宍倉城(ししくらじょう)
宍倉城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 茨城県かすみがうら市宍倉
旧国名
- 常陸国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 野田遠江守、菅谷氏、大山田刑部(佐竹氏家臣)
廃城年
- 慶長7年(1602)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 市史跡(宍倉城本丸跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
石岡城(茨城県石岡市)[8.7km]
芹沢城(茨城県行方市)[8.8km]
府中城(茨城県石岡市)[10.1km]
木田余城(茨城県土浦市)[10.8km]
木原城(茨城県稲敷郡)[11.2km]
志筑城(茨城県かすみがうら市)[12.2km]
土浦城(茨城県土浦市)[12.4km]
塙城(茨城県稲敷郡)[13.6km]
小高城(茨城県行方市)[15.7km]
小幡城(茨城県東茨城郡)[17.9km]
宍倉城の口コミ情報
2024年08月26日 マグロ常陸介祐平
宍倉城
永享年間は小田氏の家臣野田遠江守の居城でしたが、文亀年間に菅谷氏の支配となり、天正元年に佐竹氏の攻撃を受け軍門にくだり、文禄4年に佐竹氏の家臣大山田刑部が入城しますが、慶長7年の佐竹氏の秋田移封により廃城となっています。
説明板には、堀と土塁で防備をかためた「掻上げ城」とありますが、見た感じでは土塁は目立たず、自然地形を利用して堀を掘った感じがします。
本丸の入り口には土橋が架かり、幅のある堀が囲みますが、軽トラの通れる細い車道が平行しており少々分かりづらい感じです。曲輪は広さがありますが、土塁は北西の角にある神社の背後に僅かに残る程度です。
土橋から少し南には藪の中に深い堀が見られ(写真6枚目)、本丸の東側にも曲輪がある事がわかります。
先人様が城の入り口の細い道には徒歩でと口コミされていますが、読まずに車で攻城してしまい(城址入口の看板は進みたくなる)、切り返しを5~6回してようやく脱出することになりました。行かれる方は気をつけて下さい。
2023年07月23日 マグロ常陸介祐平
田伏城[宍倉城 周辺城郭]
小田氏の家臣、田伏氏のお城です。実伝寺の墓地のある小山が城址で、お墓で作業をしていた方に城について尋ねたところ、「案内してやる」と笹薮をかきわけ見張り台(主郭?)を見せて頂きました(5枚目の写真の笹薮に突入)。この年配の方は宇津木さんと名乗り、田伏氏の旧臣の子孫とのことでした。こちらの家では戦に負けたことにより、節分で豆撒きをしてはいけないとの決まりがあり、今でも守っているそうです。(食べるのはありとの事)
2022年07月11日 koba下総守
宍倉城
宍倉城本丸跡の看板があります。そこからの道路幅が狭いので徒歩です。住宅の横を約150m程歩くと土塁に囲まれた城郭に着きます。
2022年01月25日 小田下総守氏次
かすみがうら市歴史博物館[宍倉城 御城印]
建物は天守の形をしていますが城跡ではない模様。宍倉城と戸崎城の御城印があります。
2021年08月07日 ファン掃部助トム治郎
宍倉城
県道から歩いて5分くらい。空堀跡をこして土のみちを上のほうにいくと看板があります。その裏からが主郭です。畑になっています。
2015年09月22日 ペロリ常陸介
宍倉城
入口からの道は狭く、徒歩で、という事ですが
付近に駐車場等は無く、少し離れた場所に車を止めて、歩く必要があります。
今回は時間が無く、リア攻めを断念しました。
入口も気をつけないと見逃すので気をつけて。
宍倉城の周辺スポット情報
田伏城(周辺城郭)
杲泰寺(寺社・史跡)
小田孝朝供養塔(寺社・史跡)
かすみがうら市歴史博物館(御城印)
案内板(その他)