花輪城(はなわじょう)

花輪城の基本情報

通称・別名

下花輪城

所在地

千葉県流山市下花輪字寺下1355(花輪城址公園)

旧国名

下総国

分類・構造

平山城

天守構造

-

築城主

平本定虎

築城年

不明

主な改修者

-

主な城主

平本氏

廃城年

16世紀後期

遺構

曲輪、土塁、堀切

指定文化財

-

再建造物

模擬木橋、石碑(花輪城址公園)、説明板

周辺の城

前ヶ崎城(千葉県流山市)[3.3km]
小金城(千葉県松戸市)[4.3km]
根木内城(千葉県松戸市)[5.2km]
和井田氏屋敷(埼玉県八潮市)[6.3km]
山崎城(千葉県野田市)[6.4km]
松ヶ崎城(千葉県柏市)[7.2km]
宇田家屋敷(埼玉県越谷市)[7.7km]
増尾城(千葉県柏市)[7.9km]
戸張城(千葉県柏市)[8.3km]
布施城(千葉県柏市)[8.3km]

花輪城の口コミ情報

2026年09月13日 マグロ常陸介祐平
流山市立博物館[花輪城  関連施設]



本多正信の弟の正重に始まる田中藩本多氏の陣屋となります。幕末の田中藩7代藩主本多正訥は、文久3年(1863年)に田中藩の飛び地の管轄の為、流山郊外の加村に陣屋を建設し、江戸深川にあった下屋敷の人員を移転させています。元治元年(1864年)になると正訥は駿府城代に就任、戊辰戦争勃発後の慶応4年(1868年)には、東海道鎮撫総督府よりそのまま駿府警守を命じられ、尾張藩が派遣した使節に勤王証書を渡して、駿府城引渡しに同意しています。江戸開城後、徳川宗家が静岡に移封になると、東征大総督府の命により駿府城代を免じられ、徳川家達に駿府城を引き渡しています。本多氏も他の駿河の大名同様に安房・上総地区に代替え地を与えられ、安房長尾に移封となり、流山の陣屋も廃されています。

明治2年になると旧幕府領を管轄する葛飾県が設置され、陣屋が県庁として使用されますが、明治4年になると葛飾県と旧藩領を管轄する6県(佐倉県、古河県、関宿県、結城県、生実県、曾我野県)と国外の県の飛地領を統合し、9郡の区域をもって印旛県が発足し、県庁は行徳(市川市)の徳願寺になりますが、翌明治5年には交通の便の問題で、再び陣屋跡の旧葛飾県庁が県庁として復活します。翌明治6年になると印旛県と木更津県が合併して千葉県が誕生し、千葉(千葉市)に県庁が置かれ、旧陣屋は役割を終えています。慌ただしい時代ですね。

現在、陣屋跡地(旧県庁)は流山博物館(図書館)や宅地となり遺構は残っていません。博物館の入口前に「葛飾県印旛県史跡」の石碑と簡単な説明板が設置されています。

加村陣屋に口コミしたつもりが、博物館になっていました💦
場所は同じです!

2026年09月12日 マグロ常陸介祐平
流山新選組本陣跡[花輪城  寺社・史跡]



新撰組近藤勇の最後の陣営地となります。江戸城が無血開城すると新撰組は下総国流山に屯集し、酒造家の長岡七郎兵衛宅を本陣とします。流山に賊徒が屯集しているとの情報を得た新政府軍の香川敬三隊に包囲されると、大久保大和(近藤勇)は自ら出頭(捕縛されたとも)し、幕府公認の治安隊を主張するも新政府軍にいた旧御陵衛士の加納鷲雄らに正体を見破られて(異説あり)、板橋で斬首されています。

本陣として使用された建物は現存していません。跡地には説明板と石碑と秋元家住宅土蔵があります。土蔵は呉服屋の三河屋から現在の地主秋元家が明治期に買取り、曳家により移築されたものです(写真1~5枚目)。

跡地の酒屋では新撰組グッズが販売され、隣接する閻魔堂には閻魔像(写真8枚目)の他、義賊として知られる金子市之丞の墓があります。

流山市内は街歩きの楽しめるところで、白みりんミュージアム(有料)・一茶双樹記念館(写真6枚目,無料)・赤城神社(写真7枚目)や新撰組の宿所として使用されたいくつかのお寺など、見所があります。

2025年05月17日 ラッセル上総介【】栗太郎
流山市立博物館[花輪城  関連施設]

明治初期、印旛県や葛飾県の県庁があった地で、田中藩本多家下屋敷跡。博物館には縄文時代から現代に至るまでの流山の生活を展示している。

2025年05月17日 ラッセル上総介【】栗太郎
浅間神社[花輪城  寺社・史跡]

江戸時代初期に創建された神社。新撰組を包囲した新政府軍が境内裏に仮本陣を敷いたといわれる。拝殿裏には市指定文化財の富士塚がある。

2025年04月28日 千葉相模守早雲
花輪城



16世紀には北条氏傘下にあった高城氏によって治められ、豊臣秀吉の小田原征伐後には廃城になりました。

南北に伸びる細長い台地に二つ以上の郭が並んでいたようです。主郭とその北側にかなり浅くなった空堀と土橋が残っているものの、続く郭は墓地になっていて、それ以上の遺構は確認出来ませんでした。
城址公園の広場からは主郭全体や切岸の急な様子が分かります。

1.入口にある説明板。
2.主郭にある説明版。
3.主郭。
4.土橋と浅くなった空堀。空堀には現在、木橋が架けられている。
5.空堀。手前に土橋が架かっている。
6.手前から空堀、土橋、(木橋の架かる)空堀。
7.公園広場からは全体が見える。
8.主郭切岸。

2023年06月19日 弾正一秀
花輪城

花輪城は現在はお墓と公園に成ってますね❗現在道路に成って居る所と病院も城郭だったんだろうな😁

2022年02月20日 マグロ常陸介祐平
花輪城



城址公園として整備されていますが、広くはありません。空堀の一部が残っています。

2021年06月03日 参議くるみ丸
花輪城



流山おおたかの森駅から徒歩30分、城址公園到着 それなりに、縄張りがうかがえる地形が残っていました

2021年05月23日 国府左京大夫城介
流山新選組本陣跡[花輪城  寺社・史跡]



近藤勇と土方歳三の離別の地

【歴史】
下総鎮撫隊を組織した近藤勇(大久保大和)と土方歳三(内藤隼人)は、慶応4年4月1日に流山に屯集し、豪商「長岡屋」の永岡三郎兵衛宅を本陣した。4月3日には糟壁(現在の春日部市)に駐留していた維新政府軍の香川敬三が北の羽口の渡しから急襲し、本陣は包囲された。近藤勇は自刃しようとしたが、土方歳三がそれを押し止め、大久保と改名されたことを知られていないことを利用して、出頭させた。しかし、結局は新選組の近藤勇であることが分かり、板橋宿で斬首となり、近藤勇と土方歳三の永遠の別れとなった。(現地、説明版より一部抜粋)
なお、長岡屋は維新後に倒産し、幾つかの会社を経て、現在は秋元屋になっている。

【遺構】
陣屋跡を示す石碑と、長岡屋の土台の石が残っている。

【感想】
近藤勇と土方歳三が永遠の別れとなった流山の地ですが、訪問時はすっかりと忘れていました(汗) 流山駅にて市内の観光マップを見ていたら、新選組の二文字があり、しかも駅からかなり近い場所にあったので、よし行こうというの感じで訪問しました。当時を偲ぶ遺構は、土台の石しかありませんが、ここが二人の離別の地だと思うと、新選組が好きな人間であれば、グッとくるものがあります。
なお、毎年4月の第二週には、「流山新選組まつり・勇忌」というものがあるので、機会があれば、参加してみたいと思います。

【アクセス】
流山鉄道・流山駅から徒歩4,5分程。

【写真】
1:石碑
2:長岡屋の土台の石

2016年07月03日 平 右大臣 泰次郎 將門
花輪城

駐車場、トイレ共にありませんが、下花輪Y字路(マクド○ルド)のあり
城趾側の信号機脇に車2台程のスペースあり


2016年05月22日 まー兵部卿
花輪城

先人の停めた場所より50m先に公民館があるためそこに駐車。空堀らしき遺構有り。土塁のところは墓地。

2011年12月25日 野舘宮内少輔サラマンダー
花輪城

2011年12月24日12時40分頃(20分)
東葛病院の向かい側に石碑がありますが、もうちょっと南に下った信号付近のスペースに駐車しました
その時初めて気が付いたのですが、南側から登れる所が(立入禁止になっていましたが)
東側は一段低い公園になっており、そこから花輪城を見上げると高さ10m位の崖になっていて、県道からは想像出来ない城としての顔を見る事が出来ました
正面西側から入ろうとしましたが、こちらも立入禁止…
中には入れませんでしたが中々見応えがありました

花輪城の周辺スポット情報

 土橋(遺構・復元物)

 空堀(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 本丸切岸(遺構・復元物)

 説明板(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 貨物引込線説明板(碑・説明板)

 加村陣屋(周辺城郭)

 管理事務所(寺社・史跡)

 流山新選組本陣跡(寺社・史跡)

 浅間神社(寺社・史跡)

 常与寺(寺社・史跡)

 閻魔堂(寺社・史跡)

 近藤勇陣屋跡(寺社・史跡)

 光明院(寺社・史跡)

 赤城神社(寺社・史跡)

 茂侶神社(寺社・史跡)

 三輪野山貝塚(寺社・史跡)

 大宮神社(寺社・史跡)

 大原神社(寺社・史跡)

 大杉神社(寺社・史跡)

 本行寺(寺社・史跡)

 本覚寺(寺社・史跡)

 真城寺(寺社・史跡)

 熊野神社(寺社・史跡)

 東福寺(寺社・史跡)

 三本松古墳(寺社・史跡)

 千仏堂(寺社・史跡)

 観音寺(寺社・史跡)

 香取神社(寺社・史跡)

 金蔵院(寺社・史跡)

 上貝塚貝塚(寺社・史跡)

 本妙寺(寺社・史跡)

 浄蓮寺(寺社・史跡)

 矢河原の渡し跡(寺社・史跡)

 貨物引込線(万上線)跡(寺社・史跡)

 丹後の渡し跡(寺社・史跡)

 流山寺(寺社・史跡)

 長流寺(寺社・史跡)

 庚申塔(寺社・史跡)

 市野谷の森の野馬土手(寺社・史跡)

 上新宿の野馬土手(寺社・史跡)

 おおたかの森東2丁目の野馬土手(寺社・史跡)

 高田の野馬土手(寺社・史跡)

 高田の崖の上の野馬土手(寺社・史跡)

 十余二の野馬土手(寺社・史跡)

 駒木の野馬土手(寺社・史跡)

 八木の野馬土手(寺社・史跡)

 駒木台の野馬土手(寺社・史跡)

 西原4丁目の野馬土手(寺社・史跡)

 江戸川台東1丁目の野馬土手(寺社・史跡)

 大青田の野馬土手(寺社・史跡)

 流鉄流山駅(御城印)

 キッコーマンアリーナ内トイレ(トイレ)

 総合運動公園駐車場(駐車場)

 総合運動公園駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 流山市立博物館(関連施設)

 清水屋(関連施設)

 万華鏡ギャラリー見世蔵(関連施設)

 日本庭園(関連施設)

 流山本町まちなかミュージアム(関連施設)

 一茶双樹記念館(関連施設)

 杜のアトリエ黎明(関連施設)

 旧流山小学校跡地(その他)

 富士塚(その他)

 旧流山街道(その他)

 富士橋(その他)

 あづまや(その他)

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