守谷城(もりやじょう)
守谷城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 茨城県守谷市本町858
旧国名
- 下総国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 千葉師常
築城年
- 鎌倉時代
主な改修者
- -
主な城主
- 千葉氏、相馬氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)、枡形
指定文化財
- 市史跡(守谷城址)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
高井城(茨城県取手市)[3.8km]
布施城(千葉県柏市)[6.2km]
松ヶ崎城(千葉県柏市)[8.1km]
我孫子城(千葉県我孫子市)[8.2km]
木野崎城(千葉県野田市)[8.5km]
中峠城(千葉県我孫子市)[10.3km]
箕輪城(千葉県柏市)[10.4km]
東林寺城(茨城県牛久市)[10.5km]
戸張城(千葉県柏市)[10.7km]
山崎城(千葉県野田市)[10.9km]
守谷城の解説文
守谷城の口コミ情報
2026年03月07日 あんどー左兵衛督
守谷城
大満足!!公園としてよく整備されています♪守谷観光協会の皆さまありがとうございます。
大堀切が見どころです。とてもよく見やすくなってて、あちこちにある説明板のおかげでたっぷり楽しめました😄
スポットたくさん追加しました。見どころたくさんですよー♪昔は内海で、船着場があったんですね。珍しい城です。
2時間堪能しましたー
2025年05月04日 気分爽快弾正少弼
守谷城
城址公園となっているので、あまり期待していませんでしたが、城址部分は遺構がたくさんあり、見応えがありました。
宅地化が進む中、良い意味で期待外れでした。リア攻めお勧めです。
①かつて内海、今は芝生広場。でも手前は湿地
②御馬家台曲輪と二の曲輪との間にある大堀切
③まっすぐでない大堀切。左が二の曲輪
④御馬家台曲輪の虎口
⑤御馬家台曲輪の土塁、奥に矢倉台
⑥二の曲輪土塁
⑦二の曲輪虎口
⑧二の曲輪先の土橋と堀
2025年02月28日 necoo
守谷城
守谷駅から徒歩約15分到着。城は舌状台地にあり、周囲は低湿地が未だに残ってます。場内はきれいに整備されており、堀跡・土橋など確認できます。スニーカーで十分対応できます。
2024年08月14日 マグロ常陸介祐平
六十六社大神[守谷城 寺社・史跡]
鬼怒川東岸の台地に鎮座する神社です。応永4年(1396年)の創建で出雲大社の分霊をお祀りしています。この神社ですが、社殿の周囲の正面を除く三方を土塁状の土盛りが囲み、二段の曲輪状の構成で、南西部にも土塁状の土盛りが見られます。隣接する大円寺との間の道路も堀切のように見えなくもありません。この道路以外に堀状の構成が見られないため、純粋に神社の構造と思われますが、200m程東にある御霊山は平将門の七人の影武者の供養した場所(海禅寺に供養塔あり)と伝わっており、一歩間違えばお城(伝承として)になりえたのではなどと想像してしまいました(写真1~7枚目)。
隣接する大円寺は、推古天皇の時代に創建されたと伝わる古刹で、鎌倉時代初期の作の木造釈迦如来増(県文化財)があるお寺です。天正年間には守谷の相馬氏ではなく、なぜか藤ヶ谷(柏市)の相馬胤吉がお寺を修理しています。江戸時代になるとこの地を知行した旗本一色氏(幸手)の菩提寺となり、墓域にはお墓(写真8枚目)が見られます。
大円寺が六十六社大神の別当寺だと思われますが、大円寺は曹洞宗のお寺なのですが、神社には新四国の石仏が見られ違和感を感じました。
2024年08月12日 マグロ常陸介祐平
今城[守谷城 周辺城郭]
茨城県の中世城館や調査報告書では「高野城」とされています。平将門が興世王の為に築いたお城と伝わります。地域一帯は将門に関する伝承が多く、500m程西にある海禅寺には、将門と7人の影武者の墓(写真8枚目)があります。
戦国期の記録としては、古河公方の重臣簗田晴助が相馬領攻略の際に、足利高基が晴助家臣の鮎川図書助に高野要害(今城)での戦功を賞する感状を発給していることから相馬氏の属城として機能していたことがわかります。
お城は、舌状台地の先端にあり、3つの曲輪が東西に並んでいたようですが、単純な縄張りの為、砦もしくは未完成と考えられているようです。
昭和50年代まで、高さ3m程の土塁が60~70m程度残っていたようですが、開発のため、大部分が消滅しており、公園として先端の曲輪が残されています。公園内には一筋の土塁状の土盛り(写真3,4,5,6枚目)、南側一段下の台地の縁にも後世の人工的な土盛り(写真2枚目)が見られます。
台地から谷津を越えた海禅寺付近には「二重堀」の地名がありますが(写真7枚目、包蔵地ではありません)、遺構らしいものは見当たりませんでした。
2024年06月02日 マグロ常陸介祐平
小張城[守谷城 周辺城郭]
戦国期には只越全久が城主で、天正8年(1580年)に多賀谷重経により落城しているようです。1603年になると遠江久野藩主の松下重綱(豊臣秀吉の最初の主君、之綱の子)が、築城違反による左遷として16,000石で小張藩を立藩、その後大坂の陣の功績により1623年に下野烏山に栄転し廃藩、間をおいて1679年に松平乗政が旗本から若年寄に昇格し大名となり小張藩は再立藩、1681年に奏者番となり加増を受け小諸に移封し廃藩となっています。
松平氏は、長く幕閣にあり(基本定府)、実際に在城したとは思えませんが、近世城郭的な陣屋は構えていたと思われます。
城は、小学校付近まで範囲とされているようですが、全体的に遺構は消滅しており(車で探索しましたが道が細くおすすめできません)、鹿島神社の東側の谷が堀のように感じる程度です(写真は全て鹿島神社付近)。
台地の南端に位置する高雲寺は、松下重綱の子の長綱が開基のお寺で、松下氏に関連するようなものは境内には見当たりませんが、曲輪のような雰囲気は感じます。
2023年12月31日 ᴿᴱᴰ副将軍
守谷城
茨城特有の大規模な空堀が見事な下総相馬氏の本拠地🏯
オススメ度 ★★★★★
築城年代は不詳。鎌倉時代初期に千葉師常により築かれたとされます。
千葉師常は、有力鎌倉御家人で千葉氏三代当主である千葉常胤の次男であり、下総国相馬郡を領して相馬氏を称しました。戦国時代に伊達政宗と激しく争った奥州相馬氏は分家となります。
1525年には相馬因幡守が守谷城を居城としていたことが足利高基書状で認められます。
1555年頃には当主は相馬治胤であり、古河公方に従い簗田氏の配下で古河衆となっていましたが、北条氏が勢力を拡大してくると簗田氏は北条氏と和睦し従属。和睦の条件として守谷城は北条氏により接収され、相馬治胤はそれに従い守谷城を明け渡しています。1568年には北条氏により大改修を実施。
守谷城は古河公方足利義氏の御座所となる予定でしたが、北条氏と簗田氏の和議は崩れたため足利義氏の移座ならびに簗田晴助による守谷城接収は頓挫しました。
相馬治胤はそのまま北条氏に従い、古河公方及び簗田氏の影響下からは脱し、足利義氏の国衆に組み込まれました。
1590年の豊臣秀吉による小田原征伐により北条氏が滅亡すると相馬氏も没落。
守谷城には関東に入封した徳川家康家臣である土岐(菅沼)定政が入城。
1628年に土岐氏が出羽上山に転封となると廃城となりました。
見所
湖沼地帯に半島状に突き出した台地を利用した天然の要害に築かれています。
往時はかなり広い城郭であった様で、守谷城址公園として残る半島先端部の城山地区、清水門と大手門に挟まれた城内地区、大手門外の城下地区で構成され、城内地区と城下地区は宅地化により消失。
城山地区は詰め城として機能した中核で、現在残る遺構は半島基部から御馬家台、二の曲輪、楯形曲輪、一の曲輪、妙見曲輪と連なります。
それぞれが深く大きな空堀で区画されており、空堀は折れが伴い至るところに横矢が掛かります。
一の曲輪と二の曲輪の間にある楯形曲輪は細長い馬出し状の曲輪であり二重堀切に土橋が架かる一番の見所かと思います。
守谷城址公園として非常にキレイに整備されており、駐車場も完備。オールシーズン気軽に訪城できます。
2023年11月02日 加納下総守
守谷城
船着場の残る珍しい城址。北条氏が城を完成させた頃は内海が後退し始めて船着場も用をなさなくなったようです。
2023年11月02日 和泉石狩守
守谷城
宅地開発で陣屋跡は無くなっていますが二の丸、本丸は比較的良く残っています。船着場のある貴重な城址。散策には虫除けは必要です。
2023年09月02日 皆川志摩守
守谷城
城址入ります公園になっていますが、夏場は🦟に注意です。
2023年05月06日 武蔵守のむげん
守谷城
ゴールデンウィーク中に攻略してきました。北側の駐車場は30台ほどのスペースがあり、トイレや自販機もあります。そこから歩いて城跡に接近すると、一番近くが本丸付近になります。そこから薬研堀、空堀と見て回りますが ゆっくり回ると1時間程度はゆうに超えるボリュームがあります。都心からも近くこれだけ遺構が見事に残っている土の城はなかなかないので、大変おすすめの城です。
2023年04月26日 マグロ常陸介祐平
筒戸城[守谷城 周辺城郭]
有名ではありませんが、ウィキペディアにも記載されているお城で、禅福寺周辺が城域です。ウィキペディアでは秀吉の小田原攻めの際、一戦も交えず開城し、その後廃城とありますが、案内板には、同年に多賀谷家重らに攻められて落城となっています。どちらが正しいのでしょうか。
城域は、寺院・宅地・畑になっていますが、所々に断片的ですが土塁や空堀を見ることが出来ます。
2023年04月25日 マグロ常陸介祐平
内守谷城[守谷城 周辺城郭]
香取神社付近が城址のようです。神社の背後には高さはありませんが土塁が確認出来ます。その先は切岸状になっていて、下には堀跡かもしれない10m程の溝が見られます。神社の西側の道路は、竪堀の痕跡にも思われます。
2022年08月18日 tracer_azu
守谷城
駐車場から3分ほどで驚きの巨大堀切が登場する城です。小田原城の堀切を連想させるその高さに圧倒されます。1条目の巨大堀切はお馬屋台と二の丸を分断する堀切で、堀坂道は折れていて、上から横矢がかかります。守谷城ら往時は内海となっており、船着場もあったようで現在は城は湿地に囲まれています。
真夏の登城だったので薮を懸念していましたが、城内は比較的見やすく、巨大堀切はまさしく北条建設の遺構とわかります。主郭と楯の丸の間の堀切は当時は障子堀だったようです。 至る所に細かい説明のある看板がありとてもわかりやすかったです。
2022年06月19日 恋川秋町
守谷城
北条氏系の山城いいですね〜。土の城最高!!遺構もよく残っていて、またよく整備されているので歩きやすかったです。ニの曲輪から見える景色もキレイです。かなりお勧めの城です!
2022年04月10日 マグロ常陸介祐平
守谷城
二の丸を囲む土塁、二の丸と縦形曲輪をつなぐ土橋、縦形曲輪と本丸の空堀など遺構がよく残っており各所に説明板があり素人の私にも大変わかりやすいお城です。車で10分ほど離れた海禅寺には旗本で守谷相馬氏の子孫の墓と相馬氏の先祖の平将門と家臣の供養塔があります。
2022年04月08日 昌幸近江守更に吉
三条院城[守谷城 周辺城郭]
つくばみらい市にある三条院城。
西に小貝川、東に牛久沼がある伊奈台地に築かれた城です。当時周りは沼か湿地帯であったことが想像できます。城の歴史は史料・伝承一切なく不明。伊奈台地には北から、小張城-板橋城-三条院城跡-足高(あだか)城と一直線上に城が配置されています。
天正年間は牛久城岡見氏領に下妻城多賀谷氏が侵攻してきたという構図でした。岡見氏から見れば牛久城西部支配を担う城であり、多賀谷氏から見れば敵の支配を麻痺させる城になるわけです。
城はI郭・II郭・物見台からなり、II郭は道路建設ため大規模に崩されています。
I郭-II郭間の堀は、I郭側の土塁の高さもあり見応えのある遺構です。またI郭と物見台の間には「舟入」が設けられ、敵方に気づかれないよう隠れる事ができます。
車は路肩に駐車可能。ただし田んぼの中の城なので農繁期は避けるなど、地元の方への配慮をお願いします。
【写真の説明】
①I郭-II郭間の空堀。深い所では8㍍に達する。
②I郭土塁。II郭側にのみありました。
③I郭腰郭。
④物見台。現在は浅間神社が建つ。
⑤舟入。
⑥全景。手前が物見台、後ろの森がI郭。
2021年12月30日 千葉相模守早雲
守谷城
守谷城は城址公園になっています。車でお越しの場合は、公園駐車場(無料)に止められます。大まかに池ゾーン、広場ゾーン、城址ゾーンに分かれています。
広場ゾーンは、公園造成時に作られた?長大な土塁に囲まれて、その奥が城址ゾーンになっています。この広場ゾーンは、当時は霞ヶ浦にも繋がる内海でした。城址ゾーンとの境目には、船着場となる曲輪があります。搦め手側になります。
守谷城は千葉氏一族の相馬氏が治めていましたが、千葉氏が従属する北条氏政の指示で防備を強化しました。そのため北条流築城術が見られます。
最大の見どころは、御馬家台と二の丸を分断する堀切でしょう。切岸の高さや角度に圧倒されます。堀切は二の丸、楯形曲輪、本丸間にもあり、その一部は堀障子とのことです。残念ながら埋まっていて、見た目には分かりませんが。
妙見信仰に篤い千葉氏らしく、本丸の脇には妙見曲輪があります。遺構がかなり残っていて、整備もされているので、とても見やすい城です。
2021年09月16日 つか征夷大将軍ぽ
登城口[守谷城 碑・説明板]
本来は馬出側が虎口ですがこちらの空堀から入れます。案内板もあります。ここからの空堀が素晴らしい!
2021年09月16日 つか征夷大将軍ぽ
守谷城址公園駐車場[守谷城 駐車場]
トイレと自動販売機もあります。台数もそれなりに置けます。
2021年09月16日 つか征夷大将軍ぽ
駐車場[守谷城 駐車場]
馬出部分にある駐車場で登城口に近いですが台数が少ないので北側の駐車場も利用しましょう。
2021年07月28日 国府左京大夫城介
今城[守谷城 周辺城郭]
平将門が築城した伝説が残る城
【歴史】
平将門が興世王のために築城したと伝えられているが、築城者・築城年代の詳細は不明。
おそらくはこの辺りを支配していた下総相馬氏が築城したと思われる。
今城の名前の由来は、「今築かれた城」という意味。
【遺構】
守谷城の南西2.2kmに位置し、標高21mの突き出した台地上に築かれている。
かつては3つの郭からなる連郭式の城郭であり、土塁や空堀があったようだが、宅地開発が進み、西端の郭しか残っていない。西端の郭は現在「うららか公園」として保存されており、周囲は土塁で囲まれている。
【感想】
現在は開発が進んで遺構が僅かにしか残っていないが、説明版に描かれている平面図からは、守谷城に比べると単純な造りをしたお城です。基本的には、下総相馬氏の支城として運用されていた可能性が高いと思います。また、利根川がすぐ側を流れ、更に南側は湿地帯だったこともあり、北条氏や千葉氏の侵攻を防ぐために築かれたのか、若しくは改築したのかと思っています。
都市開発によって、大切な遺構が大部分が湮滅してしまったのは残念ですが、全てが湮滅する前に保存に動いた当時の守谷町には感謝しています。
【アクセス】
南守谷駅から徒歩で10分。
特に駐車場はないので、路駐するしかないと思われます。
【写真】
1:説明版
2:主郭の土塁1
3:主郭の土塁2
4:主郭の北側
5:主郭を西側から見た所
2021年04月29日 梨栗桃
守谷城
つくばエクスプレス線/関東鉄道常総線の守谷駅から、徒歩でも行けなくはないくらいの距離にあります。
城址公園として整備されており、駐車場も有るので、車でも大丈夫です。
案内板もいろいろ設置されているので、それらをチェックしながら、森林浴気分で散策するのも良いと思います。
2020年12月07日 京急渡島守ドレミファ♫
公衆トイレ[守谷城 トイレ]
男子トイレ(小便器)と多目的トイレ(洋式大便器)。
かなりキレイでした。
2020年09月20日 kazuyou大蔵大輔
守谷城
城域はかなり広く、散策にもってこいと言う感じです☝️土塁、空堀が素晴らしい❗️整備されて見学しやすいし、説明板も充実しています。駐車場🅿️トイレ🚻あります。
2020年01月21日 独眼竜常陸介
守谷城
城趾公園になっているというか、公園にするために整備中のようで、看板も令和元年でした。元々この辺りは荘園があったようですが、最終的にお城になったようですね❗️ただ、思ったより規模の大きな城だったようで、かなり幅のある堀があったり、二の丸等がある事からそれなりの規模の城であったことがうかがえます。
私見ですが、想像を上回る物に出会うと気分が上がりますね⤴️
2016年11月15日 まー兵部卿
守谷城
城址公園案内図から駐車場は二つありますがそのうち狭い(4〜5台駐車可)駐車場に停めました。またトイレ有り。ここには城跡から発掘した【土塁断面モニュメント】が展示してあります。ここから『守谷城址公園』の石碑まで徒歩5分ほど。石碑があるところは空堀でそこから15mほど歩くと扉がありその先は保存のためか立入禁止となっていました。中に入ろうと思えば入れますが藪が凄かったです。橋の両側にも空堀がありますが先人も云われているように藪が酷くて深さがあまりわからず。周辺住宅地の家族連れの憩いの場。説明板は駐車場と城跡内に1箇所あるのみでした。
2014年11月02日 野舘宮内少輔サラマンダー
守谷城
2014年10月30日14時5分(35分)
携帯のカーナビに守谷城址公園と入力しても見つからず、住所でも正しい位置になりませんでした
バス停が近くにあり、「城址公園入口」から少し歩いた所に、案内板や駐車場、トイレがあります
島のようになっている所が城跡です
守谷城址公園の石碑がある所が堀の下になっているようで、5m位の高さがあり、両手を使っても登れない位急です
本郭は広く、草は刈り取られていました
ただ、土橋の堀の所は藪だらけで、深さが余り分かりませんでした…
折角分かりやすい堀等が残っているのに、説明が余り無かったのが残念ですが、迫力ある堀は必見です
2014年05月02日 ⛫武蔵の加賀守の謙
守谷城
守谷城の見所は、主郭の北東虎口の馬出しと南西虎口の枡形が明瞭な事ですね。
また主郭南西にある大きな堀切を隔てた先にも馬出し状の曲輪がありますが、こちらにも藪であまり明瞭ではないものの枡形虎口があり、技巧的な縄張りを感じる事が出来ます。
全体的に深くて屈曲のある空堀が好印象の城です。おすすめです。
2012年01月10日 ぎっちゃん
守谷城
中世守谷城は公園になっていて主郭をめぐる深い堀は圧巻。駐車場とトイレも完備。大手門跡である守谷小学校横の土塁は家康の臣・菅沼氏が関東移封後に整備した陣屋のものとか。
中央公民館に守谷城の資料展示されていますので併せて見学されるのが良いですよ。掘建て小屋の推定復元模型や発掘出土品も見れますので。
守谷城の周辺スポット情報
本丸跡(遺構・復元物)
障子堀跡(遺構・復元物)
楯形曲輪(遺構・復元物)
土橋(遺構・復元物)
坂道枡形虎口(遺構・復元物)
二の曲輪(遺構・復元物)
二の丸枡形虎口(遺構・復元物)
二の丸矢倉台(遺構・復元物)
空堀(遺構・復元物)
船着場(遺構・復元物)
御馬家台(遺構・復元物)
筒戸城説明板(碑・説明板)
城址碑(碑・説明板)
平将門城址の碑(碑・説明板)
登城口(碑・説明板)
守谷城説明板(碑・説明板)
和田の出口(碑・説明板)
妙見郭説明板(碑・説明板)
取手城(周辺城郭)
今城(周辺城郭)
三条院城(周辺城郭)
菅生城(周辺城郭)
内守谷城(周辺城郭)
筒戸城(周辺城郭)
小張城(周辺城郭)
六十六社大神(寺社・史跡)
本郷西遺跡(寺社・史跡)
公衆トイレ(トイレ)
守谷城址公園公衆トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
守谷城址公園駐車場(駐車場)









