石岡城(いしおかじょう)
石岡城の基本情報
通称・別名
- 外城
所在地
- 茨城県石岡市貝地1
旧国名
- 常陸国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 大掾(馬場)資幹
築城年
- 建保2年(1214)
主な改修者
- -
主な城主
- 大掾氏、石岡某、札掛兵部之助、田島大学
廃城年
- 天正18年(1590)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
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-
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石岡城の口コミ情報
2024年12月08日 マグロ常陸介祐平
石岡城
常陸国衙の三等官である大掾を継承していた大掾資幹が、建保2年(1214年)にこの地の地頭となり築城したとされています。大掾氏15代詮国が正平元年(1346年)に府中城に移ると、石岡氏、札掛氏、田島氏などが城主を務め、小田氏の役で大掾氏が北条氏についたことにより天正18年(1590年)に廃城になっています。主郭には、岡田稲荷神社の他、札掛氏を祀る札掛神社が鎮座しています。
ハッキリとした遺構は神社裏の土塁(写真7,8枚目)と空堀(写真5,6枚目)で、土塁は2mを越え、空堀までの高低差5~6m程あり、戦国期でも十分通用する城郭だったものと思われます。また、所々に郭の外周と思われる段差(写真3,4枚目)を確認することが出来ます。
2024年12月08日 マグロ常陸介祐平
三村城[石岡城 周辺城郭]
府中城から南に約4km、府中城主大掾慶幹の次男常春が城主を務めたお城です。主郭となる三村小学校にある説明板の縄張図を見ると、かなり広範囲の城域だったようです。残念ながら遺構らしきは確認出来ませんでしたが、集落内を丁寧に探せば痕跡が見つかるかもしれません。
天正元年に、常春は兄で府中城主の大掾貞国と園部氏の小川城を攻めるも佐竹氏の援軍により大敗、三村城の守りが手薄なところを小田氏治(天庵)に攻められ、常春は自害したと伝わります。
常春のお墓は、近くの常春寺にあります。
2024年11月06日 加納遠江守
石岡城
府中城の外城は農道の傍にありますが地形を見ると周りより高台となっていて一応防御地形になってます 道が狭いので注意してください
2023年07月19日 _ClaD雅楽頭リアの季節
飯塚城[石岡城 周辺城郭]
位置は説明板を示してます。民家の方にお断りして裏山を登っていくと、立派な二重横堀があります。ただし西側は藪。
2010年06月27日 ながしの権兵衛
石岡城
所在地住所的には古館の方を指しているようにも思いますが、府中城、陣屋でもOKなのかな?