小金城(こがねじょう)

小金城の基本情報

通称・別名

大谷口城、開花城、大谷口小金城

所在地

千葉県松戸市大谷口字本城、中城、馬屋敷、番場

旧国名

下総国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

高城胤吉

築城年

天文6年(1537)

主な改修者

高城胤辰

主な城主

高城氏、武田信吉

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

根木内城(千葉県松戸市)[1.8km]
前ケ崎城(千葉県流山市)[2.3km]
花輪城(千葉県流山市)[4.3km]
金ヶ作陣屋(千葉県松戸市)[4.5km]
相模台城(千葉県松戸市)[5.7km]

小金城の解説文

小金城(こがねじょう)は下総国葛飾郡(現在の千葉県松戸市大谷口付近)にあった日本の城である。

概要
標高20mほどの丘陵地帯にあり、古利根川、中川、荒川流域の低地帯を一望できる場所である。城域は東西800m、南北700mにおよび、12もの郭を備えて、当時の下総国北西部においては最大規模を誇った平山城である。大谷口城、開花城、とも呼ばれる。

要害の城であったが、太日川(現在の江戸川)の要でもあったため、水運により城下は市が立ち並んで金宿(後の小金宿)が形成され、周辺の本土寺や東漸寺が領主高城氏の保護を受けて栄えるなど、軍事的にも経済的にも栄えた場所であった。

城の歴史
千葉氏の家老原氏の重臣であった高城氏の居城である。原氏が室町時代の享徳の乱で上杉氏と対立関係に入った時期に、上杉勢力の下総侵攻を防ぐ拠点とするために重臣の高城氏を小金に配置したものと考えられている(金領(こがねりょう))。

小金城(大谷口城)は、天文6年(1537年)9月に高城胤吉によって築かれ、高城氏は根木内城より居城を移して、胤吉、胤辰、胤則と3代53年の居城となった。胤吉は城建設以前には近郊の栗ケ沢城、根木内城を根拠地として構えていたが、小弓公方足利義明の進出に対抗するために大谷口に新城を築城して移った。

永禄年間(1560年代)、古河御所を追われた古河公方足利義氏の仮御所の役目と、義氏に敵対する関東管領上杉憲政を擁立して関東へ侵攻した上杉謙信に備えて拡張が行われたものと考えられている。実際、永禄9年(1566年)2月には上杉方に小金城を包囲されたが、籠城して乗り切ることに成功している。

天正18年(1590年)の小田原征伐の際、後北条氏方の高城氏は後北条氏に従い小田原城に篭城し、豊臣氏方の浅野長政らに攻められ開城した。 その後、徳川家康の関東移封に伴い、穴山武田氏の名跡を継承し甲斐国河内領となっていた家康五男・武田信吉が入城する。信吉は文禄元年(1592年)に下総国佐倉城主として転封となり、小金城は文禄2年(1593年)に廃城となった。

北に金杉口、東に大手口、丑寅に達磨口、西に横須賀口、南に大谷口を設け、横須賀口には家臣を住まわせ、その規模・内容は稀にみる大がかりなもので、完成の祝宴も盛大であったという。以来、天正十八年の豊臣秀吉の小田原攻めで落城するまで、三代57年間に亘って栄えた。

現在の城
昭和40年代頃までは森林の中に遺構がほぼ完存していたが、重要な城跡にも関わらず、開発を推し進めた当時の行政や不動産会社により、現在ほぼ全域が住宅街となっている為、徹底的に破壊されたが、城跡の一部が大谷口歴史公園として整備されており、後北条氏関連の城跡で多く見られる畝堀や障子堀、土塁などの遺構が残る。また達磨口にはかつて引き橋が架かっていたと言われている土塁と堀切の様な場所が残り、馬場と呼ばれる付近にも土塁や空堀のの名残らしき物が有る。なお、昭和37年(1962年)および平成3年(1991年)に宅地造成に際して松戸市によって発掘調査が行われており、多くの建物跡、櫓跡、また鉄砲の弾や陶磁器などが発見されている。
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小金城の口コミ情報

式部卿泰次郎 將門様[2016年07月03日]
小さいながらも障子堀や畝堀の遺構が残る見応えある公園です
トイレは東側の下にありますが、駐車場はありません

現在の入口は北側の虎口からとなり、本来は南側にある大勝院側が正門だったようです

野舘宮内少輔サラマンダー様[2012年10月05日]
2012年9月29日13時40分(90分)

流鉄流山線小金城趾駅の東側へ降り、右手南下して、突き当たりの道を左手東に向かうと、先ずは大谷口馬屋敷緑地に辿り着きます
そのまま馬屋敷を進んだ信号を渡った所が、大谷口歴史公園です(大きな茶色の石碑があります)
その石碑の先に進むとトイレと案内板があります
駐車場はありません
大谷口歴史公園は城跡の一角を公園としているので、規模はかなり小さく、遺溝も埋め戻しているので(障子掘、畝掘の発掘写真有り)、余り良く分かりません…
本丸があったという場所へ向かいましたが、北小金住宅がある入口付近に、大きな石碑と案内板があるだけで、遺溝等はありません…
坂道を下って流山線の踏切、消防団の裏手に小さな平戸井天という社(?)がありました
歩いて分かったのですがかなり規模が大きく、遺溝も少ないので、探すのがとても大変でした
行かれる際は水分補給と体力にお気を付けください

徳川内大臣源朝臣康武様[2010年06月10日]
完全宅地化した主郭跡に説明板がある。僅かな遺構は大谷口歴史公園でみることができるが、公園に近い、台地下の小金城趾駅より、城と同じ台地上にある北小金駅から歩いた方が、城の様相は理解しやすい。

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