木野崎城(きのさきじょう)
木野崎城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 千葉県野田市木野崎字下町
旧国名
- 下総国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 一色義直
築城年
- 天正18年(1590)
主な改修者
- -
主な城主
- 一色氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(水堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 碑
周辺の城
-
山崎城(千葉県野田市)[4.9km]
守谷城(茨城県守谷市)[8.5km]
金野井城(千葉県野田市)[8.5km]
布施城(千葉県柏市)[10.3km]
花輪城(千葉県流山市)[10.7km]
松ヶ崎城(千葉県柏市)[11.3km]
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越ヶ谷御殿(埼玉県越谷市)[13.6km]
木野崎城の口コミ情報
2024年03月03日 パジェロ
目吹城標柱[木野崎城 碑・説明板]
家の手前を左に、壁沿いに進んで行くと左手に見えます。
2023年09月17日 マグロ常陸介祐平
目吹城[木野崎城 周辺城郭]
目吹の地名の由来は、鎌倉景正が後三年の役で射られて負傷した目を癒したことによるようです。
Googleマップの為示す場所は、民家となっており立ち入ることが出来ず、周囲もトラックの駐車場と畑でお城をあまり感じられませんが、100m程西にある熊野神社は三方を切り立った崖に囲まれ、曲輪感が出ています。
不自然なほど90度に傾斜している為、ひょっとすると神社の敷地を避けた土取りの跡かも知れません。
2023年09月17日 マグロ常陸介祐平
木野崎城
1601年に一色照直が幸手から移封となり交代寄合としての陣屋となったようです(以前にも一色氏の城として存在していたようです)。旗本ですが参勤交代を行う為、今は閑散としていますが藩同様に城下町を形成いていたようです。1698年、移封により三河の長篠城二の丸に陣屋を移すと廃城(廃陣屋?)になったようです。尚、三河移封前に当主病弱の為、交代寄合から寄合に変わっています。
周囲を探索しましたが、西側に竪堀風の道路(写真5枚目)と西側と北側が台地の先端となっていて切岸状(写真4枚目)になっている程度で、ハッキリとした遺構は確認出来ませんでした。
2023年06月30日 武蔵守のむげん
木野崎城
城址碑があるだけで、周りは畑と民家があるのみでした。入り組んだ道を進まなくてはいけませんが、車は通れます。来た道をUターンした方が良いでしょう。
2021年01月24日 ファン掃部助トム治郎
木野崎城
野田スポーツ公園の駐車場にとめて10分ほど歩きました。県道筋には比較的こじんまりした新しい家が多いですが、県道からなかに入り城に近づくにつれ庄屋風の昔ながらの農家が目立ち、中世の雰囲気に誘います。畑の一画にかつて城があったことを示す立札があります。
2013年10月13日 野舘宮内少輔サラマンダー
木野崎城
2013年10月13日15時45分(30分)
ここに辿り着く迄の道中、狭く入り組んでいるのでお気を付けください
トイレや駐車場などは無く、遺構などは見当たりません…
本日車での行軍であり、これ以上の偵察が出来ないため、碑の横に書かれている文章を記載致します
『この辺は城山と謂われており、高家一色氏の末裔が築城した城であるが築城の年代は明らかでありません。水牢跡とか大門址とが残されており城にゆかりのある地名として、城下・下町・台町・新町・本郷などがあります。一色氏が元禄十一年三月、愛知県南設楽郡鳳来町に移封となって以来廃城となり、家臣の青木氏の一族が残留し現在に至っています。』
2013年10月12日 シコタレ常陸介
木野崎城
ちなみに『この先通行できません』看板一つ目はスルー
2013年10月12日 シコタレ常陸介
木野崎城
木之崎セブンイレブン(左手に見て)の信号左、よしば食品?(小さな商店)を左。 道なりに行って左行ってすぐ右、この先通行できません看板の先。