松ヶ崎城(まつがさきじょう)
松ヶ崎城の基本情報
通称・別名
- 松ケ崎城
所在地
- 千葉県柏市松ヶ崎字腰巻457-1他
旧国名
- 下総国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 匝瑳氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、腰曲輪、土塁、横堀(空堀)、虎口、櫓台
指定文化財
- 市史跡(松ヶ崎城跡)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
布施城(千葉県柏市)[1.9km]
戸張城(千葉県柏市)[3.0km]
我孫子城(千葉県我孫子市)[3.5km]
箕輪城(千葉県柏市)[4.1km]
増尾城(千葉県柏市)[4.3km]
前ケ崎城(千葉県流山市)[5.5km]
根木内城(千葉県松戸市)[6.4km]
花輪城(千葉県流山市)[7.2km]
小金城(千葉県松戸市)[7.7km]
高井城(茨城県取手市)[7.7km]
松ヶ崎城の解説文
松ヶ崎城の口コミ情報
2023年02月27日 まりん内蔵頭
松ヶ崎城
松ヶ崎城は北柏駅から徒歩で10分かからないで行けます。何年か前に行った時は入り口を迷ったのですが、今回は入り口に案内が有るので分かり易くなりました。車の駐車も多くはないけど出来ます。今は河津桜が咲き始めた所でしばらく楽しめそうです。
2023年01月22日 ビン太
松ヶ崎城
良く整備されていますし駐車場もあります。車の際は『松ヶ崎城』の看板が写っている写真の撮影箇所の左隣りに鉄塔が建っているのでそこを目印に入ると良いです。リア攻めもラクチンです。トイレがみあたらなかったのが難点でしょうか?
2023年01月09日 千葉相模守早雲
松ヶ崎城
手賀沼を見下ろす台地上にある中世単郭城郭です。土塁と空堀に囲まれた本曲輪の他に古墳を利用した物見台や台地斜面に腰曲輪が遺構として残っています。
二度目の訪城ですが、前回は城歩きではなく花見だったので、前回見逃していた南側の腰曲輪を縄張り図取り込み機能のお陰で見る事が出来ました🤗実に面白い🤓
1.北側の腰曲輪は現在駐車場になっている。
2.中央に空堀。その左に土塁が折れて左へと続く。左側は本曲輪。
3.腰曲輪。
4.虎口。
5.本曲輪土塁。
6.空堀底から見た土塁。かなり埋まっている。
2021年07月25日 マグロ常陸介祐平
松ヶ崎城
周りが首都圏の住宅地とは思えない程、遺構が残っています。虎口、土塁、空堀、腰曲輪が確認できました。
2016年07月03日 平 右近衛大将 泰次郎 將門
松ヶ崎城
東京方面より国道6号の北柏入口側道より左折(北方面)
200m程走った左側が城趾です。
目印は左側のセブンイ○ブンの裏側
その先、右側ロー○ンの正面
車ならローソン向の路地より、駐車場の看板目指して侵入
駐車場入口は急な折り返しで入ります
駐車場は砂利で整備されていますがトイレはありませんでした
ちなみに南西側の住宅街からも乗り入れは出来ますが駐車場はありません
入口付近で車1台 方向転換出来るスペースはあります
2015年02月13日 野舘宮内少輔サラマンダー
松ヶ崎城
続き…2/3より
昭和22年当時の北柏地域の航空写真より
香取神宮文書に記された松ヶ崎
戦国時代からは少し前になりますが、香取神宮文書の応永25年(1418年)の記録には、遷宮に伴う仮殿の屋根に葺く厚板である瓦木を「御かわらの木、相馬松崎にてとり申候」という記述や、それを船で運んだ記述があります。
このことから、当時の松ヶ崎には松材を採取するほどの松林があったこと、そしてそれを船で香取神宮まで運び出せる環境にあったことが分かります。
平成21年3月31日 柏市教育委員会
3/3 完
2015年02月13日 野舘宮内少輔サラマンダー
松ヶ崎城
続き…1/3より
松ヶ崎城跡の所在する手賀沼西端の北柏周辺地域は、近年、交通・物流史の視点から、水上交通と陸上交通の要衝として注目されています。中世以前の手賀沼は、今よりも広く、松ヶ崎城の眼下まで及んでいたと考えられ、この場所は、茨城県側の菅生沼や牛久沼、千葉県側の手賀沼や印旛沼が霞ヶ浦や北浦と一体となって形成していた内湾(香取の海)の最西端にあたります。この手賀沼西端地区には、中世の館跡や町場跡が確認された中馬場遺跡や法華坊遺跡があり、隣接する我孫子市根戸城跡などと共に、柏の歴史だけでなく中世史解明の上でも非常に興味深い場所です。
2/3続く…
2015年02月13日 野舘宮内少輔サラマンダー
松ヶ崎城
2015年2月13日16時30分(40分)
南東にある説明文を記載します(北西の説明文はまた今度…寒くて無理でした…)
柏市指定文化財(史跡)松ヶ崎城跡 〜平成16年7月1日指定〜
松ヶ崎城跡は、手賀沼を見渡す台地の先端部に造られた戦国時代の中世城館跡で、城主は不明ですが、戦国時代の15世紀後半から16世紀前半頃には造られていたと考えられています。
「城」というと、普通は姫路城や大坂城のような天守閣と高い石垣をもった城のイメージですが、このような城は織田信長の安土城に始まるものです。中世の城は、天守閣や本格的な石垣はなく、土塁・堀と木造の建造物から造られています。 県内では約1000ヶ所の中世城館跡が確認されていますが、破壊されたものも多く、保存状態のよいものでも、その多くは土塁と堀が残る程度です。
1/3続く…
2015年02月09日 野舘宮内少輔サラマンダー
松ヶ崎城
2015年2月8日9時9分(8分またもや時間無く)
国道6号から県道を北へ進み、右側にローソン、左側に赤い鉄塔がある左手に細い道があり、ここから松ヶ崎城にスムーズに行けます
不安のある方はローソンに一度停めて反対車線側を見れば、大きく看板で「松ヶ崎城」と書いてあるので分かると思います
トイレはありませんのでコンビニでお借りするのが良いと思います
城跡は下草も刈られ、木も切られているので、全体を見渡す事が出来ます
ただ、土塁や掘は風化していて、もし戦が起こったら、あっという間に乗り越えられてしまうだろうなぁと思います
また近い内に来れると思うので、次は案内板の文章を記載したいと思います
2012年01月03日 野舘宮内少輔サラマンダー
松ヶ崎城
2012年1月2日16時20分頃(15分 時間無く)
国道6号から県道268号を北へ進み、県道中央部に駐車場が現れた直ぐの道を鋭角に左折、坂を少し登った民家の間にある細い道を左折すると、砂利が敷かれた駐車場に出ます
ご近所の方にお聞きしました〜
県道からも西側に城址を確認出来ます
木が綺麗に伐採されて要所に案内板が
中央は堀と土塁に囲まれ、南東部に古墳を利用した物見台があり、東と南側が見張らせました
遺溝は少し風化しているようでしたが、今後の市の取り組みに期待します
城跡は山林に覆われていて、遺構の残存状況は良好である。城跡周辺には、「竹ノ台」「本郷」などの小字が残されている。
松ヶ崎城跡は、半島状台地の南端を、土塁や堀で囲み曲輪とした、小規模な単郭の城跡である。曲輪は約60メートル四方の方形プランで、東と北、西の三方を囲む土塁を持ち、さらに土塁東と北の土塁の外側に顕著な堀が認められる。曲輪の南側、台地斜面上には、二か所の腰曲輪が並べて築かれており、その内西側の広い曲輪に倶利迦羅不動尊(三境の不動)が祀られていた(平成7年焼失)。
郭内は平坦でなく、全体的に北から南へゆるやかに傾斜しており。内部はさらに南北に延びる土塁で区画されている。虎口は曲輪の東、北、西の三方の塁壁に設けられていたと思われる。曲輪の東側虎口は、古墳を利用したと思われる矢倉台状の構築物の北側に想定される。曲輪の北側虎口は、現在堀を渡り城内に至る土橋状の通路が認められるが、この通路に対応するように北側土塁の開口部が存在していて、この部分に設けられたと思われる。曲輪の西側虎口は、曲輪北西端に張り出し部が構えられ、そこから城外方向へ下る通路状遺構が確認されるため、この張り出し部に想定される。
松ヶ崎城跡のある松ヶ崎は、手賀沼の西端に位置し、応永26年(1419)4月7日付けの「香取社仮殿造営用途算用状」(香取神宮文書)には、香取社仮殿の瓦木が、相馬松崎より船で運び出されていることが記されている。また、城跡の東方、JR北柏駅の東側一帯、根戸の地には、中世の遺物・遺構を伴う中馬場遺跡、北ノ内遺跡、法華坊遺跡が存在している。
以上、松ヶ崎から東の根戸にかけて中世の遺跡が集中しており、手賀沼西端という位置や香取神宮の古文書より、この地一帯が水上交通の要所であったと考えられる。松ヶ崎城跡の築城時期や築城者は不明であるが、こうした水上交通の要地を押さえる軍事施設の性格を持っていたと推測される。