谷田部城(やたべじょう)

谷田部城の基本情報

通称・別名

岡見城、(谷田部陣屋)

所在地

茨城県つくば市谷田部(地図は陣屋跡を示す)

旧国名

常陸国

分類・構造

平城、(陣屋)

天守構造

築城主

岡見氏

築城年

平安時代後期

主な改修者

細川興昌(陣屋)

主な城主

岡見氏、多賀谷氏、細川氏

廃城年

遺構

移築玄関(谷田部公民館)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

東林寺城(茨城県牛久市)[9.3km]
豊田城(茨城県常総市)[10.5km]
牛久城(茨城県牛久市)[10.6km]
守谷城(茨城県守谷市)[11.2km]
高井城(茨城県取手市)[12.0km]

谷田部城の解説文

谷田部陣屋(やたべじんや)は常陸国筑波郡谷田部(現在:茨城県つくば市谷田部)にあった谷田部藩の藩庁である。

概要
藩祖は細川藤孝(幽斎)の次男、細川興元である。兄の細川忠興と上手くいかず、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの後に細川氏を出奔し、徳川秀忠に召し出され、慶長15年(1610年)下野国茂木藩にて1万石を与えられ諸侯に列した。

その後興元は大坂の陣にて戦功を挙げ、元和2年(1616年)常陸国内に6千2百石を加増され、元和5年(1619年)に細川興昌によって陣屋が谷田部に築かれ、茂木の陣屋から移転した。敷地面積は約6,800坪(約22,400m2)、建物は約120坪(約396m2)であった。明超寺を大手門前に移動させ、その跡に陣屋を整備した。

小藩のため宗家の熊本藩に財政面で頼らざるを得なかった。

最後の藩主である第9代細川興貫は陣屋を茂木に移し、戊辰戦争で明治政府軍として参戦している。移転後も谷田部支庁として利用され、廃藩置県後は筑波郡役所となった。

遺構
陣屋址は谷田部小学校の敷地となり、遺構としては御殿玄関が公民館玄関として小学校前に移築されている。改修が多く施されているものの、細川氏の九曜紋が屋根に残されている。また、陣屋門が市内北中妻の民家に移築されている。

交通
首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスみどりの駅より、牛久駅行き路線バス乗車、「谷田部中央」下車、徒歩5分。

遺構
川嶋健 『常総の道しるべと渡船場 布施街道・筑波街道・諏訪道・船戸道の復元』 川嶋健、2017年6月10日、286頁。
『茨城県の歴史散歩』 茨城県地域史研究会 編、山川出版社〈歴史散歩⑧〉、2006年1月25日、285頁。ISBN 4-634-24608-2。

谷田部城の口コミ情報

蒲生右衛門督郷信様[2015年11月25日]
城址自体は小学校になっていて遺構はありませんが、御殿の玄関が谷田部公民館の玄関として残っており九曜紋も拝めます。

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