谷田部城(やたべじょう)
谷田部城の基本情報
通称・別名
- 岡見城、(谷田部陣屋)
所在地
- 茨城県つくば市谷田部(地図は陣屋跡を示す)
旧国名
- 常陸国
分類・構造
- 平城、(陣屋)
天守構造
- -
築城主
- 岡見氏
築城年
- 平安時代後期
主な改修者
- 細川興昌(陣屋)
主な城主
- 岡見氏、多賀谷氏、細川氏
廃城年
- -
遺構
- 移築玄関(谷田部公民館)
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
東林寺城(茨城県牛久市)[9.3km]
豊田城(茨城県常総市)[10.4km]
牛久城(茨城県牛久市)[10.6km]
守谷城(茨城県守谷市)[11.3km]
高井城(茨城県取手市)[12.0km]
土浦城(茨城県土浦市)[12.5km]
小田城(茨城県つくば市)[13.3km]
小坂城(茨城県牛久市)[13.5km]
古間木城(茨城県常総市)[13.7km]
木田余城(茨城県土浦市)[14.1km]
谷田部城の解説文
[引用元:Wikipedia「谷田部城」の項目]
谷田部陣屋(やたべじんや)は、常陸国筑波郡谷田部(現在:茨城県つくば市谷田部)にあった谷田部藩の陣屋で藩庁である。
概要
藩祖は細川藤孝(幽斎)の次男、細川興元である。兄の細川忠興と上手くいかず、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの後に細川氏を出奔し、徳川秀忠に召し出され、慶長15年(1610年)下野国茂木藩にて1万石を与えられ諸侯に列した。
その後興元は大坂の陣にて戦功を挙げ、元和2年(1616年)常陸国内に6千2百石を加増され、元和5年(1619年)に細川興昌によって陣屋が谷田部に築かれ、茂木の陣屋から移転した。敷地面積は約6,800坪(約22,400m2)、建物は約120坪(約396m2)であった。明超寺を大手門前に移動させ、その跡に陣屋を整備した。
小藩のため宗家の熊本藩に財政面で頼らざるを得なかった。
最後の藩主である第9代細川興貫は陣屋を茂木に移し、戊辰戦争で明治政府軍として参戦している。移転後も谷田部支庁として利用され、廃藩置県後は筑波郡役所となった。
遺構
陣屋址は谷田部小学校の敷地となり、遺構としては御殿玄関が公民館玄関として小学校前に移築されている。改修が多く施されているものの、細川氏の九曜紋が屋根に残されている。また、陣屋門が市内北中妻の民家に移築されている。
交通
首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスみどりの駅より、牛久駅行き路線バス乗車、「谷田部中央」下車、徒歩5分。
参考文献
- 【書籍】「常総の道しるべと渡船場 布施街道・筑波街道・諏訪道・船戸道の復元」
- 【書籍】「茨城県の歴史散歩」
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谷田部城の口コミ情報
2022年08月08日 マグロ常陸介祐平
小野崎城[谷田部城 周辺城郭]
民家の敷地内の為、立ち入れませんでした。民家の主は城主の子孫のようで門は冠木門の様な構造となっています。周囲は生垣で囲まれていて見えづらいですが、なんとなく空堀と土塁に囲まれているのがわかります。
2022年04月10日 マグロ常陸介祐平
谷田部城
御殿の玄関部分が陣屋の前に移築されています。藩庁を移す前の茂木に藩主が暮らすこともあったようで歴代藩主の墓は茂木にあります。
2022年04月08日 昌幸近江守晩秋リア旅
若栗城[谷田部城 周辺城郭]
つくば市にある若栗城。
谷田川に突き出た比高15mの舌状台地に築かれた連郭式の城で、岡見氏の17支城のうちのひとつです。城主は「関東の孔明」ともいわれる重臣栗林義長(吉長とも)で、義長の病没後、佐竹・多賀谷連合軍に攻め込まれ落城しました。
I郭からⅢ郭まであり、I郭とⅡ郭の間には広い空堀と櫓台があります。腰郭も設けられています。ただ薮が酷くリア攻めはⅡ郭までで断念しました。知将が城主だったという割には拙い縄張りという印象です。栗林義長に与えられた城の内のひとつ(メインではないということ)かも知れないし、後世の改変?と思われる箇所もありましたし。そんなこと考えながら見させてもらいました。
つくば牡丹園の駐車場(砂利)に車を停めて、谷田川方面へ向かいます。徒歩10分弱で城跡です。つくば牡丹園内に説明板があるようですが、営業が牡丹の咲く時季限定なこと(HPで要確認)と、なかなかプレミアな入園料と感じます。リア攻め後の疲れた身体を、花で癒されたい方にはいいかと思います。
【写真の説明】
①遠景
②登城口。夏季は埋もれるかも?
③登ると小さな神社が。ここがI郭。
④I郭から空堀を挟んで櫓台。
⑤櫓台は祠が建つ。
⑥I郭-II郭間の堀跡。
2022年01月06日 大膳大夫しろし
谷田部城
江戸時代は細川忠興の弟の領地だった陣屋跡。ありがちな今は小学校。
2020年09月21日 kazuyou大蔵大輔
谷田部城
城跡は、谷田部小学校となってしまい、遺構はありません💦しかし、陣屋の玄関が小学校の前に改変されていますが、残っています。説明板が、谷田部小学校前にあります。駐車場🅿️はありません
2020年01月15日 独眼竜常陸介
谷田部城
城(陣屋跡)は小学校になっていますが、職員駐車場に一部移築したと思われる九曜紋のある建物があるのみですね。
2015年11月25日 蒲生兵部卿郷信
谷田部城
城址自体は小学校になっていて遺構はありませんが、御殿の玄関が谷田部公民館の玄関として残っており九曜紋も拝めます。