笑路城(わろうじじょう)
笑路城の基本情報
通称・別名
- 松尾城、松尾山城、松尾山古城、松尾之城
所在地
- 京都府亀岡市西別院町笑路風呂ヶ谷
旧国名
- 丹波国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 長沢正綱
築城年
- 永享年間(1429〜1441)
主な改修者
- -
主な城主
- 長沢氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、天守台、石垣、土塁、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
地黄城(大阪府豊能郡)[5.5km]
丸山城(大阪府豊能郡)[5.7km]
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笑路城の解説文
笑路城の口コミ情報
2024年02月13日 583系備前守きたぐに
笑路城
城そのものについては先人様方がいろいろ書かれていますので割愛し、アクセスに関して投稿します。
公共交通機関を使うルートですが、JR亀岡駅から京都京阪交通バス京都先端大亀岡キャンパス行きで終点下車、同社が運行している亀岡市ふるさとバス22系統または21系統に乗り換え、犬甘野口バス停で下車します。22系統も21系統もどちらも循環バスですが、極端に本数が少ないなので行きと帰りで同じ系統のバスに乗るということには必ずしもなりません。また、犬甘野口バス停は設置場所が3箇所あり、京都先端大学に行くバスであっても、止まる位置が異なりますので、帰りは、自分が乗るべきバスが3箇所のうちどこに止まるか、バス停に書かれている時刻表を確認してください。
次に、バス停からのルートですが、写真のように、1箇所のバス停そばに案内板がでています。そこから、田畑を縫って山の中に入りますが、本丸は山上の鉄塔のある場所です。途中、獣よけの電気柵(取り外しはフック式)と観音開きの柵がありますので、明け閉めを必ずお願いします。柵を越えると山の中に入りますが、関西電力が鉄塔の保守用に人が歩ける程度の道を設けています。ただ、ものすごい量の落ち葉が道の窪みに溜まっており、ときたま落とし穴にはまるようになったり、下りはスピードを出すとスリップ多発です。基本、分岐には笑路城を示す看板か、関電のロゴが入った矢印看板があるのですが、ところどころ、関電の看板が惑わすように立っているところがあるので、怪しいと思う箇所では、大量に落ちてる枯れ枝で→マークを作って、目印にしました。
バス停から本丸まで、こけてもいいと思い、早歩きで往復しましたが、片道20分程度でした。
獣よけの柵があるということは、野生動物と遭遇する可能性が高いということですから、対策を取った上での登城をお願いします。
2023年05月21日 ユウスケ
笑路城
虎口、石垣、土塁、堀切、切岸と一通り残ってます
2023年02月13日 tracer_azu
法貴山城[笑路城 周辺城郭]
明智の戻り岩のあたりから直登あるのみ。割とすぐに虎口切り通し道が出てきます。ここからはGPSを頼りに目標地の法貴山城を目指して登っていくと東の堀切と下段の横堀を発見。城内数年前の台風の影響で倒木等でかなり勿体無いことになっていますが、上段の横堀は比較的綺麗に見れます。虎口付近テクニカルな遺構が残りますが倒木で写真に収めるにはなかなか難しい状態でした。 東城、上雲寺の法貴館もあわせて行かれることをお勧めします。
2022年01月22日 RED副将軍
笑路城
明智光秀による丹波攻めの関連城郭
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1430年頃に長沢正綱によって築城されたと考えられています。以降、長沢氏の居城として続くも、織田信長による丹波攻めで明智光秀の侵攻を度々受けていた様です。
明智戻り岩にて長沢重綱と明智光秀が対面し、所領を安堵されたと言われてます。以降、長沢重綱は光秀配下となり、本能寺の変でも活躍するも、山崎の戦いで討死。
見所
竪堀脇の登城路からまず初めに見えるのが城域東側の大堀切で、西へ尾根を進むと、標高414mの松尾山山頂の主郭に到達。主郭を中心として東西の尾根に5つが連なります。
主郭には東西に分断する石塁、櫓台、桝形虎口が確認できます。
二郭の東、南側面には石積みが残ります。いわゆる上部のみの鉢巻石垣です。
西側にも土橋が付いた堀切がありますが浅めで、その先に段郭が連なります。
2021年04月29日 HS兵部大輔
笑路城
光秀関連ということで昨年秋に訪問しましたが 前回獣柵が固く閉まっていたため泣く泣く断念。今回は満を持して登城! 大堀切やうすく残る石垣、土塁などがありますが 全体的にはやや拍子抜けする城跡でした。そこまで凝った作りじゃないので簡単に落とされた気がします。
2020年03月14日 課長大和守Ver.B
明智戻り岩[笑路城 寺社・史跡]
中国攻めに向かっていた明智軍が本能寺へ進路を向けた歴史的分岐点という伝承地ですが異説もあるようです。
訪問時は遊歩道設置工事が行われていたので今現在は綺麗に整備されていると思います。
笑路城が明智方の改修の痕跡有りとのことでこちらへ投稿しましたが…(笑)
2019年07月24日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
笑路城
亀岡市内から笑路城付近に向かう途中で災害復旧の工事が3箇所でやっていて片側交互通行になっています。工事は、来月いっぱいかかるみたいです。
2012年08月01日 ポリタンク大和守
笑路城
『図説中世城郭事典』で指摘されていますが、虎口の構造が周山城とそっくりです。言われてみれば須知城の西側と縄張が似ているかなとも思いますので、明智方の手が加わっているかもという見解に賛同です。
読み方は地名と同じなら「わろうじ」です。
http://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=26&city=1262060&id=104176
別称は各種書籍で「松尾城」等と書かれています。
2012年04月10日 加賀美 摂津守遠光
笑路城
補足、櫓跡、井戸跡も有ります。
2012年04月10日 加賀美 摂津守遠光
笑路城
城主、長沢氏
天守台跡
北石垣
亀岡盆地から摂津へ通じる摂丹街道の東側にあたる。
『長沢陽四郎家文書』『丹東城塁記』『桑下漫録』では「松尾ノ城」「松尾山堡址」「松尾山古城」とそれぞれ記しており、近世期は松尾山城と呼称されていた。
これらの記録類は領主である長沢氏の城郭と伝えている。
1977年(昭和52)、山頂部分の特別高圧送電線鉄塔建設に伴って、亀岡市教育委員会によって主要部の発掘調査が行われた。