土浦城(つちうらじょう)

土浦城の基本情報

通称・別名

亀城

所在地

茨城県土浦市中央1-13

旧国名

常陸国

分類・構造

輪郭式平城

天守構造

築城主

若泉三郎

築城年

永享年間(1429〜1441)

主な改修者

松平信一、信吉、西尾忠照、朽木稙綱、種昌

主な城主

若泉氏、小田氏、松平氏、西尾氏、朽木氏、土屋氏

廃城年

明治6年(1873)

遺構

太鼓櫓門、曲輪、土塁、堀

指定文化財

県史跡(土浦城跡及び櫓門)

再建造物

東櫓、西櫓、石碑、説明板

周辺の城

木田余城(茨城県土浦市)[1.6km]
塙城(茨城県稲敷郡)[10.3km]
小田城(茨城県つくば市)[10.7km]
木原城(茨城県稲敷郡)[10.9km]
宍倉城(茨城県かすみがうら市)[12.4km]
志筑城(茨城県かすみがうら市)[12.4km]
谷田部城(茨城県つくば市)[12.5km]
石岡城(茨城県石岡市)[12.9km]
府中城(茨城県石岡市)[13.1km]
小坂城(茨城県牛久市)[13.2km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)113 土浦城

設置場所

土浦城東櫓[地図
まちかど蔵大徳(博物館休館日のみ)[地図

土浦城の解説文



土浦城(つちうらじょう)は、常陸国新治郡(現:茨城県土浦市)にあった日本の城。室町時代に築かれ、江戸時代に段階的に増改築されて形を整えた。幅の広い二重の堀で守る平城である。天守は作られなかった。太鼓櫓門が現存し、東西二か所の櫓が復元されている。土浦は度々水害に遭っているが、その際にも水没することがなく、水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたことから亀城(きじょう)の異名を持つ。茨城県指定史跡第1号。

概要 

平安時代、天慶年間(938年から947年)に平将門が砦を築いたという伝説があるが、文献上確かなのは室町時代の永享年間(1429年から1441年)に常陸守護であった八田知家の後裔で豪族の小田氏に属する若泉(今泉)三郎が築城したのが最初である。戦国時代に入り、永正13年(1516年)、若泉五郎左衛門が城主の時に小田氏の部将・菅谷勝貞によって城は奪われ、一時は信太範貞が城主を務め、後に菅谷勝貞の居城となる。しかし、小田氏は上杉・佐竹勢に徐々に圧迫され、小田氏治は小田城を逃れて土浦城に入った。その後、度々小田城を奪回するが、永禄12年(1569年)の手這坂の戦いで真壁軍に大敗して勢力を失い、元亀元年(1570年)以降は佐竹氏の攻撃を直接受けるようになり、菅谷政貞・範政親子も主君小田氏を補佐したが、天正13年(1583年)に小田氏治は佐竹氏の軍門に降る。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際に菅谷範政は後北条氏と結んだため佐竹氏や徳川家康の軍勢に攻められ、主君小田氏とともに滅亡した。

関東に入った徳川家康は、土浦を次男で結城氏に養子入りした結城秀康に与え、土浦城を領内の支城とする。秀康が越前国北ノ庄に移ると、藤井松平家の松平信一が3万5千石で入封した。その後、松平信吉の代に5千石の加増を受ける。元和3年(1617年)、信吉が上野国高崎に転封となって西尾忠永が2万石で入封した。以後、城主は西尾家・朽木家と代わり、寛文9年(1669年)には土屋数直が4万5千石で入封した。土屋家は、天和2年(1682年)に政直のときにに駿河国田中に移ったが、代わって城主となった大河内松平家の松平信興が5年後の貞享4年(1687年)に大坂城代に転ずると、土屋政直が再び6万5千石で入封した。その後、3度の加増を受けて9万5千石となり、常陸国では水戸藩に次いで大きな領地を支配し、以後土屋家が11代(約200年間)にわたって世襲して明治維新に至った。

歴史・沿革 

室町時代以前

平安時代、天慶年間(938年から947年)に平将門が砦を築いたという伝説があるが、文献上は確かではない。

室町時代から安土桃山時代

文献上確かなのは室町時代、永享年間(1429年から1441年)に常陸守護、八田知家の後裔、豪族の小田氏に属する若泉三郎が築いたのが初めてである。永正13年(1516年)に小田氏の部将・菅谷勝貞が若泉五郎右衛門を滅ぼし、その家臣(菅谷某または信太範貞)が城に入った。その後、菅谷氏が勝貞、政貞、範政の三代にわたって土浦城を守った。戦国時代に佐竹氏が勢力を広げると、佐竹によって本拠の小田城を追われた小田守治が入城した。

戦国時代が終わると、土浦は結城城の結城秀康のものになり、小田氏はその家臣になった。代わって多賀谷政広が城代を務める。慶長6年(1601年)に秀康が越前国に転封になると、藤井松平氏の松平信一が土浦城に入った。信一と子の信吉が、現在の城のおよその形を作ったと考えられている。

昭和61年(1986年)の発掘調査で、戦国時代に本丸で大きな火災があったことが判明した。対応する文献が発見されていないので時期や原因を知ることは今のところできない。

江戸時代

元和3年(1617年)に松平信吉が上野国の高崎に転じると、土浦には西尾忠永が入った。忠永の子忠照は元和6年(1620年)から7年かけて西櫓と東櫓を作らせ、元和8年(1622年)には本丸の正門を櫓門に改めた。これにより本丸は水堀と柵つきの土塁、三つの櫓で守られるようになった。

慶安2年(1649年)に西尾忠照は駿河国の田中に移った。かわって朽木稙綱が城主となり、明暦2年(1656年)に櫓門を現在ある形の太鼓櫓門に改築した。万治元年(1658年)には英庫と焔硝倉を建造した。万治元年には搦め手門と外記門を瓦葺きにした。朽木種昌の代において、土塁上の塀をすべて瓦葺に改めた。

寛文9年(1669年)に土屋数直が入った。土屋家は元来武田家の家臣で、武田家の滅亡後家康に仕え、数直の代に大名になった。後述の松平信興の時代を除いて、これ以後江戸時代を通じて土浦城の主は土屋家であった。延宝6年(1678年)に二の丸に米倉が建てられた。

松平信興時代の貞享2年(1684年)には大改修が実施され、松平家臣・山本菅助(4代、晴方)が奉行を務めた。菅助晴方は戦国期の甲斐武田家の家臣山本菅助(勘助)の子孫で、大手口・搦手口は武田流の築城術により普請している[1]

天和2年(1682年)から貞享4年(1687年)までは、松平信興が城主であった。信興は貞享2年(1685年)に兵庫口と不破口を作り、門を建てた。また、本丸の霞門を改築し、翌年にかけて水戸口の虎口を改良して二重丸馬出虎口とした。

近現代

廃藩置県の2年後、1873年(明治6年)1月に、太政官符令第84号で土浦城は廃止された。本丸御殿は新治県の県庁、後に新治郡の郡役所として使われた。本丸の他の建造物もほとんど残されたが、土塁上の塀は取り壊された。二の丸以下の建物は外丸御殿を除いて取り壊され、堀が埋められた。

1884年(明治17年)に火災で本丸御殿が失われた。このとき損傷した本丸東櫓と鐘楼が撤去された。11月に郡役所の建物が御殿跡に建てられた。1899年(明治32年)に本丸と二の丸南側が亀城公園になった。

1949年(昭和24年)、キティ台風の被害を受けた西櫓は、1950年(昭和25年)、復元するという条件つきで解体された。解体時の復元予定は長く実現しなかったが、1992年(平成4年)に保管されていた部材を用いて復元された。

1998年(平成10年)には東櫓が土浦市立博物館の付属展示館として復元された。

2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響を受け、太鼓櫓門、東櫓、西櫓とすべての建造物が破損した。とくに東櫓、西櫓は白壁の欠落など大きく破損し、東櫓展示館も閉館を余儀なくされた。

2012年(平成24年)6月22日までに、櫓門、東櫓、西櫓、土塀などの修復工事が終了。同30日から順次、一般公開が再開された。

2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(113番)に選定された。

城主一覧 

  • 若泉三郎(永享年間 - 不明)
(この間不明)
  • 若泉五郎右衛門(不明 - 永正13年)
  • 菅谷某、あるいは信太範貞(永正13年 - 不明)
(この間不明)
  • 菅谷勝貞(不明)
  • 菅谷政貞(不明)
  • 菅谷範政(不明)
  • 結城秀康(天正18年 - 慶長6年)[2]
  • 松平信一(慶長6年 - 慶長9年)
  • 松平信吉(慶長9年 - 元和3年)
  • 西尾忠永(元和3年 - 元和6年)
  • 西尾忠照(元和6年 - 慶安2年)
  • 朽木稙綱(慶安2年 - 寛文元年)
  • 朽木種昌(寛文元年 - 寛文9年)
  • 土屋数直(寛文9年 - 延宝7年)
  • 土屋政直(延宝7年 - 天和2年)
  • 松平信興(天和2年 - 貞享4年)
  • 土屋政直(貞享4年 - 享保4年)
  • 土屋陳直(享保4年 - 享保19年)
  • 土屋篤直(享保19年 - 安永5年)
  • 土屋寿直(安永5年 - 安永6年)
  • 土屋泰直(安永6年 - 寛政2年)
  • 土屋英直(寛政2年 - 享和5年)
  • 土屋寛直(享和5年 - 文化8年)
  • 土屋彦直(文化8年 - 天保9年)
  • 土屋寅直(天保9年 - 慶応4年)
  • 土屋挙直(慶応4年 - 明治2年)

構造 

本丸

本丸はやや東西に長い長方形である。周囲に水をたたえた堀をめぐらせ、堀に接する内側に土塁をめぐらせ、土塁の上に塀を建てた。出入りには南に二階建ての太鼓櫓門、北東に霞門を設けた。東西に櫓を築いた。土塁上部までの規模は約95メートル×約55メートル、土塁敷まで含めた規模は101メートル×64メートル、水堀まで含めると約118メートル×82メートルである。ただし、かつて防衛のため屈曲していた堀・土塁線は現在では直線となっている。

江戸時代には、本丸御殿、西櫓、東櫓、櫓門、霞門、鐘楼等の施設があった。現在も存在する建造物は、櫓門(県指定文化財)と霞門(市指定文化財)があり、茨城県で唯一、江戸時代からの現存建物遺構の存在する城となっている。櫓門は、かつてハトのフンが屋根に積もりすぎて、傾いていたという変わった経歴をもつ。また、西櫓、東櫓が復元されている。

明治に入り、本丸御殿は郡役所として使用されていたが、火災により消失。その後も本丸は郡役所の敷地として使われていたが、1926年(昭和元年)に郡役所が廃止となり、1932年(昭和7年)に建物を移築した。移築後、本丸は整地されて広場になった。

二の丸

東南側には米蔵や厩、南西側には仕切門や馬場、北西側には兵庫門や武具蔵、北東側の亀井郭には長屋や楯蔵、稲荷などがあった。明治維新後に、これらの建物は取壊しや払下げにより姿を消した。

東南側、南西側は1899年(明治32年)に亀城公園となり、北西側には憲兵隊土浦支所とその馬屋が建った。戦後憲兵隊土浦支所には、土浦市郷土資料館が入り、1988年(昭和63年)には土浦市立博物館が建てられた。二ノ門があったところには、旧前川口門が移築されている。二の丸土浦市立博物館の敷地との間に堀があるが、これは後に作られたもので、江戸時代には存在しなかった。

西側の本丸寄りにはミニ動物園として、2匹の日本猿(オスのリョウタとメスのスミレ)が飼われている[3][4]

三の丸

本丸の北西側の郭が三の丸で、乾郭とも呼ばれた。炎硝蔵が設置された時期もあるが、空間地として利用が主であった。国道や都市計画道路の整備により、往時の地形をほとんど留めていない。

外丸

巽郭の一部で、17世紀後半に造られた。外丸御殿が置かれ、明治維新後は新治郡裁判所として使われた。1905年(明治38年)に放火によって外丸御殿は焼失し、その他はすべて廃城のときに取り壊されてなくなり、往時をしのばせるものはない。現在は、水戸地方裁判所土浦支部となっている。

なお、外丸前の道は、市の歴史の小径整備事業によって、修景整備及び「外丸通り」の命名がされている。

その他

藩校郁文館の正門が土浦市立土浦第一中学校に現存している。他に移築現存するものは、すべて個人所有であるが、つくば市妻木には(伝)奥御殿赤門が、土浦市上坂田には(伝)西門の一部が、土浦市木田余にはどこの城門か明らかではないが高麗門形式の門が現存している。

交通アクセス 

  • 東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線土浦駅西口(亀城公園口)より徒歩15分、もしくはバスで亀城公園前停留所下車。

参考文献 

  • 土浦市遺跡調査会編『土浦城二の丸・本丸試掘調査 発掘調査報告書』、1998年。
  • 土浦城跡調査会『史跡 土浦城跡 茨城県指定史跡土浦城跡の整備に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書』(http://sitereports.nabunken.go.jp/10378)土浦市教育委員会、2002年。

土浦城の口コミ情報

2022年04月30日 陸奥守たろす
第2駐車場[土浦城  駐車場]

利用時間午前9時からとありましたが、試しに8:30に行ったらバーが上がり駐車でき、博物館開館前からお城散策できました♪

2022年04月24日 モコみち
土浦城



資料館入口付近にバイクと自転車の無料駐輪場あります。土浦城と名前はあり、再建された櫓はあれど、地元の子供達が遊ぶ普通の公園です。地元の子供達が西櫓に土や石を投げて遊んでる姿や、中学生5人くらいでスマホゲームして遊んでる姿が多々見られ、地元民の幸せな時間を過ごしてる場所でした。お城を楽しむというより、続100名城のスタンプ押して、地元の方々の邪魔をしない様に一応見学し、気が済んだら帰りましょう。

2022年04月10日 マグロ右近衛少将祐平
土浦城



櫓、水堀、城門などこれぞ江戸時代の城郭といった感じです。隣接する土浦歴史博物館は現在、八田知家と名門常陸小田氏の特別展が開催中で八田知家から江戸時代の子孫まで内容の濃い展示でした。大河の影響で賑わっていました。近くの浄真寺には松平家の菩提寺で葵の紋が入った供養塔があります。

2022年03月20日 kazuyou大蔵大輔
土浦城



かつては、幾重にも水堀に囲まれていた城も、今は、本丸と二の丸にあるのみですが、街中を歩くと、大手門跡や北門、南門、搦手門等の跡や、屈曲した道に城の面影が残ります。また、市内にあるお寺などに、土塁が残っていますので、散策が楽しいです。隣接している土浦歴史博物館に沢山の資料や、御城印もありますので、ぜひ、立ち寄ってほしいと思います。博物館に駐車場🅿もあります(入館105円で🅿チケットもらえます)トイレ🚻は亀城公園にもあります。東櫓は、博物館のチケットで見学できます。県指定文化財の太鼓櫓門は必見です

2021年10月23日 無限織部正武威鉄駆
土浦城

100名城スタンプは2021年10月現在。コロナの関係で土浦市立博物館入り口横に設置されています。館内には精巧な土浦城の模型がありますので探索の前に是非!

2021年09月22日 さすらいライダー
土浦城

土浦の街の中、亀城公園の中にありました。堀と石垣はきれいに整備されており、こじんまりした印象でした。

2021年04月25日 ジョウ肥後守
土浦城

駐車場の入口が分かりづらかったが、博物館では2種類の御城印を販売中です!

2021年04月11日 龍馬備中守【】
高井城[土浦城  周辺城郭]



茨城県の土浦市にある高井城☆ 南北朝時代の城郭です♪高さ1mに満たない可愛い土塁が残されています☆

高井城は南北朝時代、高師冬によって攻め落とされました☆高師冬は守護大名で関東執事、武蔵・伊賀守護です☆

現在の八坂神社から土浦市立下高津小学校あたりまでが城域であったと推測されてます☆
遺構は道路整備、宅地開発によって大きく削られてしまっていてよく分からなくなっています。

2021年03月28日 Taka刑部卿rich
土浦城



意外とこじんまりとしたお城でした。桜も咲いていましたがそんなにも本数はなくて。皆さん、ルールを守り春を楽しんでいる人達が多かったです。

2020年11月24日 "陸中守"小野の妹の子
神龍寺[土浦城  寺社・史跡]

小田家の家臣菅谷(すがのや)氏の菩提寺です。

2020年09月22日 生駒長門守江現蔵
土浦城



太鼓櫓門が関東で唯一の現存です。
東西二か所の櫓が復元されていて、博物館と東櫓の共通券は105円です。
共通券の購入で、博物館駐車場の券をもらえて無料になります。
博物館の展示も多く、亀城公園には猿がいます。

2020年08月15日 zenちゃん
土浦城



現在、コロナの関係で続100スタンプは博物館入口に変更設置されています。

2020年06月17日 大中臣上総介能宣朝臣
土浦城



コロナ禍で閉館していた土浦市立博物館が再開され、新たに販売された御城印を買い求めることができました。亀城の別名入りで、堂々たるものです。

2019年11月30日 まさある甲斐守
土浦城東櫓[土浦城  スタンプ]

東櫓1階受付に続100名城スタンプ有り。
東櫓内見学は大人100円になります。

2019年11月30日 まさある甲斐守
第2駐車場[土浦城  駐車場]

開門時間9:00〜17:00。無料ですが、博物館、亀城プラザなどで駐車券を貰って来る必要が有ります。

2019年05月11日 織田上総介晃司
土浦城

土浦市立博物館の駐車場に停めることができます。9:00から利用開始なのですが朝駆けした時、遮断バーが上がっていたので停めさせてもらいました。本丸の櫓門が現存。東櫓と西櫓が復元。二の丸に旧前川口門があります。

2019年05月05日 さと上総介けんさん
多機能トイレ[土浦城  トイレ]

オストメイト(Ostomate)とは、癌や事故などにより消化管や尿管が損なわれたため、腹部などに排泄のための開口部(ストーマ(人工肛門・人工膀胱))を造設した人のことをいう。 単に人工肛門保有者・人工膀胱保有者とも呼ぶ。

2019年05月05日 さと上総介けんさん
旧前川口門[土浦城  遺構・復元物]

この門は、親柱の背面に控え柱を立て、屋根をかけた高麗門である。高麗門は城郭門として建てられた形式の1つで、この門も、武家屋敷であった長廓と町屋の間を仕切る「前川口門」であったと言われている。

2019年05月05日 さと上総介けんさん
西櫓[土浦城  遺構・復元物]



昭和24年のキティ台風で小破し昭和25年に復元を前提として解体されました。その後復元を見ずに今日に至り礎石のみでしたが、平成4年に市民の浄財をもとに復元されました。

2018年08月26日 京急渡島守ドレミファ♫
土浦城

【アクセス】
土浦駅から徒歩10数分ですが、バスもあります。
105円の入館料(博物館・東櫓の両方に入れる)で、博物館の駐車場が利用可。

【スタンプ】
東櫓が昼休みで閉まっていたので、博物館受付にて押印。
置いただけで押印され、位置決めが難しいので、シャチハタタイプにして欲しいところです。

【見どころ】
現存の櫓門、復元の2つの櫓(東櫓のみ内部公開)ぐらいでしょうか。
せっかくの土造りの城なのに、土塁の下部を近代的な石垣で補強(?)しており、また木がジャマで櫓を外から撮影できず、お猿さんもぐったりしており、いろいろ残念なお城と言わざるを得ません。

【その他】
城下町には大手門、搦手門等、ステキな門跡のクランクが残っており、見逃せません!

2018年05月07日 右京大夫梨花子
土浦城

ガイドブックではスタンプ設置場所東櫓となっていますが、残念ながら月曜日は閉まっています。
そんな時は街並みを散策しながら、観光案内所兼お土産屋さんのような「土浦まちかど蔵大徳」へ。
ここでも続百名城のスタンプが押せます。
(月曜も開いてます)

要望が多く、最近スタンプ設置したのとこと。マンホールカードもありました。

2018年04月15日 裕太左近衛大将
土浦城

東櫓にスタンプあります。
16時過ぎに行った際、前にいた方に、
誰も来ないから閉めようかな。って思ってたよ。
と、受付のおじさん

とても優しいおじさんで、冗談だと思いますが、早めに閉まっちゃうかもしれないので、ギリギリには行かない方が良いかと。

城跡は小さな公園でしたので、30分あれば廻れちゃいます。
東櫓は見学できますが
西櫓は閉鎖されてました。

おサルさんが2匹公園内で飼われていました。

2017年02月23日 蓬左の武将下総守⚡️晋作
土浦城

紀貞頼の家系から出た信太氏と菅谷氏は、ともに小田城の小田氏に仕えた。
その信太氏滅亡には諸説ある。

1.天文23年、信太範宗は菅谷左衛門尉に誘殺された。

2.「菅谷伝記」では、信太範宗が小田氏治と不和になったことで木田余城に籠って出仕しなくなった。
氏治は激怒して範宗を討とうとしたが、菅谷政貞に一任。政貞は自らも氏治に無礼を働いて蟄居を命じられる。
こうして氏治に不満を持つ者同士となった政貞は、範宗に接近して謀叛を持ちかける。意気投合した範宗は中根主膳邸にて月見の宴と称して謀叛計画を密議。
その酒席の油断を突いた政貞は範宗を殺害し、木田余城も攻略したとする。

3、「土浦記」では政貞を勝貞とし、範宗は勝貞の伯父という設定になっている。
二人は不仲で、勝貞が氏治に「範宗が北条氏直に内通している」と讒言したため、土浦城に謀殺したとある。

4、「烟田日記」に「永禄十三年正月、氏治は木田余城主信田某を土浦で殺害し、木田余城に入った」とある。

土浦城西櫓脇に残る信太範宗供養塔(写真①)は、上記3及び4の説にもある土浦で殺害したという挿話に基づくものであろう。

2015年09月16日 大宰大弐道灌?!
土浦城

最初に駐車場探しに手間取りましたが、博物館の駐車場を利用するのが原則のようです…(^^;

博物館を見学した後にそのまま城址公園を見学出来るので、土浦城址公園付近を散策するのにも丁度良いかも知れませんね♪(^^)

2015年01月04日 弟謙
土浦城

とても見応えのある城址でした。猿もいます‼️

2014年05月02日 尾張守ひろっちぃ
土浦城

土浦市立博物館にて2014年3月21〜5月6日まで幕末動乱−開国から攘夷へ開催中です

2013年11月14日 野舘宮内少輔サラマンダー
土浦城

2013年11月13日13時20分(70分)

土浦市立博物館の第二駐車場に停めました
第一駐車場もそうですが、博物館利用の方用なので、お金では出られないので注意です
博物館を利用すれば駐車チケットを貰えます
博物館は105円です
土浦城の事も大きく取り上げているので、見る価値は十分にあると思います
また、博物館利用の方は東櫓に入る事が出来ます
因みに当日茨城県民の日で無料でした

市役所出た目の前が本丸です
堀を渡って西櫓があり、東側にはちょっと大きい東櫓と塀、櫓門が見えます
幅50m、長さ100m位でしょうか
その外側に水堀があり、土塁が本丸を守っている感じです
本丸に入るルートは3つありますが、本来は門がある2箇所だけのようです
あと櫓門近くの二ノ丸の所にも前川口門という門があります
コンパクトでしたが見応えある城でした

2013年03月26日 兵庫允萌芽@秀忠隊!
土浦城

本丸・二ノ丸周辺が公園になっています。すぐそばに土浦市立博物館があるので併せて見ると楽しいかも知れないです。
桜が綺麗でした! のどかな場所です♪

2012年05月03日 雪之丞
土浦城

震災時の壁の崩落等の補修工事が遅れており、完了は6月ごろになるとのこと。頑張って復旧してください。

2011年09月28日 サムライ陸前守はる
土浦城

東櫓・西櫓共に震災直後に白漆喰壁は剥がれ落ちましたが現在も状態は変わっておらず
土浦城唯一の現存建造物、櫓門は瓦落下の危険性がある為、門のくぐり抜けが出来ない状況です。
土浦藩校・郁文館正門がある土浦一中までは土浦城址から徒歩約5分で行けます

2011年06月21日 鳳雛SASlov優彩
土浦城

櫓が震災の影響で壁が崩れてます

土浦城の周辺観光情報

亀城公園

江戸時代に築かれた土浦城のうち、本丸・二の丸跡にあたる部分が公園として整備されました。櫓門は、現存する櫓門としては関東地方唯一のもので、公園の象徴になっています。

詳細はこちら

小町の館

平安時代の六歌仙の一人で、絶世の美女とうたわれた小野小町がこの地に残した伝説を広めようとして造られました。小町の館には展示室、囲炉裏の間、ふれあいホール、そば処小町庵などがあります。

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霞ヶ浦総合公園

数多くの施設を備えた、緑と太陽があふれるスポーツ・レクリエーション公園です。

詳細はこちら

土浦まちかど「蔵」

土浦まちかど蔵「大徳」・「野村」は、江戸時代より土浦の商業の中心地として栄えた中城通りに位置し、旧水戸街道の宿場町として発展しました。

詳細はこちら

情報提供:土浦市商工観光課

土浦城の周辺スポット情報

 太鼓櫓門(遺構・復元物)

 西櫓(遺構・復元物)

 旧前川口門(遺構・復元物)

 東櫓(遺構・復元物)

 霞門(遺構・復元物)

 堀跡(遺構・復元物)

 南門馬出堀跡(遺構・復元物)

 土塁跡(遺構・復元物)

 大手門跡(碑・説明板)

 本丸土塀(碑・説明板)

 土浦城跡および櫓門(碑・説明板)

 礎石と基礎地業(碑・説明板)

 南門跡(碑・説明板)

 田宿町(碑・説明板)

 外西町(碑・説明板)

 旧大手門入口(碑・説明板)

 搦手門跡(碑・説明板)

 高井城(周辺城郭)

 愛宕神社(寺社・史跡)

 等覺寺(寺社・史跡)

 中城天満宮(寺社・史跡)

 神龍寺(寺社・史跡)

 土浦城東櫓(スタンプ)

 多機能トイレ(トイレ)

 第2駐車場(駐車場)

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