく残る石垣、土塁などがありますが 全体的にはやや拍子抜けする城跡でした。そこまで凝った作りじゃないので簡単に落とされた気がします。
2020年03月14日 課長大和守Ver.B
明智戻り岩[笑路城 寺社・史跡]
中国攻めに向かっていた明智軍が本能寺へ進路を向けた歴史的分岐点という伝承地ですが異説もあるようです。
訪問時は遊歩道設置工事が行われていたので今現在は綺麗に整備されていると思います。
笑路城が明智方の改修の痕跡有りとのことでこちらへ投稿しましたが…(笑)
2019年07月24日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
笑路城
亀岡市内から笑路城付近に向かう途中で災害復旧の工事が3箇所でやっていて片側交互通行になっています。工事は、来月いっぱいかかるみたいです。
2012年08月01日 ポリタンク但馬守
笑路城
『図説中世城郭事典』で指摘されていますが、虎口の構造が周山城とそっくりです。言われてみれば須知城の西側と縄張が似ているかなとも思いますので、明智方の手が加わっているかもという見解に賛同です。
読み方は地名と同じなら「わろうじ」です。
http://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=26&city=1262060&id=104176
別称は各種書籍で「松尾城」等と書かれています。
2012年04月10日 加賀美 摂津守遠光
笑路城
補足、櫓跡、井戸跡も有ります。
2012年04月10日 加賀美 摂津守遠光
笑路城
城主、長沢氏
天守台跡
北石垣










亀岡盆地から摂津へ通じる摂丹街道の東側にあたる。
『長沢陽四郎家文書』『丹東城塁記』『桑下漫録』では「松尾ノ城」「松尾山堡址」「松尾山古城」とそれぞれ記しており、近世期は松尾山城と呼称されていた。
これらの記録類は領主である長沢氏の城郭と伝えている。
1977年(昭和52)、山頂部分の特別高圧送電線鉄塔建設に伴って、亀岡市教育委員会によって主要部の発掘調査が行われた。