土浦城(つちうらじょう)

土浦城の基本情報

通称・別名

亀城

所在地

茨城県土浦市中央1-13

旧国名

常陸国

分類・構造

輪郭式平城

天守構造

築城主

若泉三郎

築城年

永享年間(1429〜1441)

主な改修者

松平信一、信吉、西尾忠照、朽木稙綱、種昌

主な城主

若泉氏、小田氏、松平氏、西尾氏、朽木氏、土屋氏

廃城年

明治6年(1873)

遺構

太鼓櫓門、曲輪、土塁、堀

指定文化財

県史跡(土浦城跡及び櫓門)

再建造物

東櫓、西櫓、石碑、説明板

周辺の城

木田余城(茨城県土浦市)[1.6km]
戸崎城(茨城県かすみがうら市)[6.8km]
塙城(茨城県稲敷郡)[10.3km]
小田城(茨城県つくば市)[10.7km]
木原城(茨城県稲敷郡)[10.9km]

土浦城の解説文

土浦城(つちうらじょう)は、常陸国新治郡(現:茨城県土浦市)にあった日本の城。室町時代に築かれ、江戸時代に段階的に増改築されて形を整えた。幅の広い二重の堀で守る平城である。天守は作られなかった。太鼓櫓門が現存し、東西二か所の櫓が復元されている。土浦は度々水害に遭っているが、その際にも水没することがなく、水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたことから亀城(きじょう)の異名を持つ。茨城県指定史跡第1号。

概要
平安時代、天慶年間(938年~947年)に平将門が砦を築いたという伝説があるが、文献上確かなのは室町時代、永享年間(1429年~1441年)に常陸守護、八田知家の後裔、豪族の小田氏に属する若泉(今泉)三郎が築城したのが最初である。戦国時代に入り永正13年(1516年)、若泉五郎左衛門が城主の時、小田氏の部将・菅谷勝貞によって城は奪われ、一時、信太範貞が城主を務め、後に菅谷勝貞の居城となる。しかし、小田氏は上杉・佐竹勢に徐々に圧迫され、小田氏治は小田城を逃れて土浦城に入った。その後、度々小田城を奪回するが永禄12年(1569年)の手這坂の戦いで真壁軍に大敗して勢力を失い、元亀元年(1570年)以降は佐竹氏の攻撃を直接受けるようになり、菅谷政貞・範政親子も主君小田氏を補佐したが、天正13年(1583年)、ついに小田氏治は佐竹氏の軍門に降る。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際に菅谷範政は後北条氏と結んだため佐竹氏や徳川家康の軍勢に攻められ、主君小田氏とともに滅亡した。

関東に入った徳川家康は、土浦を次男で結城氏に養子入りした結城秀康に与え、土浦城を領内の支城とする。秀康が越前国北ノ庄に移ると、藤井松平家の松平信一が3万5千石で入封。その後松平信吉の代に5千石の加増を受ける。元和3年(1617年)、信吉が上野国高崎に転封となって西尾忠永が2万石で入封。以後、城主は西尾氏・朽木氏と代わり、寛文9年(1669年)、土屋数直が4万5千石で入封。土屋氏は、天和2年(1682年)、子の政直のとき天和2年(1682年)駿河国田中に移ったが、代わって城主となった大河内松平家の松平信興が5年後の貞享4年(1687年)に大坂城代に転ずると、土屋政直が再び6万5千石で入封。その後三度の加増を受けて9万5千石となり、常陸国では水戸藩に次いで大きな領地を支配し、以後土屋氏が11代、約200年間世襲して明治維新に至った。

歴史・沿革
室町時代以前
平安時代、天慶年間(938~47)に平将門が砦を築いたという伝説があるが、文献上確かではない。

室町時代から安土桃山時代
文献上確かなのは室町時代、永享年間(1429~1441)に常陸守護、八田知家の後裔、豪族の小田氏に属する若泉三郎が築いたのが初めてである。 永正13年(1516年)に小田氏の部将・菅谷勝貞が若泉五郎右衛門を滅ぼし、その家臣(菅谷某または信太範貞)が城に入った。後、菅谷氏が勝貞、政貞、範政の三代にわたって土浦城を守った。戦国時代に佐竹氏が勢力を広げると、佐竹によって本拠の小田城を追われた小田守治が入城した。

戦国時代が終わると、土浦は結城城の結城秀康のものになり、小田氏はその家臣になった。代わって多賀谷村広が城代を務める。慶長6年(1601年)に秀康が越前国に転封になると、藤井松平氏の松平信一が土浦城に入った。信一と子の信吉が、現在の城のおよその形を作ったと考えられている。

昭和61年(1986年)の発掘調査で、戦国時代に本丸で大きな火災があったことが判明した。対応する文献が発見されていないので時期や原因を知ることは今のところできない。

江戸時代
元和3年(1617年)に松平信吉が上野国の高崎に転じると、土浦には西尾忠永が入った。忠永の子忠照は元和6年(1620年)から7年かけて西櫓と東櫓を作らせ、元和8年(1622年)には本丸の正門を櫓門に改めた。これにより本丸は水堀と柵つきの土塁、三つの櫓で守られるようになった。 慶安2年(1649年)に西尾忠照は駿河国の田中に移った。かわって朽木稙綱が城主となり、明暦2年(1656年)に櫓門を現在ある形の太鼓櫓門に改築した。万治元年(1658年)に、英庫と焔硝倉を建造した。万治元年、搦め手門、外記門を瓦葺きにした。朽木種昌の代に、土塁上の塀をすべて瓦葺に改めた。
...

土浦城の口コミ情報

殺三千世界鴉⚡️晋作様[2017年02月23日]
紀貞頼の家系から出た信太氏と菅谷氏は、ともに小田城の小田氏に仕えた。
その信太氏滅亡には諸説ある。

1.天文23年、信太範宗は菅谷左衛門尉に誘殺された。

2.「菅谷伝記」では、信太範宗が小田氏治と不和になったことで木田余城に籠って出仕しなくなった。
氏治は激怒して範宗を討とうとしたが、菅谷政貞に一任。政貞は自らも氏治に無礼を働いて蟄居を命じられる。
こうして氏治に不満を持つ者同士となった政貞は、範宗に接近して謀叛を持ちかける。意気投合した範宗は中根主膳邸にて月見の宴と称して謀叛計画を密議。
その酒席の油断を突いた政貞は範宗を殺害し、木田余城も攻略したとする。

3、「土浦記」では政貞を勝貞とし、範宗は勝貞の伯父という設定になっている。
二人は不仲で、勝貞が氏治に「範宗が北条氏直に内通している」と讒言したため、土浦城に謀殺したとある。

4、「烟田日記」に「永禄十三年正月、氏治は木田余城主信田某を土浦で殺害し、木田余城に入った」とある。

土浦城西櫓脇に残る信太範宗供養塔(写真①)は、上記3及び4の説にもある土浦で殺害したという挿話に基づくものであろう。

大宰大弐道灌♪ヽ(´▽`)/様[2015年09月16日]
最初に駐車場探しに手間取りましたが、博物館の駐車場を利用するのが原則のようです…(^^;

博物館を見学した後にそのまま城址公園を見学出来るので、土浦城址公園付近を散策するのにも丁度良いかも知れませんね♪(^^)

弟謙様[2015年01月04日]
とても見応えのある城址でした。猿もいます‼️

尾張守ひろっちぃ様[2014年05月02日]
土浦市立博物館にて2014年3月21〜5月6日まで幕末動乱−開国から攘夷へ開催中です

野舘宮内少輔サラマンダー様[2013年11月14日]
2013年11月13日13時20分(70分)

土浦市立博物館の第二駐車場に停めました
第一駐車場もそうですが、博物館利用の方用なので、お金では出られないので注意です
博物館を利用すれば駐車チケットを貰えます
博物館は105円です
土浦城の事も大きく取り上げているので、見る価値は十分にあると思います
また、博物館利用の方は東櫓に入る事が出来ます
因みに当日茨城県民の日で無料でした

市役所出た目の前が本丸です
堀を渡って西櫓があり、東側にはちょっと大きい東櫓と塀、櫓門が見えます
幅50m、長さ100m位でしょうか
その外側に水堀があり、土塁が本丸を守っている感じです
本丸に入るルートは3つありますが、本来は門がある2箇所だけのようです
あと櫓門近くの二ノ丸の所にも前川口門という門があります
コンパクトでしたが見応えある城でした

兵庫允萌芽@秀忠隊!様[2013年03月26日]
本丸・二ノ丸周辺が公園になっています。すぐそばに土浦市立博物館があるので併せて見ると楽しいかも知れないです。
桜が綺麗でした! のどかな場所です♪

雪之丞様[2012年05月03日]
震災時の壁の崩落等の補修工事が遅れており、完了は6月ごろになるとのこと。頑張って復旧してください。

サムライ大膳大夫はる様[2011年09月28日]
東櫓・西櫓共に震災直後に白漆喰壁は剥がれ落ちましたが現在も状態は変わっておらず
土浦城唯一の現存建造物、櫓門は瓦落下の危険性がある為、門のくぐり抜けが出来ない状況です。
土浦藩校・郁文館正門がある土浦一中までは土浦城址から徒歩約5分で行けます

伏龍鳳雛SAS様[2011年06月21日]
櫓が震災の影響で壁が崩れてます

土浦城の周辺観光情報

亀城公園

江戸時代に築かれた土浦城のうち、本丸・二の丸跡にあたる部分が公園として整備されました。櫓門は、現存する櫓門としては関東地方唯一のもので、公園の象徴になっています。

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小町の館

平安時代の六歌仙の一人で、絶世の美女とうたわれた小野小町がこの地に残した伝説を広めようとして造られました。小町の館には展示室、囲炉裏の間、ふれあいホール、そば処小町庵などがあります。

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霞ヶ浦総合公園

数多くの施設を備えた、緑と太陽があふれるスポーツ・レクリエーション公園です。

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土浦まちかど「蔵」

土浦まちかど蔵「大徳」・「野村」は、江戸時代より土浦の商業の中心地として栄えた中城通りに位置し、旧水戸街道の宿場町として発展しました。

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情報提供:土浦市商工観光課
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