増尾城(ますおじょう)

増尾城の基本情報

通称・別名

所在地

千葉県柏市増尾稲荷下667他

旧国名

下総国

分類・構造

連郭式平山城

天守構造

築城主

不明

築城年

16世紀後期

主な改修者

主な城主

相馬氏、平川氏(高城氏家臣)

廃城年

遺構

曲輪、櫓台、土塁、横堀(空堀)、薬研堀、虎口

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

戸張城(千葉県柏市)[1.7km]
根木内城(千葉県松戸市)[4.1km]
松ヶ崎城(千葉県柏市)[4.3km]
前ケ崎城(千葉県流山市)[4.8km]
佐津間城(千葉県鎌ケ谷市)[5.0km]

増尾城の解説文

増尾城跡は、JR柏駅より南へ約2.5キロメートル離れた、大津川支流の谷戸の北側、字「稲荷下」の舌状台地上に位置している。城跡のある台地は、南西から北東へ約130メートルほど突き出した小規模な舌状台地で、城はこの台地の平面形にあわせて、三角形のプランを呈している。

城内の標高は、20.5メートル前後、城跡東側の低地水田面からの比高は12メートルである。遺構の残存状況は、城跡の南側から東側にかけて斜面が崩落しており、この部分に存在したと思われる遺構は失われているが、その他の部分は比較的良好に残されており、現在「増尾城址公園」として城跡は利用されている。増尾城跡の周辺には、北東1.5キロメートルの地点に戸張城跡、南へ600メートル離れた地点に幸谷城館跡がある。

本城跡は、内部を土塁で区切り2つの曲輪となし、これらの曲輪を囲むように、南から西、西から北の二辺に土塁、堀が見受けられる。2つの曲輪の内、台地先端に位置する北東側の曲輪は東西40メートル、南北35メートル、台地へ続く南西側の曲輪が東西40メートル、南北55メートルで、南西側の曲輪の方が大きい。

これらの曲輪の間には、長さ30メートルの土塁が築かれている。土塁の中央部に開口部があるが、旧状を知る人の話によると、かつては土塁に開口部がなく、2つの曲線は完全に分断されていたという。この2つの曲輪を囲むように、郭内からの比高2~4メートルの土塁と、その外側に堀が巡らされている。この内、城の北から西にかけて築かれた土塁・堀は、二か所に側防施設となる屈曲部が設けられており、屈曲部を含む塁壁の長さは約115メートルに及んでいる。

西から南へ築かれた土塁・堀は、台地続きの城外と城内を分断する塁壁で、塁壁の南端で、土塁・堀から突出した方形の矢倉台状遺構を伴っている。矢倉台状の突出部を含めた塁壁の長さは約65メートルを数える。本城跡の虎口連絡路遺構は、明瞭なものは残っていない。あるいは、遺構の失われた城跡の南から東にかけての斜面に設けられていたのではないだろうか。

なお、増尾城跡の南西側土塁・堀は、昭和46年4月、トレンチによる発掘調査が行われていて、その結果、堀底は現況より2メートルの深さに存在し、堀底幅1.5メートル、堀底から現存する土塁までの比高5メートルの、V字型に近い箱薬研堀が検出された。

増尾城跡は比較的小規模ながら、現状で城を囲む塁壁に三か所に及ぶ側防施設が見られ、16世紀後半の築城と考えられる。本城跡は、相馬氏一族の居城、あるいは、戦国時代高城氏家臣平川若狭守が城主であったとする伝承があるが、現存する城跡の規模・構造を観察すると、戦国期の小規模な軍事施設とみなした方が妥当であろう。

また、増尾城跡の構造は、市域周辺に残る我孫子市の根戸城跡、沼南町の箕輪城跡と共通点が見出せるので、これらの城跡と同時期、同勢力によって築城、使用されたと推測される。おそらく、本城跡は周辺地域の城跡と一体となって使われていたのであろう。

情報提供:柏市教育委員会

増尾城の口コミ情報

まー宮内卿様[2016年11月15日]
芝浦工大柏高校側には駐車場はありません。城址公園ということであまり期待してませんでしたが副郭の土塁や空堀が明瞭に残っていましたが本郭のある四阿周辺は遺構と呼べそうなところはありませんでした。副郭に石碑と説明板がある程度でした。

野舘宮内少輔サラマンダー様[2013年02月01日]
…続き2/2

 郭の構造は、東西約130m、南北45〜100mで東西に長い三角形状の縄張構成となり、台地東端の先端部に三角状の主郭(Ⅰ)と台地西側の方形の副郭(Ⅱ)が連続して並びます。それぞれの郭は、土塁、横堀(空堀)、切岸(崖)などの防御施設で取り囲まれ、虎口(出入り口)が2ヵ所設けられています。郭内の土塁の高さは2.5〜3mあります。主郭と副郭の北西辺の土塁がとぎれないこと、南西隅に大規模な張り出し櫓があるところが特徴とされます。
 城跡眼下の河川は分水嶺(郡境)とされ、この南側一帯には、鎌倉・南北朝時代に「相馬御厨」という伊勢神宮の荘園が置かれ、『相馬文書』によると千葉氏庶流の相馬氏が代々土地を伝領したことが知られ、増尾字本郷には相馬氏の守護神とされる妙見堂跡や相馬氏の居舘とされる幸谷城舘跡などが点在します。

平成十八年三月三十一日 柏市教育委員会



…以上、増尾城址総合公園管理事務所の許可を得て記載致しました。
一所懸命に記入しましたが、記載間違い等あるかも知れません…
その際はゴメンナサイ…

野舘宮内少輔サラマンダー様[2013年02月01日]
増尾城址総合公園、管理事務所で頂いた紙面上の文章


増尾城跡

 増尾城址公園の一角には、約五〇〇年前の戦国時代後半代の築造形態を残す中世城郭が所在します。
 城跡の由来については、当時の資料が残されていない今、城主や築城の目的など詳しいことはわかりませんが、大正十一年刊行の「土村誌」には、土地ではこの山を「城山」と呼んでいたこと、同十二年に編纂された「東葛飾郡誌」には、戦国時代、当地は、小金領にあり小金城(松戸市)を本拠とする高城氏の家臣平川若狭守が城主であったと推測されています。
 城跡は、西側から東側へつきだした小規模な舌状の台地に立地し、南側眼下には手賀沼に注ぐ大津川の分流が流れ、北側から東側にかけてはゆるやかに下る谷とけわしい崖となり自然地形を取り込んでいます。台地郭面の標高は約20m、河川低地面は約9mで、高低差は約11mあります。


…続く1/2

野舘宮内少輔サラマンダー様[2013年01月30日]
2013年1月30日15時25分(50分)

増尾城址総合公園から入りました
駐車場、トイレ有り
管理事務所で聞いてみた所、ここから5分程歩いた場所が城址だそうです
城址に関する書面も頂き、口コミに書き込んでも良いと了承して頂けました
因みに、此方の管理事務所と駐車場は9時〜17時迄です

教えて頂いた道を進むと、公園碑とトイレがあります
此方と先程の公園とは、ちょっと離れておりますので御注意ください
城址は公園の南側にあり、『←城址』の案内板もあります
先ずは腰曲輪を登ります(約20m)
登り切ると主郭で、南東は崖、他は土塁(2m位)に囲まれています
主郭を横切って虎口を抜けると、主郭より倍広い副郭で、こちらも南東が崖、他を土塁が囲っており、南の位置に櫓台があります
説明板有り
南側の虎口から抜けると、道路に行く道があり、城址に一番近い駐車場があります
副郭、主郭を北周りすると、幾つか『コ』の形の堀があり、興味深かったです
とても小さいのですが、アップダウン激しい良い城でした〜

GINTOKI様[2011年06月27日]
増尾城址公園は芝浦工大柏中学、柏高校を探すと分かりやすいですよ!

徳川内大臣源朝臣康武様[2010年06月10日]
大津川は、手賀沼に注ぐ川。中世から戦国時代の手賀沼は、下総台地の入り組んだ谷まで広がり、鬼怒川や霞ケ浦とも繋がっており、幾つもの津(港)が整備された、水陸交通の要衝であった。そのような場所を望む台地上には、多くの城館が築かれた。柏市域では、増尾城のほか、戸張城、松ヶ崎城などは遺構が良く残る。

小中学生の頃はよく行きました。昔はただの遊び場だったけど、今見れば、中世城館のお手本のような城です。

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