今城
今城([守谷城 周辺城郭])
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今城の口コミ情報
2024年08月12日 マグロ常陸介祐平
茨城県の中世城館や調査報告書では「高野城」とされています。平将門が興世王の為に築いたお城と伝わります。地域一帯は将門に関する伝承が多く、500m程西にある海禅寺には、将門と7人の影武者の墓(写真8枚目)があります。
戦国期の記録としては、古河公方の重臣簗田晴助が相馬領攻略の際に、足利高基が晴助家臣の鮎川図書助に高野要害(今城)での戦功を賞する感状を発給していることから相馬氏の属城として機能していたことがわかります。
お城は、舌状台地の先端にあり、3つの曲輪が東西に並んでいたようですが、単純な縄張りの為、砦もしくは未完成と考えられているようです。
昭和50年代まで、高さ3m程の土塁が60~70m程度残っていたようですが、開発のため、大部分が消滅しており、公園として先端の曲輪が残されています。公園内には一筋の土塁状の土盛り(写真3,4,5,6枚目)、南側一段下の台地の縁にも後世の人工的な土盛り(写真2枚目)が見られます。
台地から谷津を越えた海禅寺付近には「二重堀」の地名がありますが(写真7枚目、包蔵地ではありません)、遺構らしいものは見当たりませんでした。
2021年07月28日 国府左京大夫城介
平将門が築城した伝説が残る城
【歴史】
平将門が興世王のために築城したと伝えられているが、築城者・築城年代の詳細は不明。
おそらくはこの辺りを支配していた下総相馬氏が築城したと思われる。
今城の名前の由来は、「今築かれた城」という意味。
【遺構】
守谷城の南西2.2kmに位置し、標高21mの突き出した台地上に築かれている。
かつては3つの郭からなる連郭式の城郭であり、土塁や空堀があったようだが、宅地開発が進み、西端の郭しか残っていない。西端の郭は現在「うららか公園」として保存されており、周囲は土塁で囲まれている。
【感想】
現在は開発が進んで遺構が僅かにしか残っていないが、説明版に描かれている平面図からは、守谷城に比べると単純な造りをしたお城です。基本的には、下総相馬氏の支城として運用されていた可能性が高いと思います。また、利根川がすぐ側を流れ、更に南側は湿地帯だったこともあり、北条氏や千葉氏の侵攻を防ぐために築かれたのか、若しくは改築したのかと思っています。
都市開発によって、大切な遺構が大部分が湮滅してしまったのは残念ですが、全てが湮滅する前に保存に動いた当時の守谷町には感謝しています。
【アクセス】
南守谷駅から徒歩で10分。
特に駐車場はないので、路駐するしかないと思われます。
【写真】
1:説明版
2:主郭の土塁1
3:主郭の土塁2
4:主郭の北側
5:主郭を西側から見た所