我孫子城(あびこじょう)

我孫子城の基本情報

通称・別名

所在地

千葉県我孫子市並木6

旧国名

下総国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

我孫子氏?

築城年

戦国時代

主な改修者

主な城主

我孫子氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

周辺の城

箕輪城(千葉県柏市)[2.3km]
布施城(千葉県柏市)[3.5km]
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我孫子城の解説文



我孫子城(あびこじょう)は、千葉県我孫子市我孫子(下総国相馬郡)にあった日本の城。

概要 

城山と呼ばれる山の上にあり、北側は谷津を挟んで久寺家城(くじけじょう)と対峙している。城主と考えられている我孫子氏は、松戸市の本土寺過去帳にアヒコ彦二郎という人物が見られる以外に資料がないため、正確なことは全く分からない。

現在、城山は電力中央研究所の敷地となっており、遺構は全く残っていない。

歴史 

本土寺過去帳によると、我孫子市我孫子地区は1470年代、高城氏が治めていたが[1]、その後の高城氏と我孫子地区の関係についての記録はなく、次の我孫子についての記録は長享2年(1488年)11月、おそらく我孫子城主であろう前述のアヒコ彦二郎が武州高見原で討死したというものである[2]。我孫子氏の出自は不明であるが、1476年から1531年に高城氏の名前で「彦」という文字が多く使われていたことから、高城氏とつながりのある氏族であると考えられている。

天正18年(1590年)の小田原征伐の時、当該地域は後北条氏方につき、豊臣氏に攻められ、落城した後、廃城となったという説と、それ以前に廃城になっていたという説がある。

現在 

東葛飾郡誌によると、大正時代までは空堀跡があったとされるが、城山は電力中央研究所の敷地となっており、更にその中心を国道6号線が通っているため、現在はその姿は完全に消え失せている。なお、によると1980年代までは城の石垣のものとみられる石が存在していたという。

城主 

  • 我孫子彦二郎-室町時代後期の武将

  • 野嶋入道?-堺根原の戦いで討死。

  • 我孫子丹後守-天正年間の武将。後北条氏に従う。

  • 我孫子五郎右衛門-原胤栄の手賀城攻めの際、救援にあたる。

  • 我孫子左衛門但馬守?-小田原攻めで北条氏に加担。

参考文献 

  • 『本土寺過去帳』

  • 千野原靖方『東葛の中世城郭』崙書房、2004年
  • 『東葛飾郡誌』

我孫子城の口コミ情報

2022年08月01日 マグロ常陸介祐平
久寺家城[我孫子城  周辺城郭]



宝藏寺が城址です。案内板などはありません。墓地が高台の平坦地となっており曲輪のように感じられますが、遺構はよくわかりませんでした。

2018年04月27日 野舘宮内少輔サラマンダー
我孫子城

我孫子市文化・スポーツ課(04-7185-1601)へ問い合わせた所、かつてはお城があったが(古い図面で確認出来たとの事)、今では国道6号がその上を通っており、遺構は消滅したとの事でした

図書館にある郷土資料に詳細が記載されているとの事で、今度確認して口コミに投稿しようと思います

2013年06月02日 さい織部佑
我孫子城

柵の外から覗いて(笑)みましたが、土塁?堀?は残ってそうな雰囲気でした!

2012年11月21日 粗忽者はりさん
我孫子城

この場所、電力中央研究所の敷地の為立ち入り不可、研究所一般公開日があります

我孫子城の周辺スポット情報

 久寺家城(周辺城郭)

 道の駅 しょうなん(御城印)

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